wata
- 『累』の伝説
- 祐天桜について
- 御朱印のいただき方
怨霊はいるのでしょうか。。体験したことがないのでなんとも言えませんが、世に出回っているお話の多くは創作ではないかと思います。
ただ、寺院が寺伝としており、関係するお墓まであるとなるといかがでしょう。色々と考えみたくなりますよね。
この記事では常総市の法蔵寺と『累』の伝説をご紹介します。『累ケ淵』で知られる怪談の元になったお話です。
羽生山 法蔵寺とは
法蔵寺は常総市の羽生町にある浄土宗の寺院です。つくば市から常総市に続く県道354号(+有料道路)を鬼怒川を渡った先の信号で右折。そこから少し進めば右側に入口が見えます。
文禄元年(1592年)、弘経寺9世天機上人の弟子・西譽哲山上人が開基です。戦国時代はこのあたりに羽生一族の城郭があったそうで、一族滅亡後に堂宇を建てて供養をしたと伝えられています。つまり、飯沼の弘経寺の末寺で羽生一族の菩提寺だったということでしょう。
ご本尊は阿弥陀仏(阿弥陀如来)です。
比較的新しいお寺ですが、弘経寺や後にご紹介する祐天上人、それに『累』の伝説などで知られています。累については怪談にもなっているのでご存じの方も多いことでしょう。
累一族の墓
境内に入り道なりに進むと駐車場です。降りるとすぐに小さく囲われた場所を見つけると思います。市の文化財に指定されている累一族の墓所です。
ご存じない方のために法蔵寺のパンフレットからお話を引用します。
累の物語は、江戸時代初期の慶長17年(1612)から寛文12年(1672)までの60年にわたって繰り広げられた、親が子を、夫が妻を殺害するにいたる陰惨な出来事である。
羽生村の百姓、与右衛門の後妻すぎは、夫との不仲を恐れ、その醜く生まれついた助という連れ子の男子を殺してしまう。=飯沼落し=
その後に生まれた累は助に生き写しであったため、いつしか「かさね」と呼ばれるようになった。心優しい娘に成長した累は、旅に病む他国者を助け、婿に迎えるが、やがてその醜さゆえにうとまれるようになり、二代目を名乗る夫 与右衛門によって鬼怒川で殺害される。=累ケ淵=
鬼怒川で殺害した後、与右衛門には不幸が続き、そして死霊が後妻との間に生まれた娘 菊にとりつき、苦しめたため、飯沼弘経寺に居た祐天上人が念仏の法力を持ってこれを解脱したという実話に基づく物語である。
怨念が自分を殺した本人ではなく、周辺まで苦しめるというのが恐ろしいですよね。語り手によっては与右衛門(二代目)の後妻が何人も亡くなったり、累の両親は助の怨念によって亡くなったとする場合もあります。
また、助を女の子としていることも多々あります。わたしの手元にある『茨城の寺』にもそのようにあるので、やはり寺伝よりも芸能の方で知られたお話なのかもしれません。
一族の墓所の中央には三体の石仏が並んでいます。左から累、菊、助です。累の墓には『理屋松貞信女』とあり、これが戒名にあたるとのこと。
目黒の祐天寺にも伝説に関係した「かさね塚」がありますが、そちらは歌舞伎の記念碑として建立されましたので性質が異なります。累を呼ぶなら本名の「るい」が正しくて「かさね」は蔑称に近いんですよね。歌舞伎の演目にあるので使われたのでしょう。
『茨城の寺』によると祐天上人は寛文12年(1672年)累を成仏させるため村人を集めて17日間に渡り百万遍の念仏供養を唱えました。それで累は成仏したものの菊は再び半狂乱に。その原因は助の怨念でそちらもなんとか成仏させました。
本堂
累一族の墓所から数十メートルの位置に本堂があります。近年建てられたようですね。真新しくてキレイです。
宝蔵寺には次のような寺宝があります。
- 祐天上人が死霊解脱供養に用いた数珠
- 累曼荼羅
- 祐天上人、累、菊、助の木造
- 祐天上人直筆名号
- 祐天上人白骨
1,2、3につきましては観光いばらきのサイトで見ることができます。ちょっと小さいんですけどね。
累曼荼羅は一連の物語を一枚の画にしたものです。参拝した時にいただけるパンフレットに拡大されて載せられています。上の画像はそちらから抜粋したもの。残酷で目を背けたくなるようなシーンばかりなんですよね。。
わたしは累のお話を民話集で知りました。これほど残酷で執念深さを感じるものは他になかったのでとても印象的でした。民話は基本的に大人から子どもに読み聞かせる内容なので、その中では極めて異質なんですよね。
