ようこそ!虚空蔵菩薩堂&浅間神社へ♪(古河市)

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 虚空蔵菩薩について
  • 十三詣り
  • 浅間神社について

お出かけするときは一人が多いです。写真を撮っていると夢中になってしまいますし、行き先は気分次第ですから。でも、たまには誰かと一緒もいいかなって思います。そう、フレンズと・・・

それはともかく、少し前に古河の桃まつりを訪れたときのことです。古河総合公園のおとなりに、珍しいお寺と神社がありましたのでご紹介します。しかも、お寺と神社は同じ敷地内にあるんです!

虚空蔵菩薩堂

虚空蔵菩薩堂

虚空蔵菩薩堂

お堂の前に虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつとだけあります。初めて聞く名前でした。

虚空蔵菩薩とは

看板があって虚空蔵菩薩について解説していました。要約すると、古くから僧侶や修験者(修行中の人)に信仰されてきた菩薩で、お祈りをするとスゴイ智慧ちえを与えてくれる、とあります。

虚空蔵菩薩は死者を極楽浄土に導く最後の仏でもあって、とても慈悲深い菩薩様です。

MEMO

虚空蔵菩薩にはご真言(祈るときに唱える言葉)があって、それを100日の間に100万回唱えると、見聞きしたものすべてを覚える能力が身につくそうです。真言宗の開祖・空海は19歳のときに高知県の洞窟でやり遂げました。

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ちなみに、真言はサンスクリット語で『マントラ』といいます。こちらの言葉のほうが知られているかもしれませんね。

十三歳詣とは

のぼりには十三歳詣じゅうさんまいりとあります。これは、十三歳になった少年少女が菩薩の智慧を授かりに行く行事です。お祝い事ですね。七五三のように着物でお参りするので、とても華々しいです。少し変わったルール(?)もあります。お祝い情報.comから引用します。

 参拝する時に、自分が授かりたい(目指したい)ものを表す感じ一文字を、予め用意された半紙に書き記し、祈祷を受け、帰りにはお守りとお供物を(13品のお菓子)頂いて帰り、両親に感謝の気持ちを伝えます。
十三参りとは/お祝い情報.com

地域によって違いはあるでしょうが、感謝の気持ちで終えるのがいいですね!参拝を終えて本殿を出たら、後ろを振り返ってはいけないという伝承があります。振り返ると、せっかく授かった智慧を返すことになるとか。。。ちょっと怖い。

十三参りで有名なのは京都嵐山の法輪寺ですよ〜。

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ところで「そらで覚える」とか「そらんじる」の「そら」は虚空蔵菩薩の「空」です!さすが智慧の菩薩。身近なところにゆかりがありましたね。

牛の像

菩薩様にお参りをして帰ろうとしたら・・・

富士山浅間神社の猫

富士山浅間神社の猫

ゆっくりと猫が近寄ってきました・・・。ガイドをするつもりでしょうか?せっかくなので、フレンズとして同行してもらいます。

牛の像

牛の像

参道のそばにあって目につきました。牛ですね。牛は虚空蔵菩薩とどのような関係があるのでしょうか。調べたところ、以下のものを見つけました。

虚空蔵菩薩を祀る寺の前に、牛(左)と虎(右)を一対とした像が奉納されている。
これは虚空蔵菩薩が、丑・寅年生まれの人の「守(マモリ)本尊」(守護仏)とされるからである。
引用元:神使の館

境内の虚空蔵菩薩の解説にも「一般的には丑寅年生まれの方の本尊であり、」とあります。ただ、わたしには寅の姿が見えませんでした。変わり果てた狛犬?に見えたものがそうだったのでしょうか・・・。

通常、虚空蔵菩薩のあるお寺では牛と虎の像が参道の左右に置かれています。虎の像は牛の反対側にあったかもしれませんね。こうしたことは、きちんと理由がわかると面白いです!

