書籍レビュー|シリーズ藩物語 水戸藩|岡村青

水戸黄門のイメージが強い水戸藩ですが、その実態はどうだったのでしょうか。

知りたけど歴史書は読みにくい。そんな方にオススメしたいのが、『シリーズ藩物語 水戸藩』です。

著者は真壁町(現在の桜川市)出身で郷土史家の岡村青さん。筑波書林で『茨城の河童伝承』なんかも書かれていますね。

さいきん水戸藩に興味を持って読んでみたのですが、これがスゴく面白い!水戸藩は意外(?)と殺伐としていますので、現実を知りたい大人向けの一冊ですね。サクッとご紹介します。

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概要

タイトル シリーズ藩物語 水戸藩
発行日 2012年1月25日
著者 岡村青
発行所 株式会社現代書館
ページ数 206ページ

本書は水戸藩の藩政のはじまりから廃藩置県までの歴史を総覧できる一冊です。

といっても、藩の歴史を順番に説明されても退屈ですよね。そうならないように、次のような五章で構成されていました。

  1. かくして水戸藩は始まった
  2. 藩財政破綻と騒擾事件頻発
  3. 水戸藩歴代藩主の治績
  4. 沸き立つ尊皇攘夷と水戸藩
  5. 版籍奉還と水戸藩の終焉

わたしがもっとも知りたかったのは天狗党についてです。常陸国の幕末といえば天狗党!

天狗党は尊皇攘夷を叫びながらあちこちで大暴れしました。土浦市出身なもので、ご近所の真鍋が焼き討ちされたと知ったときは驚きました。真鍋は土浦藩だし敵じゃないだろうと。

そもそも天狗党のしたかったこと、なんだかわかりますか?

幕末は尊皇攘夷派と佐幕派が対立したと言いますが、幕府だって尊王です。天皇から征夷大将軍に任命されて朝敵を討つために存在するのですから。できるなら攘夷もしたい。

水戸藩は御三家で定府制。幕府や将軍とは親しい間柄で本来対立するはずがありません。それなのに武力衝突までした天狗党の思惑とはいったい。。

結論から申しますと、天狗党の本心はわかりませんでした。

ただ、いわゆる『天狗党の乱』に関する事実関係と藩の歴史を総合して考えると、藩内対立の延長で暴発したのではと思います。

藩内対立は幕末のこと?いえいえ、本書を読むとじつは200年以上前からはじまっていたのではと考えられます。水戸藩って本当は怖い藩なのかも。。

ここではわたしが本書を読んで知ったことと、どうしてもよくわからなかった部分を2つご紹介します。わからない部分なんて言われても困ると思いますが、もしわかったら水戸藩の特殊性も天狗党の乱の背景も理解できるはず。かなりスゴイことなので、ぜひわたしにも教えて下さいね!

wata

天狗党については第4章にあたりますが、本質を知りたいなら1〜3章を読んでください。天狗党に対する印象がガラリと変わると思います。

定府制の謎

水戸藩は定府制!藩主がずっと江戸にいたんです!!

。。なるほど、それは事実なのですが、どうしてそうなったんでしょうか。なにか制度として決まっているわけじゃありませんし、統治機構としては不便すぎます。参勤交代するより経費がかかったとも。家臣団が家族含めて江戸にいるわけですから。。

もし、藩主が遠隔で藩を治められるなら、江戸幕府は全国を同一の方法で統治しますよね。藩主は現地のことがよくわからないでしょうから、かなり仕事がしにくいはずです。

定府制は水戸藩だけではありませんが、水戸藩の石高は(一応)35万石と大大名にあたる規模で地政学的にも重要な存在です。小藩と事情が違うので、ふつうは優秀な藩主が現地にいるはずですが。。

水戸藩といえば水戸徳川家。祖である頼房公は7歳で水戸城主になりました。じつはその前にも城主(家康の10男・頼宣、水戸城主時代は頼将)がいましたが、わずか2歳です。水戸には(おそらく)一度も来たことがありません。

これらの年令では藩政どころではないでしょう。藩主が江戸にいて家老が藩主に代わるというのは理解できます。でも、江戸時代、藩主はずっと江戸なんですよね。

それでなにも問題がなければいいのですが。。水戸藩の財政状況は常に悪く、家臣の素行も極めて悪い。元禄以前に登用された家臣のうち985人中457人が御家断絶しています。

どんな悪いことをしたのか詳細はわかりませんが、半数近くは異常です。藩主は家老などの報告を受けて合理的に判断するだけでしょう。つまり、報告者によって結論を誘導できる。もしかして家臣同士の対立もあった?

なにが言いたいかというと、定府制では水戸藩主に自由意志がほとんどありません。しかもうまくいっていない。どうして続けたのでしょうか。そしてだれが得するのでしょうか。

幕末に藩主となった斉昭公は着任直後に定府制の廃止を宣言しています。それが意味するものとは。。本書で水戸藩全体の歴史をたどってみると背景を理解する土台になるかと思います。

就藩の謎

水戸藩主が水戸城に戻ることを就藩といいます。就藩は藩主によって回数がずいぶんと違うんです。

歴代11人の藩主の在任年数と就藩回数を並べると次のようなります。(多少間違っていたらごめんなさい)

  1. 頼房/52年/11回
  2. 光圀/30年/11回
  3. 綱條/28年/4回
  4. 宗堯/13年/2回
  5. 宗翰/37年/2回
  6. 治保/40年/1回
  7. 治紀/12年/1回
  8. 斉脩/14年/0
  9. 斉昭/16年/3回
  10. 慶篤/25年/1回
  11. 昭武/-

3代綱條から明らかに減っていますよね。就藩には多大な費用がかかるといわれていますが、光圀公までは可能だったようです。

就藩の理由や時期はさまざまですが、藩主は就藩によって課題を見つけ新たな政策を掲げますので本来必要なものなのでしょう。それが急激に減った理由とはなんでしょうか。

「課題」を言い変えると「問題」。つまり、家臣に任せきりではいけないことに気づく、といったところでしょうか。

頼房についてはよくわかりませんが、光圀、綱條、斉昭は藩内で大きな政策を実行したり問題が発生しています。就藩したからそうなったのか、それとも就藩で気づいたのか。興味深いことです。

まとめ

水戸藩の定府制は藩主および藩政に大きく影響しました。

藩内のトラブルや幕末に天狗党が暴動を起こしたことにも深く関係していると考えられます。

なぜ、定府制を続けたのか。だれが望んだのか。見極めるには事件単体ではなく、歴史的背景を知ることが重要かと思います。

それには藩政の通史が大変役に立ちますので、ぜひご一読ください!

この本の評価
読みやすさ
(4.0)
面白さ
(5.0)
デザインの美しさ
(3.0)
コストパフォーマンス
(3.0)
オリジナリティ
(3.0)
総合評価
(4.5)

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