最近になってわかってきたのですが、本に載るような民話は子ども向けに厳選されたものです。載っていないもの、あるいは載せられないものも多数あるようで累は元々そちらに属していたのではと思います。
すべて事実とは言いませんが、祐天上人やお墓などが実在することから事実を多分に含んでいるとしてよいのでしょう。
同市内には人柱になったお伽羅さまのお話もありますし、この地方で水にまつわる悲しい出来事があったのは確か。地名もいまでは常総市ですが、かつては水海道ですからね。土地の民話として大切にしたいですね。ちょっと悲しい話ですけれど。
物語中の『累ケ淵』は宝蔵寺の東にあったとされますが、現在鬼怒川周辺は氾濫防止のために植樹などが進んでいて足を運ぶのが困難です。おそらく案内などもないので無理に行かれないほうがいいと思います。
祐天桜
累を成仏させた祐天上人ですが、宝蔵寺にはもうひとつ大切なご縁があるんです。累の墓所から本堂に向かう途中、左手に見える祐天桜です。
上人についてはここで詳しく紹介できませんが、浄土宗の大本山・増上寺の第36代法主になった高僧です。じつは常総市の弘経寺の住職だった時期もあるんですよ。常総市には2回足を運んでいて、1回目に累の件があり2回目に弘経寺の住職になっています。
その祐天桜とはどんな桜なのでしょうか。
「祐天桜」は、浄土宗大本山「増上寺」(港区芝公園)の下屋敷内子院八ヶ寺の一寺である「清岸寺」(東京都品川区)にあり、樹齢250~300年と伝えられる桜の古木の通称。「増上寺」第36世で、江戸時代を代表する僧侶「祐天上人」の手植えの桜と伝承されており、東京23区内の桜で最高樹齢、桜としては唯一、品川区の天然記念物に指定されている。
貴重な「祐天桜」の苗木の増殖に成功/住友林業/株式会社不動産流通研究所
ただ、近年は樹勢の衰えが見えるそう。そこで祐天寺と清岸寺は宗祖・法然上人の800年大遠忌と祐天上人の300年大遠忌の記念事業として後継稚樹の増殖を住友林業に依頼しました。
住友林業はバイオテクノロジーの一手法である組織培養法を活用し、貴重な「祐天桜」の苗木の増殖に成功。それが平成29年(2017年)3月、法蔵寺に渡ってきたんです!
しかも!この祐天桜は新品種の可能性が高いそうです。ヤマザクラ系とエドヒガン系が交配されているようなんですが。。伝説の桜を調べたら新品種なんてロマンあふれるっ!
2011年に増殖の成功がプレスリリースされました。その後、桜の苗木は東日本大震災で被災した東北地方のお寺に配られ、数年後に水害のあった常総市にも配られました。祐天上人が福島県いわき市出身であることから、勇気づけになればという思いがあったそうです。
苗木はすぐに開花しないのですが、こちらはどうでしょう?今春で4年目になりますからもしかしたら。。期待したいですね。季節になったらちょっと見てくることにします♪
御朱印
宝蔵寺の御朱印は2種類。御朱印料はいずれも300円です。
ひとつは御本尊の阿弥陀如来とあるもの。もうひとつは祐天上人の名号です。名号は直筆を印にされたそうです。「南」に特徴がありますね。
本堂の右手にある庫裏でお声掛けください。大変親切なご住職がいらっしゃりお話を聞かせていただけました♪
アクセス
名称 | 羽生山 住生院 法蔵寺(浄土宗) |
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住所 | 茨城県常総市羽生町724 |
駐車場 | あり |
電話番号 | 0297-24-2114 |
年間行事 | 1月…修正会、御忌法要 5月第3日曜日…大施餓鬼会 7月第4日曜日…累一族法要、落語会 9月…開山忌 10月第2日曜日…十夜法要 12月…浄焚会 |
まとめ
この記事のまとめ
- 累は寺伝にある事実
- 祐天桜はバイオテクノロジーによって増殖されて配られた
- 御朱印は2種類。本堂右手の庫裏でいただける
参考文献
茨城の寺(三)/今瀬文也
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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