お腹見せる猫

お腹見せる猫

同じポーズで「その牛に似てるかにゃー?」あなたはどう見ても猫です。

続いて、浅間神社に参ります。

浅間神社

富士山浅間神社鳥居

富士山浅間神社鳥居

鳥居に『浅間神社』とあります。ですが、案内板には『富士山浅間神社』や『鴻巣の富士塚』といった名称があります。名前が3つもあって、とてもわかりにくいですね。言葉を少しずつ確認しましょう。

浅間神社とは

こちらの浅間神社は別の浅間神社から勧請かんじょうされて出来ました。勧請とは、元になる神社があってそこから新たにご祭神を迎えたということです。元になった神社を本宮ほんぐうといって、それは静岡県にある富士山本宮浅間大社です。

静岡県といえば富士山ですよね。名前の通り、神社の起源は富士山と深い関係があります。Webサイトから引用します。

 「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。
その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。

御由緒/富士山本宮浅間大社

つまり、浅間神社は『富士山の噴火』から人々を守ってくれたのですね!。ありがたいことです。

なぜ茨城に富士山?

でも、富士山のある静岡はともかく、どうして茨城までこの神社が広まったのでしょうか?それは境内の看板が説明していました。長いので、あとの要約だけ読んでもわかるようにしてあります。

「室町時代末期に角行という人が世の中の乱れに苦しみ、富士山に登り天下泰平、五穀豊穣の祈願をし、天下が治まった処から富士信仰が起りました。東講の大先達である南沢正兵衛という人が江戸に此の富士信仰を広く布教した。

 鴻巣の富士塚は模造の富士山で文政14年頃(1831年=天保2年)の構造と考えられている。鴻巣村の小森谷家及び広く浄財を募り築造し、富士浅間神社の祭神を勧請した。

 東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一つ。富士山信仰は、室町末期頃に起り江戸時代中期には非常に盛んになり、江戸をはじめとして、富士講があちこちで結成された。それにともない模造富士も多数築かれ江戸近郊の富士塚は、50有余を数えるに至った。しかし、今に伝わる塚は少ない。ここの富士塚は高さ6m、直径30m、塚は一合目から十合目まであり、原形がよく保存されている。原形保存状態が良好な塚は関東に少ない。」(抜粋)

境内看板

要約します。

  1. 混乱する室町時代に富士山で祈りを捧げたら、世の中が平和になった
  2. それで、人々の富士山に対する信仰心が強くなった
  3. それから富士山に見立てた『塚』があちこちにつくられた

ということのようです。小高い場所はきっと富士山のイメージですね。

案内する猫の後ろ姿

案内する猫の後ろ姿

富士山浅間神社

富士山浅間神社

鳥居をくぐって正面にあるのが浅間神社で、左手に見えるのが稲荷神社です。ガイドさんに案内していただきました。

本宮から迎えたご祭神は木花之佐久夜毘売このはなさくやひめです。天照大神あまてらすおおみかみの孫で天孫降臨てんそんこうりんした瓊瓊杵尊ににぎのみことの奥さんです。この辺は『古事記』を読まないとわからないですね。

富士塚?

富士塚?

一瞬、おにぎりに見えましたが、きっと富士山です。いろいろな形の石が組み合わさって、ひとつになっています。どういう意味があるのか知りたいです・・・。

参拝も済みましたので帰ります。

なでてお別れ

なでてお別れ

最後にガイドさんをなでてお礼しました。




獣魂碑

獣魂碑

獣魂碑

帰り際、浅間神社の鳥居をくぐってドキっとしました。馬頭観世音ばとうかんぜおん菩薩と獣魂碑じゅうこんひです。いずれも動物たちの魂を慰めるものです。

wata

古河公方のように立派であれば、たくさんの馬がいたのでしょう。この地の生活に動物は重要だったのだと思います。神様、仏様に加えて、今回のガイドさんのような動物たちへの感謝も大切ですね。

アクセス

名称虚空蔵菩薩堂、浅間神社
住所茨城県古河市鴻巣396
駐車場なし。古河総合公園駐車場を利用可

まとめ

この記事のまとめ

  • 虚空蔵菩薩は知恵を与えてくれる仏
  • 十三詣りは菩薩から知恵を授かる儀式
  • 浅間神社は富士山信仰からはじまった

参考文献

知っておきたい仏像と密教/宝島社