「元の宮」の大生神社|潮来市

この記事でわかること
  • 「元の宮」の由来
  • 「ものいみ」について
  • 御朱印のいただき方

非常にミステリアスな神社をご紹介しましょう。鹿島神宮の「元の宮」という説がある大生おおう神社です。

鹿島神宮は茨城でもっとも有名な神社です。常陸国一の宮であり、郷土史の中でも特に重要な存在といえるでしょう。

元の宮かどうかはよくわからないのですが。。由緒をたどると鹿島神宮とは密接な関係を持っていることはたしか。わたしも詳しくありませんが、この記事が考察の参考になれば嬉しいです!

大生神社とは

大生神社境内

大生神社境内

由緒

大生神社の由緒をご紹介します。

紀元元年
創建
大和国の飯富族が常陸移住の際に氏神として祀る
神護景雲2年/768年
遷幸
大和国春日に御祭神を遷す
大同元年/806年
遷幸
藤原氏によって御祭神を現在地へ還す
大同2年/807年
遷幸
御祭神を現在の鹿島神宮に遷し、分霊を奉斎
天正17年/1589年
社殿焼失
天正18年/1590年
社殿再建
太閤秀吉の命を受けた地頭大生八郎平玄幹が再建
慶長7年/1602年
寄進
徳川より39石および山林を寄進される
明治6年/1873年
郷社列格
昭和32年/1957年
本殿が県指定有形文化財へ
昭和38年/1963年
巫女舞神事が県指定無形文化財へ
昭和39年/1964年
樹叢が県指定天然記念物へ
昭和49年/1974年
本殿修造
平成元年/1989年
屋根葺替

御祭神は建御雷たけみかづち之男神です。由緒にあるように、鹿島神宮は大生神社から遷幸されたとなっていますので、御祭神は同じです。

創建されてから奈良県の辺りに遷されて、ふたたび茨城に戻っています。藤原氏との関係が見えるのも興味深いですね。

大生神社が「元の宮」だとすればスゴイことです。その説は大生神社の棟札のほか新編常陸国誌にも記載されていますが、肝心の鹿島神宮にそのようなことは伝わっていません。真実はいかに、です。

個人的には飯富おふ(多)氏の氏神として創建されたことは事実で、藤原氏が鹿島郡に影響する時期に関連付けられたのではと思います。

でも、それだったら他にも似たような神社があってもおかしくなりませんよね。二社はなにか別の部分でも繋がっている気がします。それが「ものいみ」だと思うのですが。。

大生神社の由緒は中世〜近世の部分が抜けているように見えませんか?大賀の文殊院(天台宗)は大生神社の鬼門に位置し、かつて別当だったといわれています。

文殊院の仏堂には近世の年号がありますので、当時はお寺の方で由緒を管理していたかも。。文殊院についてほとんどなにもわかっていないのが残念です。

wata

境内は厳粛で荘厳。中世から変わらぬ雰囲気を醸し出していますよ
MEMO
近くの大生殿神社は大生城主・大生定守を祀っています。定守は大坂冬の陣に出陣しましたが、途中で流行病に倒れてしまいました。自分と同じ病の者がいたら救う、と遺言を残したので病除けのご神徳があるとされています。

