あじさいの名所 保和苑〜水戸黄門のゆかりを辿る(水戸市)

6月になって『水戸のあじさいまつり』がスタート。茨城を代表するあじさいの名所『保和苑ほわえん』にはたくさんの観光客が訪れています。

保和苑の魅力は美しいあじさいだけではありません。水戸黄門(徳川光圀)や多くの水戸藩士とのゆかりがあって歴史的な価値も大きいです。年令や性別を超えて楽しめる定番の観光スポットですね。

保和苑はすでに多くのブログや観光サイトで取り上げられています。そこで今回は水戸黄門とのゆかりを中心にご紹介させていただきます♪

保和苑とは

保和苑のあじさい4

保和苑は『大悲山 保和院ほわいん 桂岸寺けいがんじ』の庭園です。名前がよく似ていますね。

お寺のはじまりは1682年。水戸藩の家老だった中山 備前守びぜんのかみ 信正の供養のために建てられました。当初は香華院こうげいんと称しましたが、12年後に水戸黄門(徳川光圀)によって『保和院』とされ、庭園は『保和園』と名付けられました。

保和園は大正時代に荒れてしまいましたが、昭和になると当時の住職の奥さんを中心に周辺住民が保存会を結成。あじさいを植えるなどして、いまのような日本庭園造りがはじまりました。このとき名前を『保和苑』としています。

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現在の敷地は約1.5ha。あじさいは約100種類、6000株も植えられています!保和苑は『水戸のあじさいまつり』の会場。豊かな歴史もあることから『水戸のロマンチックゾーン』にもなっています♪
MEMO
桂岸寺のさらに詳しい情報は水戸観光コンベンション協会のサイトをご覧ください。
保和苑のあじさい5
保和苑のあじさい5

これから境内をご紹介します。とても広く文章だとわかりにくいのでパンフレットの案内図をご覧ください。

保和苑マップ

これだけでもたくさんのあじさいが分かりますよね。

水戸黄門さまご一行像

仁王門をくぐった先には『水戸黄門さまご一行像』。さすが水戸藩ゆかりのお寺です。

水戸黄門さまご一行像

この石像がいつ頃造られたかは不明です。ただ、現存する中でもっとも古いと云われています。そういえば、顔に丸みがあってTVとは違う雰囲気。それより前に造られたのかもしれませんね。石像は右が助さん、左が格さんです。

格さんにモデルになった人物は水戸藩の安積 澹泊あさか たんぱく。勤勉で頭がよく大日本史の編さんで大活躍しました。光圀のおくりな『義公』は後継ぎの綱條が格さんに相談して決めました。信頼されていた証でしょう。このお寺には格さんのお墓もあります。

桂岸寺 本堂

石像の左手には立派な本堂。

桂岸寺

屋根を支える2本の柱は水戸藩の家老、中山信正と孫の信行を示しているといわれます。2人のお墓は中山家の代々が眠る飯能市(埼玉県)ではなく、この桂岸寺にあります。信正は前述しましたが、信行もまた水戸藩にとって特別だったのでしょう。

柱を支える龍

その柱を支えているのは亀!ではなく龍です。龍には9体の子どもがいて、そのうち1体は重いものに押しつぶされると気持ちよくなってしまうのだとか。。。この表情は快感!?

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本堂は豪華な造りで、それぞれ面白い由来があります。まつりの期間中は境内の歴史アドバイザーに詳しく教えてもらいましょう♪

ぴんころ地蔵尊

ぴんころ地蔵尊

本堂の左手に進むと通称『ぴんころ地蔵尊』があります。お参りをすると天命を全うできて『ぴんぴんころり』と最期を迎えられるそうです。また、自分と同じ悪いところをなでると願い事が叶うとも。

宝歴の延命地蔵尊

地蔵尊のそばにある『宝歴の延命地蔵尊』も同様に『ぴんころ地蔵さん』と親しまれてきましたが、近年直接触れられるものを望む声が多かったので新たに造られました。たしかにたくさんの方が水をかけたり身体をなでていました。

とても優しげなお顔が魅力的です。

明星ヶ池

明星ヶ池

明星ヶ池みょうじょうがいけ』はみんなの撮影スポット。池とあじさい、そして自分たちをパシャリ。

この池、水戸城の東にあった池と同じ名前です。家老・中山信正と光圀のゆかりがあるので名付けられたのでしょう。エピソードを簡単にご紹介します。

光圀が若い頃。池の魚をとるため、家来に池の水を抜くよう命令しました。それを耳にした信正は光圀に会ったとき、いつものように話をせずにすぐに帰ろうとしました。光圀が理由を尋ねると、息子がだれかの命令で池の水を抜くと言っていたので、それをいさめるといいます。池には敵を足止めする重要な役割があるのです。光圀は自分の浅はかさとそれを指摘しない家老の優しさを知りました。

