ご本尊はお大師さまの手彫り 愛染院|潮来市

この記事でわかること
  • 愛染院の由緒
  • 境内案内
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事では潮来市の愛染院あいぜんいんをご紹介します!真言宗豊山派の寺院です♪

愛染院とは

愛染院の境内

愛染院の境内

由緒

境内の石碑や『茨城の寺(ニ)』、『潮来市史』などをもとに愛染院の由緒をご紹介します。

天喜5年/1057年
創建
前九年の役で八幡太郎義家が鹿島に渡る際、守護仏を安置し草庵を建立したといわれる
室町時代
如意輪観世音菩薩像安置
定朝作といわれる如意輪観世音菩薩を安置。義家の守護仏を体内仏とする
寛文10年/1670年
寺院改革
経済的な理由から村内の寺院を一宗一寺とする動きが起きる
元禄7年/1694年
寺社改革&再建
愛染院が二村の本寺となる。
檀徒14人が発起人となり境内を再建。(本堂、楼門、客殿、庫裏、不動堂)
宝永元年/1704年
愛染明王寄進
麻生領主・越中守新庄直隆より、愛染明王の寄進を受ける。以降、麻生領主の祈願寺となる
享保4年/1719年
観音堂建立
元文4年/1739年
客殿再建
安永元年/1772年
三十三観音寄進
三十三人の信徒が観音像を一基ずつ寄進
平成3年/1991年
観音堂回廊改修
平成11年/1999年
客殿、庫裏を再建
客殿を金堂、庫裏を平成殿と改称
平成22年/2010年
姉観音を合祀
水原にあった成就院の聖観音菩薩像を合祀

ご本尊は如意輪観世音菩薩です。『水原の観音様』の愛称で親しまれています。

5.5cmとかなり小さいのですが、なんでも弘法大師が弘仁元年(810年)に彫ったものだとか。また、菩薩像は冷泉天皇が天喜2年(1054年)に八幡太郎義家(源義家)に授けたといわれています。

そんなすごい由緒を持った菩薩像はもちろん義家の守護仏です。義家はふだんから守護仏を手元に置き、鹿島に渡る際も一緒でした。

しかし、愛染院のある水原の里で暴風に遭い、北浦を渡ることができなかったそうです。そこで過ごした夜に不思議な霊夢を見て、守護仏にさらに深く帰依するようになりました。

守護仏を安置して7日7晩の水行をすると、満願の日に北浦は穏やかになったので一行は鹿島に渡れたそうです。

なお、本尊を安置した本堂は観音堂です。庫裏に繋がっている方は金堂で金剛愛染明王が安置されています。

wata

ご本尊が如意輪観音ということは、安産や子育ての祈願が多かったと思います

アクセス

潮来ICから車で10分ほど。県道51号の延方の信号を北に5分ほど走ると左手に見えてきます。

境内から見える北浦

境内から見える北浦

少し高台にあるので境内から北浦を見ることができますよ。なかなかの景観です!

駐車場の看板

駐車場の看板

駐車場は境内の東側(北浦側)に用意されています。広いので確実に駐車できるかと思います♪

名称 東雲山 愛染院 根本寺
住所 茨城県潮来市水原1121
駐車場 あり

鐘楼門

鐘楼門

鐘楼門

駐車場から見える巨大な楼門。畑や住宅地が並ぶのどかな場所なので、これには少々面食らいました。

元禄に建てられた門なので、すでに300年ほど経過していますが、色・形ともにいい感じで保存されていますね。

現地では気が付かなかったのですが、ニ階部をよく見ると梅か桜の紋があるようです。麻生藩とは違うし。。どんな由来があるのか気になるところ。

楼門の二階に鐘

楼門の二階に鐘

ちなみに二階部は鐘楼堂になっています。なので正確には鐘楼門ですね。

観音堂(西国三十三観音)

観音堂(三十三観音)

観音堂(三十三観音)

鐘楼門をくぐると左手に観音堂があります。三十三観音は信徒がひとつずつ寄進しました。

観音さまを安置したお寺は霊場めぐりの場にもなっていますよね。三十三ヶ所巡ると「結願」するといわれるわけですが、ここでは一箇所にずらりと並んでいます。

名前の通り、それぞれ観音さまの違ったお姿を現しています。信徒は自分の寄進する観音像を話し合いながら決めたのでしょうか。当時の絆を想像させますね。

観音堂(本堂)