アクセス

最寄り駅は鹿島線の延方駅。神社まで7kmほどになりますので、タクシーの利用になるかと思います。

最寄りICは東関東自動車道の潮来ICです。下りて約15分(約8km)となっています。

駐車場スペースは鳥居のそばにあります。参拝者は多くありませんので、駐車は問題ないでしょう。

名称 大生神社
住所 茨城県潮来市大生814番地
駐車場 あり

ニの鳥居

二の鳥居

二の鳥居

手前に一の鳥居があり、参道(道路)が100m以上続いています。ほとんど車が走りませんので歩いてみるのも一興。

神域の樹叢は見事の一言!むかし、主要な神社は遷宮といって20年おきくらいに社殿を建て替えていました。いまは伊勢神宮くらいです。

古くは鹿島神宮にも遷宮がありましたので、大生神社が元の宮ならばこの神域から社殿の材料を調達していたのかもって感じさせます♪

石灯籠

石灯籠

鳥居の先の石灯籠には「大生太神宮」と彫られていますね。

戦前まで「神宮」の名称は極めて限定的に使われてきました。一般的に神宮といえば伊勢神宮のことです。では、この神宮はどんな意味があるのでしょうか。

「太」の文字があることから、伊勢神宮と同じ天照大神をご祭神とする太神宮を連想しますが。。茨城だと東海村の大神宮や筑西市の内外大神宮が有名ですね。

御手洗

御手洗

御手洗

車を下りると大変立派なニの鳥居が見えます。鳥居の手前には数人が入れそうな大きさの御手洗

看板の「大生神社七ツ井戸ご案内」から抜粋します。

明治の法改正以前、鹿嶋神社の宮司や氏子は、元宮の大生神社で前夜祭、本祭と二度三日の秋の大例祭に向け巡航しました。順路は鹿嶋市の神野の井戸で一行は体を清め出発。さらに「沼尾」の湖岸で木舟に乗り、潮来市の釜谷に着くと「甕森」神社前から鹿島往還道路を通り、大生神社の第一の鳥居から、御手洗で清めると第二の鳥居をくぐり大生神社本殿に到着しました。

「鹿嶋神社」ありますが鹿島神宮のことです。また、現在は大礼祭は行われておらず、例祭となっています。

案内には書いてありませんが、大礼祭では鹿島神宮の物忌ものいみが祭祀を行いました。聞き慣れない言葉だと思いますので『図説 鹿嶋の歴史』から抜粋します。

物忌とは

物忌はその名の通り、忌み籠って不浄を避け、神側に仕えて毎年正月7日の御扉開きの夜、本殿の御内陣に入って古い幣物を出し、新しい幣物を納める出納であるが、唯一人女人の身でもって神側に仕えるため、神の妃とも解される面があった。
 伊勢の神宮、加茂、春日、鹿島、香取、平野、松尾といった大社に置かれた。
 初代を普雷女あまくらめといって、神功皇后の一の姫と伝えられるが不詳であり、初代の先にもあったというが名は明されていない。
 当禰宜家が物忌後見職として交代に関与したが、亀卜による選定は丁重に行われた。一生独身で奉仕するため、長くは90年もつとめ、初代から明治まで27名の女性が奉仕した。きわめて神秘的な奉仕で想像を絶するのである。
11 鹿島神宮と社家/図説 鹿嶋の歴史 中世・近世編 P107

物忌は極めて特殊な存在で重大な祭祀を担当します。しかもほとんどひと目に触れない生活をしていますので、わざわざ大生神社まで来るとなると。。

潮来町史 p900

潮来町史 p900

ちなみに、物忌は写真の乗輿に載っていたようです。

また、大礼祭にあわせて巫女舞神事も執り行われます。舞手の巫女は大生地区の氏子中の7〜13歳までの少女からくじで選ばれます。ミステリアス!

wata

鹿嶋の某所で物忌について教えてもらったことがあります。
物忌はその体をご神体として天照大神を降ろし、神託を授かるそうですよ。

社殿

拝殿

拝殿

重厚な屋根が特徴的です。銅版が錆びて緑色になっていますが、味があるのでわたしは好きですね。

本殿

本殿

三間社流造の本殿。非常に立派です。潮来周辺では最古にして最大級。

朱色はやっぱり独特ですよね。天満宮や稲荷神社は社殿を朱色とすることが多いのですが、それ意外となると珍しいように思います。

北茨城市の花園神社も朱色ですが、神仏習合の色合いが強い神社です。もしかしたらこちらも同様なのかも。。

ところで、当社の別当に文殊院があると前述しましたが、文殊院の観音堂には十一面観音が安置されていました。(盗難により現在はない)

十一面観音は天照大神の本地仏なので大生神社の御祭神は益々興味深いですね!

御朱印

大生神社の御朱印

大生神社の御朱印

大生神社の御朱印です。初穂料は300円。

大生神社は同市の鹿嶋吉田神社が兼務しています。ふだん社務所不在ですので宮司宅でいただくかと思います。

住所は書けませんが、神社のすぐ近くです。社務所に連絡先が張り出されていますのでご確認ください。

『延方相撲』の鹿嶋吉田神社|潮来市

まとめ

この記事のまとめ

  • 大生神社の由緒には鹿島神宮の元の宮とある
  • 物忌は鹿島神宮で神職の最高位。大生神社で祭祀を行った
  • 御朱印は潮来市の鹿嶋吉田神社の宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
潮来町史/潮来町史編さん委員会

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA