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江戸時代、常陸国(現:茨城県)に宇宙人はやってきていたのか!
突飛な話に聞こえるかもしれませんが、この話題はすでに10年以上続いているんです。真相はいまだにわかっていません。
しかし、この謎に迫り続けている方がおります。それが『江戸「うつろ舟」ミステリー』の著者・加門正一さん。ペンネームでして、最近は本名でも活動されています。
茨城県民としては知っておかなくてはいけない教養かと思います。内容をダイジェストでご紹介しますので、興味を持ちましたらぜひ実際に読んでみてくださいね!
目次
概要
タイトル | 江戸「うつろ舟」ミステリー |
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著者 | 加門正一 |
発行日 | 2009年1月15日 |
ページ数 | 202ページ |
本書を平たく言えば江戸時代に常陸国へ漂流してきたとされる謎の舟に迫るものです。なんのこっちゃという感じですが、以下をご覧ください。
こちらは文政8年(1825年)に出版された『兎園小説』に『うつろ舟の蛮女』として収録されています。小説の著者は滝沢琴嶺(宗伯)。南総里見八犬伝の著者である滝沢馬琴(曲亭馬琴)の息子です。ただ、馬琴もかなり関わっていたといわれます。
描かれた「舟」がUFO(未確認飛行物体)とよく似ていることで話題になったことがあります。まぁ、「飛行」はしていないので厳密にはUFOとも言えないのですが。
このお話がいまなお話題になるのは、「調べられること」にあるかと思います。兎園小説には『享和三年』、『常陸国』など、場所や時代を特定する内容が記載されており、同様の文献が次々と出てくるのです。それぞれはまったく同じということはなく、すべて微妙に違っていることも特徴ですね。ちなみに漂流地はいまの神栖市という記述が多いです。
本書が2009年に出版された以降も次々と文献は発見されています。誰かが思いつきで書いたのではなく、なにかそれに近い事実があったのでないか。そう考えるのは自然でしょう。
情報はあるに越したことはありません。本書は兎園小説をはじめ各文献を調べ、また現地調査を行いながら真相に迫っています。探偵になったような気分で読めて面白いです。
諸々に現代語訳まで添えてわかりやすく紹介してくれるのもいいですね(原文もあり)。著者は理系の大学教授なのですが、歴史的背景の考察や古文書の解読などもされているので理系、文系問わず楽しめるかと思います。アプローチの仕方も学術的なのでいわゆるトンデモ論とは一線を画しています。
「うつろ舟」というオカルトに対して、単なる揚げ足取りで終わらない。かといって強引に事実認定しない。印象操作しない。中立的な書き方がされていて読者の想像力を大切にしていると感じました。
本書で紹介された資料一覧
本書では兎園小説と関連していると考えられる文献を複数紹介しています。以下のような共通した項目がありますので興味深いことです。
- 享和三年(1803年)の出来事
- 「うつろ舟」あるいは「異舟」が漂流してきた
- 中には言葉の通じない美女がいた
微妙な違いはあるものの『箱(中身は不明)』を持っていたことや舟が球体であることも共通していると言っていいでしょう。
タイトルと発行年、著者を一覧にします。
- 兎園小説(1825年) 著:滝沢琴嶺(宗伯)
- 弘賢随筆(1825年) 著:屋代弘賢
- 梅の塵(1844年) 著:長橋亦次郎
- 瓦版刷り物(1804年頃と推定) 作者不明
- 鶯宿雑記(1815年頃と推定) 著:駒井乗邨
- 漂流記集(1835〜1862年) 作者不明
- 外国漂流全書(1924年) 著:吉野作造
それぞれをざっくりとご説明しましょう。
②弘賢随筆は馬琴らと一緒に兎園会に参加した屋代弘賢が記したもので、①兎園小説とほぼ同じ画が掲載されています。①とほぼ同時期に出版され、著者同士が知り合いといったことから情報交換した結果と考えられます。②のほうが少し早く出版されたので画は兎園小説のほうがしっかりと描かれています。
③梅の塵は長橋亦次郎の随筆集で「空船の事」に舟や女性が描かれています。①よりも④に似ているのがポイントですね。
④瓦版刷り物と⑤鶯宿雑記ですが、じつはこの2つは兎園小説よりも早く世に出た可能性が高いです。④は画に「去る亥の年」とありますので享和三年(1803年)の出来事を示しています。享和三年からほどなく発行されたのでしょう。ただし、瓦版はまったくのデタラメを書くことが多々あるので注意して読む必要があります。
⑤は桑名藩士の駒井乗邨の日記です。日記は江戸滞在中の1815年から書き始め、毎年20冊ほどのペースで書かれました。「うつろ舟」は14巻にありますので、1815年か翌年にでも書いたと推定できます。ただし、「当時そういう話を耳にした」という書き方です。
⑥と⑦は日本への漂流民についてまとめた文献です。事実として裏付けがとれるものを多く掲載されていることから、「うつろ舟」も実際の出来事と。。果たしてどうでしょう。
本書では③以外、すべて原文と現代語訳がありますので読み比べて違いや共通点から真相に迫ってみるのも面白いです。
ちなみにわたしはこの中で、①と④と⑤が特に重要な意味を持っていると思います。④はすべてのはじまり、⑤は江戸に広まる噂を客観的に伝え、①はそれらを踏まえての。と考えています。いずれ別記事で考察しますね。
なお、④と⑤は茨城県の郷土史研究家が見つけ出しました。ふふふ。。
気になるそれぞれの文献の画ですが、弘賢随筆、鶯宿雑記、漂流記集はnippon.comにあります。本書が刊行された後に発見された『水戸文書』についてもありますよ。
2020年7月現在、「うつろ舟」に関する文献は全部で11種類あるといわれています。
『兎園小説』の気になること
兎園小説に関して本書に書かれていないことでわたしが気になるポイントをいくつかご紹介します。主に馬琴の書いた頭書の部分です。本書を読まないと意味がわからないと思いますがご容赦を。
ひとつは女性を「イギリス、あるいはベンガルやアメリカの王女かもしれない」とする記述。小説の出版された時代、日本とアメリカには国交がありません。もしかしたら、アメリカ人は漂流民も含めてそれまでひとりも日本に来ていないかもしれません。
オランダ経由などでヨーロッパから輸入した本によってアメリカの存在は知っていたと思いますが、馬琴自身はアメリカ人を見たことがなく、国についてもほとんど知らないはずです。王政だと思っていることもそのせいでしょう。
それにも関わらず「アメリカ人かもしれない」というのは、かなり強引です。せめて一度でも日本に来たことのあるオランダ、スペイン、ポルトガルあたりならわかるのですが。
ベンガルについてもほとんど知らないはずです。この2国に共通しているのは、当時実質的にイギリスの影響下だったことですね。馬琴はイギリスに対してどのような印象を持っていたのでしょうか。
続いて、いわゆる「宇宙文字」がイギリス船内にもあったという記述。宇宙文字は英語ではありませんし、現代でも意味がわかっていません。本当にイギリス船にあったのでしょうか。というか、馬琴の言うように当時浦賀にイギリス船は来ていたのでしょうか。文政5年(1822年)にイギリス船の捕鯨船が浦賀に来ています。失礼しました。
「文字」と認識したことも気になります。英語は原則横書きですから、縦書きの宇宙文字を見てイギリスの文字と判断した理由がよくわかりません。これは単なる誤解なのでしょうか。それとも。。
また、頭書をよく読むと古老の話として過去にもうつろ舟がこの地にやってきたと書かれています。つまり兎園小説には2つの「うつろ舟」があるんです。しかも同じ地に!
過去のうつろ舟は他の文献や日本各地に伝わる話と似ています。新しくやってきた舟はそれとは違うということなんです。ちなみに古老の話は他の文献にはありません。
この話を含めた頭書がないと兎園小説の内容は画を除いて他とほとんど同じなんですよね。全体的にこじつけ気味であることを考慮すると、かなり怪しい記述と思うのですが。。
兎園小説については特殊な思惑があると考えられますので、他と区別して考察するのがよいかと思います。
謎を解く鍵はやはり常陸国にあり?
なぜ、うつろ舟をイギリスと関係付けようとするのか。出版の前年に常陸国の大津浜(北茨城市)にイギリス船が「漂流」してきた事実は無視できないでしょう。
また、常陸国には古くからうつろ舟によく似た金色姫伝説がありますが、馬琴の日記から金色姫伝説の伝わる鹿島郡に足を運んでいることがわかっています。日記には1827年とありますが、以前から鹿島に行っていたのでしょうか。それ以前の日記はないため不明です。
馬琴は星福寺(神栖市)の衣襲明神を残していますから、年代はともかく伝説を耳にしていた可能性は極めて高いでしょう。衣襲明神と瓦版刷り物の女性が似ているのは偶然なのでしょうか。
金色姫伝説を載せた上垣守国の『養蚕秘録』が世に出たのは享和3年です。うつろ舟漂流と同年ですが、こちらも偶然なのでしょうか。
真相はいかに、ですね。新たな資料発見が待ち遠しいです!
まとめ
この記事のまとめ
- 「うつろ舟」は江戸時代に常陸国へやってきたUFOという説がある
- 「うつろ舟」に関する文献は多く残されている
- 『兎園小説』には著者の思惑がかなり盛り込まれている
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。