光圀の幼い頃はやんちゃ。若い頃は「はすは者」や「かぶき者」と呼ばれることもありました。当時の光圀や信正の人柄が伝わるお話ですね。2人の年齢は34も離れていますから、親子のような感覚もあったかもしれません。

MEMO
「はすは者」はうわついた者。「かぶき者」は異様な身なりの者という意味です。若い頃の光圀はいまでいう不良でした

無所だめの大蛇

『無所だめの大蛇』石碑

保和苑を順路通りに進むと、後半に『無所だめの大蛇』とある石柱を見つけます。これにはちょっとした伝説が書かれています。全文引用します。

保和苑の奥に「無所だめ」と呼ばれるため池があり、大蛇にまつわる伝説がある。蛇とりの名人がその大蛇を捕まえにきて、笛を吹いて大蛇をおびきよせ、なわで捕まえた。ところがこの大蛇は子どもをみごもっていた。名人は妻が妊娠している時だったので、哀れに思って大蛇を逃してやった。大蛇は草むらをとおって那珂川に去っていったという。

大蛇を捕える、というのがスゴイです。わたしの知る大蛇の伝説はだいたい出会った瞬間に大ピンチになりますので。ところで、大蛇の子どもは無事に生まれたのでしょうか。

この伝説で光圀の出生を思い出しました。あまり知られていませんが、光圀は母親のお腹から生まれない可能性がありました。『桃源遺事』によると父・頼房の意向といわれます。それを無視して家臣の三木が水戸の私邸で産ませたんです。光圀が歴代藩主の中で唯一水戸で生また理由です。

保和苑のあじさい2

色々と事情のある話なのですが、生まれた子どもは立派に育ち歴史に名を残しました。この伝説の意図はわかりかねますが・・・光圀ゆかりの地で命の大切さを伝えているように感じます。

水戸藩付家老 中山備前守の墓

頼房と光圀に仕えた家老・信正公はこの地で眠ることを望みました。あじさいの時期は場所がわかりくいですが、墓地の奥の方に進むと墓石があります。

中山備前守信正の墓

四角い枠に丸い石は家紋と同じ。知らないと不思議に感じますよね。墓石から見る門の先には瑞龍ずいりゅう山(常陸太田市)。水戸徳川家の墓所がある方角です。

保和苑にはたくさんのあじさいが植えられた見晴台があるのですが、実はもともとなかった地形です。わざわざ山を造ったのは、そこから水戸城が見えるからと云われています。主君と城をずっと見守っているのですね。

墓石には『恭子きょうし』とあります。これは諡、いまでいう戒名のようなものです。名付けたのは光圀。意味は「丁寧な、つつしみ深い、礼儀正しい人」です。明星ヶ池のエピソードからも相応しく思います。

保和苑には他にも藤田東湖とうこ、藤田小四郎など水戸藩士の墓もたくさんあります。一般の方もお参りできますので、ぜひ足を運んでみてください。

MEMO
中山氏については飯能市の加藤由貴夫さんのサイトがわかりやすいです。信正の父・信吉がなぜ水戸藩の附付家老に任命されたかなど詳しくあります。

アクセス

名称 保和苑(大悲山 保和院 桂岸寺)
住所 〒310-0052 茨城県水戸市松本町13−19
問い合わせ先 水戸市役所観光課 TEL:029-224-1111(代表)
バスをご利用の場合 バス:水戸駅北口7番乗り場から茨城交通「栄町経由茨大・渡里」行きに乗車。(15分)保和苑入口バス停下車
Webサイト 水戸観光コンベンション協会
桂岸寺(水戸市観光コンベンション協会)
水戸のあじさい祭り(水戸市観光コンベンション協会)
観光いばらき

無料駐車場

有料駐車場は保和院の境内にあります。1時間400円。30分毎に追加で200円かかります。

以下は乗用車の無料の駐車場の住所です。平日のみ、土日のみとわかれておりますので注意してご利用ください。

名称 利用日 住所
茨城県水戸生涯学習センター跡地 土日のみ 茨城県水戸市愛宕町4
常用銀行末広町支店 土日のみ 茨城県水戸市末広町1丁目4−17
茨城県信用組合上水戸支店 土日のみ 茨城県水戸市 上水戸3丁目3−28
鮨・割烹一心 第2駐車場 平日のみ 茨城県水戸市上水戸1丁目7−28

まとめ

保和苑は水戸藩ゆかりの庭園。昭和の時代に整備され、毎年6月になると見事なあじさいを咲かせます。

境内には保和院や回天神社など歴史的な建物があり、水戸黄門や水戸藩士と深い関係だったことがわかります。

美しいあじさいと共に水戸の歴史をお楽しみください。

今回はあじさい少なめだったので、いばキラTVの動画でじっくりチェックしてみてください。