wata
北茨城市で芸術活動を続ける檻之汰鷲(@NORIOISHIWATA)さんの新刊が発売されました!
シリーズ3冊目。わたしにとっての自己啓発本、そして読むサプリメント。早速、こちらから取り寄せました。
著者との出会いは約3年前。北茨城市の地域おこし協力隊ということで興味を持ち、著作を拝読したりイベントでお会いして刺激をいただいています。協力隊員としては異質にして大活躍でしたね。
本作は次のような方におすすめです。
著者は40歳を目前にして芸術家に転身。やりたいことを仕事にしました。同じことを考えている人はたくさんいるはずですよね。著者の見た現実はきっと参考になるはずです。
おすすめの方に年齢をあげたのは、それくらいになると堅実な思考や生活をしている方が増えてきて少しずつ未来を変化させていく著者の活動と相性がいいと思うためです。
一般的な自己啓発本と違うのは著者がわかりやすい「成功者」ではないこと。「ノウハウを学んでライフハック!」みたいな内容ではありません。
それじゃ何を学べるのかというと。。自分らしい生き方!!だれもが望むことではないでしょうか。
また、自分は芸術とは無縁と思っている方もご安心を。わたしはシリーズをすべて読みましたが、語られていることは普遍的なことばかり。性別や職業は考えなくて大丈夫です。
今回は檻之汰鷲さんの新刊『廃墟と荒地の楽園』をご紹介します。知っておくとより深く楽しめる過去作品のエピソードなんかも書いちゃいました。
目次
概要『廃墟と荒地の楽園』
まずは本作の概要から。裏表紙のコピーを引用します。
『生きるための芸術』は、「いわゆる美術作品」をつくるお話しではない。かといって自給自足を目指すわけでも、仕事やお金を否定するわけでもない。40代半ばにして限界集落に移住した夫婦が、自分たちの身の回りあるものを使い、廃墟を住宅に変え、荒地を楽園に変え、まわりを笑顔に変えていくドキュメンタリーだ。人生とは何かと悩んでいる人にこそ、手に取って欲しい一冊。
白鳥永晃(コピーライター)
著者は北茨城市で地域おこし協力隊として活動した後、同地で集落支援員となり芸術活動を続けています。協力隊と集落支援員はいずれも公的制度による特殊な雇用形態。一定の仕事をこなすことで給与を得ながら本業を持てます。芸術家としては夢のような環境ですね。
本作は北茨城市での日々の芸術活動をつづったものですが、それ以前の経歴にも触れられておりますので初めて手に取った方にもわかりやすくなっています。
一見すると何気ない日常。けれども、じつは「生活芸術」の一部であり、深い思考のもとに営まれています。シンプルなようで複雑に思えるところもありますが、わたしはなるべく文章をそのまま受け取るようにしています。そして難しいと感じたら「そのうちわかる」とスルー。
前作が「漂流夫婦」、その前が「芸術で世界巡り」ですから、それらと比較すると「生活」が中心の本作は地味な印象。でも、読者に近い立場なのでじつは共感できる部分が多かったり。また、これまでに育んだ芸術家マインドをどのように活かすかという視点が参考になりました。
素敵に仕上がったと思いますが、そう感じたのは過去の作品を読んでいることが関係していると思いました。そこでぜひ知っておいて欲しい過去作品のエピソードをご紹介します。
wata
「アートとスポーツは同じ芸術」という話
わたしが檻之汰鷲さんの本で一番感銘を受けたのはシリーズ1巻の『生きるための芸術』にある次の文章。バルセロナのアーティスト・イン・レジデンスで作品とカラックに没頭する日々の中、2つは同じ芸術であると気づき、その共通点を述べたものです。
人生という与えられた時間の中で、一日一日をクリエイトしていく。モノを作ることだけに限らず、人生に有効な出来事や発見を積み重ねていく。それは競争ではなく、自分の記録を作っていくことです。
生きるための芸術/檻之汰鷲
芸術とスポーツ、やっていることは違っても本質的には変わらない。同じ人間が自分にとって価値あることを積み重ねているだけ。「生きる」という言葉を置き換えるならこういうことなのかもしれません。
この考え方は、いま自分がなにをすればいいのか悩んでいる人や迷っている人にとって非常に心強いです。どの道を選んでもやることは同じ。失敗などないし、もしそう感じても成功した場合とやることは同じなのです。
わたしの場合だと日常のブログに一工夫する、仕事で使う参考書で勉強する、気になっていたお店にでかけてみる。そんな小さな発見や成長を続けることが大切で、職種、年収、結婚、友人の数といった他人が測れるような指標で自分を評価してはいけないってことですね。自分の人生に責任を持つためには他人に惑わされず、自分の価値を持ち続けることが必要なのだと思います。
さて、そのような視点で本作を読むとじつに多くの発見と成長が語られています。その多くは読者にとって無用かもしれませんが、わたしには生き方のお手本のように見えました。
「芸術と技術はもともと同じ」という話
芸術家の本というとなにやら難しいことが書いてありそうです。だって芸術自体よくわからないし。
そもそも芸術ってなんなのでしょう。芸術家ごとに定義がありそうですが、わたしは1巻にあった次の文章からヒントを得ました。
アートの語源はラテン語の「ars(アルス)」で、技術を意味します。つまり、芸術と技術はその昔、同じだったのです。アーティスト(芸術家)とアルティザン(職人)が区別されるようになったのは、ルネサンス時代(14〜16世紀)のことでした。それは、職人の技術とは違った、個人の創作によって、より独創的で美しいカタチを作り出す芸術の誕生でした。
生きるための芸術/檻之汰鷲
芸術がピンとこなくても技術ならわかりますよね。職人さんは身近な存在ですし、レベルは違えどだれもがなにかしらの技術を持って生活していると思います。芸術はそれら技術に個性を加えることで誕生しました。そして19世紀にはパトロンと呼ばれる理解者によって多様化していきます。
技術は芸術に含まれた重要な要素。技術なし、単なる思いつきによる創作は簡単にマネされてしまい、本家と変わらないマネをされるようなら価値を認められないでしょう。芸術がよくわからないという場合は、自分がマネできるかどうか、技術を評価して見極めてみるというのはいかがでしょう。
芸術の前に技術、技術の前に発見や成長があり、発見や成長は前述の通り日常的にできることです。そうした日常と芸術の一体化が著者の「生きるための芸術」や「生活芸術」といった言葉に繋がっていると思うんですよね。
長くなりましたが、いきなり芸術や芸術作品は誕生せず、なにかしら技術を身につけることが先行すると思います。本作では日常の細かな出来事があれこれ書かれていますが、それらを技術として身につけた先には芸術が待っているのかなぁと読ませていただきました。
ちなみに本作でちらっと出てくる「平さん」はチェーンソーアートをされています。生活の技術を芸術に発展させたモデルのような方ですね。過去の協力隊のブログに写真付きで紹介されていますよ!
まとめ
檻之汰鷲さんの新刊『廃墟と荒地の楽園』は著者が北茨城市で芸術を一体化させた生活をつづっています。
非常に奥深い内容となっておりますので、前作『漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る。』、前々作『生きるための芸術』とあわせて読むとより理解が深まると思います!
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