観音堂(本堂)

観音堂(本堂)

誤解しやすいのですが、本堂は楼門の先にある観音堂です。こちらに「伝説の」観音像が安置されています。

見てわかるように境内にはぎっしりと石碑や仏像が並んでいます。江戸時代、そして明治初期に信仰が集約された影響もあるのでしょう。

垂木の密集具合すごい。こういうのを繁垂木って言うんですよね。(垂木の間隔が空いている場合は疎垂木)

観音さまは悟りを開くため修行中の身。悟りを開いた如来と比べて下位にあたるとされますが、だからこそ同じ立場の信徒にとって親しみやすい存在。

多くの観音像が寄進され、立派な本堂も残っているのですからとっても重要な存在だったのでしょう。

大師堂

大師堂と大師像

大師堂と大師像

真言宗の寺院であれば開祖のお大師さま(弘法大師=空海)は極めて特別な存在。境内には修行僧姿の像や大師堂が建てられていました。

そこまでは他の寺院でも目にしたことがあるのですが、驚くべきは「弘法大師の手型」があるという。。

さすがにそれは。。と思うのですが、『茨城の寺(ニ)』には写真が掲載されています。本当だろうか、いやしかし。。

本物だったら文化財どころの騒ぎではありませんが、真実は知らないほうが楽しいかもしれない、と思ったり。

金堂

金堂(客殿)

金堂(客殿)

本堂っぽいですが、こちらは金堂(元客殿)です。人が集まりやすいので催事はこちらが多いかもしれませんね。

中には院号にある愛染明王像が安置されています。麻生藩の新庄氏が寄進したもので、新庄氏は愛染院を祈願寺としていました。

「明王」は菩薩のさらに下位にあたるとされますが、真言宗の場合は大日如来が宇宙そのもので明王や菩薩は如来の一部(または化身)と考えられています。ですから、本当は上下関係を意識しなくてもいいのではと思います。

その上で愛染明王が安置されているのは、厄除けの意識が強かったということでしょうか。新庄氏は色々と苦労(特に経済)したと聞きますからねぇ。。

愛染明王は「恋愛成就」の願いを叶えてくれるともいわれますが、それはちょっとだけ誤解しています。愛染明王は愛欲や憎しみといった負のエネルギーを悟りを開くための正のエネルギーに変えてくれるんです。スゴスギルー!

おまけ:金毘羅宮&若宮八幡宮

金比羅宮に続く石段

金比羅宮に続く石段

本堂の右手には金比羅宮に続く石段です。50mほどだと思いますが、半端じゃない角度なので、かなりの覚悟が必要です。

わたしは行きだけで足ガクガク。一応毎日ウォーキングしているんですが、あまり関係ないようです。

金毘羅大権現(左)と若宮八幡宮(右)

金毘羅大権現(左)と若宮八幡宮(右)

なんとか登り切ると若宮八幡宮と金比羅宮が鎮座していました。金比羅宮の扁額には『金毘羅大権現』。神仏習合ですね。

「こんぴらさま」は江戸時代に海上移動が盛んになったことで全国に普及したといわれます。なので創建は江戸時代かなと思います。航海や漁業の守護神ともいわれますので、高台から北浦の漁を見守っていたのではないでしょうか。

ちなみに、金比羅宮(金比羅神社・琴平神社とも)の主祭神は大物主神です。蛇に姿を変えた伝説を持っているのですが。。ここに来る途中の石段で蛇を見ました。

ラッキー?そう言えなくもないですが、正直苦手なので心臓止まりそうでした。。

御朱印

愛染院の御朱印

愛染院の御朱印

愛染院の御朱印は。。本堂右手の庫裏でいただけるのですが、わたしが参拝した10月時点では新型コロナの感染予防のために中止していました。

落ち着いたらまた参拝してみるとします♪

まとめ

この記事のまとめ

  • ご本尊は弘法大師が手彫した観音像。八幡太郎義家の守護仏とされる
  • 本堂は朱色の観音堂
  • 御朱印は本堂右手の庫裏(平成殿)でいただける。(新型コロナの感染拡大期間は中止)

参考文献

茨城の寺(ニ)/今瀬文也
潮来市史/編:潮来市史編さん委員会

スペシャルサンクス

りん さん

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