【書籍紹介】飯沼廻りの天神信仰|菅原道真・天神信仰をキホンから学べる!(常総市)

この記事では坂東郷土館ミューズから発行された『飯沼廻りの天神信仰』をご紹介します。概要のあとに特に面白いポイントに触れてみます!

概要

書籍「飯沼廻りの天神信仰」

書籍「飯沼廻りの天神信仰」

名称企画展「飯沼廻りの天神信仰」
編集・発行坂東市立資料館(坂東郷土館ミューズ)
発行日令和2年2月22日
価格300円
ページ数26ページ

令和2年2月22日から同年5月17日にかけて坂東市立資料館(坂東郷土館ミューズ)で企画展「飯沼廻りの天神信仰」が開催されました。本書はその企画のパンフレットです。

かつて県西(坂東市、常総市、古河市、八千代町)には巨大な飯沼がありました。飯沼は江戸時代に開拓され新しい村には天神社や天満宮がいくつも創建されたんです。

企画展はこれらの天神信仰について考察するもので、社に祀られる菅原道真すがわらのみちざね公(845-903年)についても大変詳しく紹介されています。展示資料の多くは周辺地域から集められました。

ページ数はわずか26ですが、年表や図表でよく整理されていて非常にわかりやすいです。各地の神社を巡る際のガイドブックとしても役に立つでしょう。

企画展は新型コロナウィルスの感染拡大により4月9日から臨時休館となりました。おそらくこのまま開催期間を終えますが、本書は企画展の会場である坂東郷土館ミューズで引き続き購入できるかと思います。

参考 ミューズ企画展「飯沼廻りの天神信仰」を開催しています《4月9日から臨時休館》坂東市(公式)

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とにかくわかりやすいのが魅力です!菅原道真、天神信仰について基本的な部分を抑えつつ、飯沼の天神信仰とうまく結び付けられています。
MEMO
天満宮や天神社の社号の由来は菅原道真公の神号「天満大自在天神」によります。「天満」の意味は「怒りの炎の天に満ちたり」なので当初は怖がられてました。

注目ポイント

菅原道真と茨城の関係

菅原道真は平安時代の学者および政治家です。教科書にも名前がありますし、『学問の神様』としても多くの方がご存知かと思います。

オカルトに興味がある方は、道真公が大宰府に左遷され不遇の死を遂げたことで怨霊になったという噂を耳にしたことがあるかも。。

怨霊の存在が本当かどうかは検証のしようがありませんが、そのように信じられたことは事実です。太宰府天満宮や北野天満宮は道真公の鎮魂のために創建されました。

道真公を祀る神社は全国各地にありますが、茨城は道真公の遺骨が眠っているとされる特別な地域です。常総市の御廟天神(大生郷天満宮の境内)ですね。

それについて本書では次のように説明しています。

景行は、兄弟の兼茂、景茂、そして家臣らと共に父の遺言どおり遺骨を奉持して、二十数年間諸国を巡った。常陸介として常陸国に赴任した景行は、筑波山北麓の羽鳥(現桜川市真壁町羽鳥)を墳域に定め、菅原神社と名づけて社殿を造営し、塚を築き、この地方の豪族・源護、平良兼らと共に遺骨を納めた。道真没後23年目の延長4年(926年)2月25日のことであったという。
P11/大生郷天満宮の創建と平将門の時代

道真公をはじめに埋葬した天神塚(羽鳥天神塚古墳)などが写真付きで丁寧に紹介されていました。それに3年後にいまの地に遷されたことも。その理由は不明なのですが。。

常総市の安樂寺によると大生郷天満宮と別当の安樂寺は筑紫国の寺社(太宰府天満宮と安樂寺)と地形も含めて似せているそうなので、羽鳥よりも大生郷(菅原村)の方が地形的にふさわしかったのかもしれません。

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「菅原氏」は桓武天皇に願い「土師氏」から改められたものです。(菅原は居地に由来)土師氏は朝廷の葬儀の責任者だったので道真の墓やその移設の理由は気になるところです。

飯沼の天神信仰とは

道真公の遺骨は飯沼近くに移されて公を祀る大生郷天満宮が創建されました。信仰はそれからずっと続きますが、江戸時代に大きな転機を迎えます。

当時の将軍・徳川吉宗は切迫した幕府財政を立て直すべく新田開発を奨励。それが飯沼の開拓へと繋がりました。飯沼は頻繁に水害を起こしていたので近隣の村人は以前から開拓を訴えていたんですけどね。

ともかく享保9年(1724年)に開拓工事がはじまり、約2年半をかけて一応の完成。同12年、13年に幕府による検地が実施されると新たに31ヶ所の新田および新しい村が誕生しました。

また、工事が完了すると大生郷天満宮は新田18町歩の寄進を受け31ヶ村の総鎮守となりました。新しい村のすべてが天満宮を信仰したのは大変興味深いものがありますね。天神は雷を操ることから農業神としての面もあるせいでしょうか。

以降、各村には天満宮から勧請された天神社や天満宮、天満社などが創建されていくのですが。。本書ではそれ以前から当地に天神信仰があったことにも触れています。

天神信仰は江戸時代に天神講などによって全国に広まりました。寺子屋では当時から学問の神とされていた道真公を拝む習慣があったそうです。

時代をさかのぼるとそもそも天神とはあまかみ(高天原の神)を祀るものだったとか。。太宰府と北野天満宮の影響によって天神=道真公と変化していったそうです。

江戸時代の全国的な天神信仰と新田開拓が重なったことが当地の天神信仰に大きな影響を与えたことは間違いありません。ただし、資料を見ていると独特の由緒を持つ神社や伝承がありますので、本書をもとにじっくりと地域信仰の跡をたどってみるのも面白いと思います!

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天神信仰は神社だけでなく、寺子屋(勉強)や相撲(神事・娯楽)、天神講(民間信仰)などにも関係しています。暮らしと密接に関係しているんですよね〜
MEMO
飯沼周辺には景行のゆかり、あるいは大生郷天満宮から分霊されたといわれる飯沼七天神があります。七天神は大生郷、崎房、馬場、東蕗田、磯、内野山、幸田の天神社です。

道真と将門の関係

菅原道真と平将門はいずれも下総(茨城県の西)に埋葬されました。将門は胴体だけなんですけどね。一見関係のなさそうな両者なのですが、じつは他にも共通点がいくつもあるのです。

平将門は藤原道真の生まれ変わり!?本書は資料をもとに2人の関係性を考える参考になると思います。将門関係の資料とあわせて持っておきたいですね。

例えば、道真公が逝去した延喜3年(903年)は将門公の生年とされること。いずれも京都で仕えていたこと。不遇の死により怨霊になったといわれること。

道真公の讒言をしたといわれる藤原時平。弟の藤原忠平には将門公が仕えていました。道真公の遺骨は羽鳥の豪族であった源護、平良兼らと一緒に埋めたのですが、将門公は後に護や良兼らと争っていますよね。

これらはただの偶然なのでしょうか。そして特に興味深いのは将門記(将門の軍紀)に道真公が名があること。しかも新皇即位の際、その位記は道真公の霊魂によって書かれたとか。。ミステリアスですよね!

本書は道真公の「学問の神様」以外の面に触れることができます。決して難しい内容ではありませんので、初学者にもオススメです!

企画展

ミューズ入口のポスター

ミューズ入口のポスター

企画展の開催期間は新型コロナウィルスの感染が広まっておりました。わたしは3月14日に行きましたが、ほかの来場者は0。さすがに寂しかったですね。

ただ、内容は非常に充実していました。資料の多くは本書に収められていますが、企画展でしか見れないものもいくつか。

例えば、天満宮の神紋として多い梅紋。道真公が生前梅を愛していたことに由来するといわれますが、当時の貴族全般に好まれていたことや中世の禅僧が道真公と結びつけたといった補足をされていました。本書は天神信仰を中心にまとめられたので省略したのでしょう。

企画展は入場無料でした。非常に有意義な展示でしたので、できれば改めて開催できるとよいのですが。。資料集める作業は大変なので少し落ち着いてからぜひ。それまでは本書で予習するのもよいかと思います。

MEMO
展示内容の撮影については個人利用なら問題なしとのことでした。

まとめ

この記事のまとめ

  • 菅原道真は平安時代の学者および政治家。不遇の死を遂げた
  • 道真公を祀る天神信仰は全国で見られる
  • 飯沼周辺では沼の開拓とあわさり特別な信仰の跡が見られる

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