2月17日(水)『うなぎ地蔵』(城里町)の記事を公開しました。次回更新は2月21日(水)の予定です。

弘経寺で天樹祭開催!満開の桜のもとで静かに眠る千姫さま(常総市)

千姫アイキャッチ

茨城の歴史で、もっとも輝いていたのは江戸時代だと思います。有名な人物をあげるなら、なんといっても『水戸黄門』こと徳川光圀とくがわ みつくに。次に大政奉還によって江戸時代を終わらせた『最後の将軍』徳川慶喜とくがわ よしのぶ。そして尊王攘夷論と藩政改革で活躍した『烈公』徳川斉昭とくがわ なりあきと続くでしょう。いずれも将軍・徳川家の一族です。

加えて知っていただきたいのが、常総市の弘経寺ぐぎょうじに眠る千姫せんひめです。血筋では光圀のいとこにあたります。光圀と千姫のお父さんが兄弟なんです。というわけで、千姫のおじいさんは・・・徳川家康!言わずと知れた江戸幕府を開いた初代将軍(征夷大将軍)です。第二代将軍は千姫のお父さんの徳川秀忠です。さらに、第三代将軍が弟の家光!家柄を見てもわかるとおり、千姫は特別な運命でした。

常総市では毎年4月に千姫ゆかりの『水海道みつかいどう千姫まつり』と『天樹祭てんじゅさい』が開催されます。今回は天樹祭をおとずれて、千姫について見聞を広めてきました。

天樹祭

天樹祭は弘経寺で行われます。弘経寺は千姫の菩提寺で、いまも千姫のお墓(千姫御廟ごびょう)があります。おまつりは常総市の歴代の観光大使(水海道千姫さま)らが行列で参拝するところから始まります。とても華やかなのですが、今年は・・・

雨の弘経寺

大雨でした。お墓はすぐそばですが、揃って参拝は厳しかったかな?わたしは少し遅れて到着したので、どのような参拝だったのかわかりません。お堂でお経をあげているところから参加しました。

お経が終わると行列の参加者が集合。それぞれ千姫とふるさと常総市へのメッセージを残して、別会場で開催している千姫まつりへ移動です。

wata

今年の行列の衣装は『侍女』、『女武者』、『少女なぎなた隊』とのことです。

千姫さま行列

桜と千姫様

桜と行列

桜と千姫行列

華麗な行列です。衣装だけでなく、桜にも目が向きます。なんといっても満開ですから。弘経寺の桜は大正時代に植えられたそうです。いまからちょうど100年ほど前ですね。支えが必要なほど立派に育った桜なので、この時期の弘経寺は一見の価値ありです!

千姫御廟

行列を見送った後、千姫のお墓を訪ねました。

千姫御廟

天樹祭でなければ、ここまで近づくことはできません。少し手前の門が塞がれているんです。雨で参拝者も少なかったので、じっくりお参りできました。

千姫の生涯

ここで少し千姫の生涯について振り返ってみます。注目して欲しい内容をざっくりとまとめました。

わたしの理解が間違っていたらごめんなさいね。詳しい方、いろいろ教えてください。

千姫は江戸時代が始まる少し前に京都で生まれました。『天下人』豊臣秀吉がいる時代です。秀吉は千姫が生まれてすぐにこの世をさりましたが、豊臣家と徳川家には政治的な争いがありました。そんな状況だったので千姫は7歳で豊臣家に嫁ぐことになります。相手は秀吉の子・秀頼でした(11歳)。

豊臣家に嫁いだ千姫ですが、豊臣家は『大阪冬の陣』と『夏の陣』で徳川家に追い詰められてしまいます。千姫は夫・秀頼と秀頼の母・淀君の命を救ってほしいと、おじいさんの家康に頼みますが受け入れてもらえません。そして、ついに2人は自害することになってしまいます。このとき、千姫はまだ19歳でした。

家族を失ってしまった千姫は一旦江戸に戻りました。そして、1年後に姫路の本多忠刻のもとに再び嫁ぐことになります。(この結婚は千姫の一目惚れという説があります)一男一女を儲けましたが、長男はわずか3歳で亡くなってしまいました。さらに、夫・忠刻も30歳の若さで病死してしまいます。千姫が30歳のときです。

このあと、居場所がなくなってしまった千姫は弟で将軍の家光から何度も頼まれたので、娘の勝姫と一緒に江戸に戻ります。その頃、仏門に入り、『天樹院』と名乗り、弘経寺を菩提寺としました。

江戸では家光のよき相談相手として、さまざまな手助けをしましたが、政治には一切口出しをしませんでした。また、寛容で思いやりがあって、誰に対しても公正だったので、たくさんの人に好かれていました。しかし、天樹院(千姫)が江戸で暮らして25年後、家光は48歳で急逝してしまいます。信頼する弟を失ったことは天樹院にとって耐えがたい悲しみでした。しかし、家光の後を継いだ家綱をサポートするため、天樹院はますます存在感を高めていきました。

天樹院は70歳でこの世をさりました。晩年は5人の孫に囲まれて、とても幸せに過ごすことができたといいます。天樹院の喪主は将軍・徳川家綱でした。おばの死を悼んだ家綱は、江戸市中に七日間の鳴り物停止を命じました。

将軍家に生まれ、過酷な運命でありながらも、所々で自分の意志を示しているのが千姫だと思います。決められた結婚だったかもしれませんが、秀頼や忠刻とは仲睦まじかったそうです。また、家康や秀忠に可愛がられながら、家光、家綱には『心のよりどころ』にされていました。

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周囲の個性的な人物と良い関係を築けたのは、努力と人柄のたまものでしょう。

千姫遺品展

千姫遺品展

境内では千姫の遺品が展示されていました。お寺の宝物なので天樹祭のときだけ公開です!(撮影禁止です)

千姫の姿を描いたとされたものは、この世で二つだけです。一つは名古屋の徳川美術館にあって、もう一つは弘経寺にある『千姫姿絵』です。

貴重な品ですので間近で見れて感激しました。姿絵の千姫は色白でスラッとしていてクールな印象でした。それにしても、千姫の姿がわかる資料は意外なほどわずかなんですね。。。他には愛用品の龍をあしらった『すずり』もありました。すずりは凝った装飾で、とても大きい・・・。『格』を感じました。

この日は弘経寺の本尊なども特別に公開されていました。解説付きでじっくり学べましたので、とても貴重な時間を過ごすことができました。なんとお堂の中には、歴代将軍の位牌がずらりとならんでいるんですよ。

ところで、当初、弘経寺には千姫の遺髪のみが納められていると言われていました。でも、その後、遺骨の入った壺が発見されたので、正式なお墓であったことがわかりました。展示品には、遺骨発見の新聞記事や骨壷のレプリカまであります。菩提寺だけあって、ゆかりの情報がたくさん集められていました。

今年の漢字『勢』

今年の漢字

お堂の前に大きく『勢』の文字がありました。天樹祭では、オープニングセレモニーで今年のテーマとなる漢字を書きます。昨年は『照』、今年は『勢』でした。ふだんは野外で大きな筆を使って書くそうですが、今年は雨だったので屋内だったのでしょう。

面白そうなので書いている姿を見たかったです。。。

弘経寺 開山忌

弘経寺門前

わたしが帰る頃、たくさんの稚児を見かけました。このあと、年中行事の開山忌に参加します。開山忌は、お寺を開いた上人のために『なむあみだぶつ』を念じる法事です。子どもたちは意味をよく分かっていないでしょうが、将来、自分のふるさとや出来事について語れそうでいいですね!


脈絡ないのですが、お気に入りの写真を(*´ω`*)

托鉢

桜と和尚

天樹祭は法事ともいえますが、華麗で賑やかです。お堂の中でコンサートまでありました。(二胡の演奏、素敵でした)今年は雨だったので、野点や舞踊などのパフォーマンスはありませんでしたが、大勢の方が足を運んでいたので、楽しそうにおまつりを見ている千姫が目に浮かびます。

イラスト『千姫』

千姫様

Illustration by 熊井くまこ

わたしがイメージをお伝えして、熊井くまこさんに描いていただきました。華やかさが際立った素晴らしい作品です。

千姫はきっと美しい方だったんでしょう。でも、それは容姿だけでなくて、自分の境遇に立ち向かった生き方にもあると思います。イラストでは躍動感と表情で積極的な人柄を表現されています。わたしのお気に入りのポイントです。

背景はもちろん弘経寺です。そして、弘経寺の桜で千姫を引き立たせてもらいました。ちなみに、常総市の『市の花』も桜です。千姫と桜。常総市らしい組み合わせですね!

アクセス

名称 寿亀山じゅきざん 天樹院てんじゅいん 弘経寺ぐぎょうじ
住所 〒303-0041 茨城県常総市豊岡町甲1
ご本尊 阿弥陀如来
駐車場 あり
Webサイト http://www.gugyoji.jp/index.html