鳥栖の無量壽寺|親鸞と幽霊の伝説|鉾田市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 無量寿寺の由緒
  • 幽霊の伝説

もっとも伝説に登場するお坊さんといえば弘法大師こと空海ではないでしょうか。「スゴイことが起きた!じつは弘法大師がやった!」という感じで。

茨城で弘法大師の次に伝説を残しているのは浄土真宗の開祖親鸞しんらん聖人。(浄土真宗という名前は親鸞が亡き後にできました)親鸞伝説は弘法大師と似ていて人々を救済するものが多いです。知ると温かい気持ちなるので語り継がれてきたのでしょう。

親鸞をまったくご存じない方のためにすごく簡単な解説をします。

親鸞は平安時代から鎌倉時代にかけて活躍。当時のお坊さんとして画期的なことをしましたが、苦難が多く他宗教から弾圧されて流罪になったこともあります。

流罪の後は関東へ。笠間(稲田)を拠点に約20年間過ごしたと云われています。

今回はそんな親鸞ゆかりの鉾田市の無量壽寺むりょうじゅじをご紹介します。二十四輩の寺院のひとつでちょっと怖いけどほっこりする伝説と一緒にお楽しみください♬

無量壽寺とは

無量壽寺入口

無量壽寺入口

無量壽寺は鉾田市の鳥栖とりのすにあります。同じ名前で別の宗派のお寺が日本各地にありますが、鉾田市は浄土真宗(本願寺派)です。

建てられたのは806年。はじめは三輪宗さんろんしゅうのお寺でした。1204年に当時の住職によって禅宗へ。浄土真宗になったのは禅宗の頃にあるできごとがあったため。それが親鸞伝説というわけです。

スロープを利用する観光客

スロープを利用する観光客

お寺は石段を上がった場所にあります。階段は急ですが、スロープがありますので苦労しません。

この日はちょうどバスツアーの方々がお越しでした。文化財のたくさんあって、美しい境内ですから評判がいいことでしょう。

本堂

本堂

本堂の立派なかやぶき屋根は印象的。どっしりと重厚感がありました。左手には親鸞の像。右手にはかわいらしい像が並んでいます。整然としていて気持ちのいい境内です。

お堂の中

お堂の中

荘厳な外観と違って中はとてもきらびやか。ご本尊は阿弥陀如来あみだにょらいです。

鐘楼堂

鐘楼堂

本堂、鐘楼堂しょうろうどう、山門は県指定の重要文化財。どれも古いだけでなくて見事な大きさや造り。詳しくない方でも楽しめると思います。

銀杏の大木

銀杏の大木

銀杏いちょうの大木です。他にも県の天然記念物の菩提樹があります。菩提樹は親鸞聖人のお手植えだとか!丁寧にお手入れされていて訪れるだけでいいことがありそう♫

写真はありませんが、寺宝に拾遺古徳伝しゅいことくでんがあります。鎌倉時代の絵巻で親鸞が法然の正統であることを伝えています。

もうひとつの寺宝が幽霊の図。文字通り幽霊が書かれているそうですが。。最後にご紹介します。

民話『ゆうれいと親鸞聖人』

幽霊の図と関係あるのかわかりませんが、かつてこのお寺に幽霊が出たお話をご紹介します。わかりやすくアレンジしていますので参考の本と少し内容が異なります。

いまから750年ほど前、稲田の西念寺に親鸞というお坊さんがいました。親鸞は師の教えを大切にしながら、常陸国(いまの茨城県)で熱心に布教活動をしていました。その親鸞が弟子の順信房じゅんしんぼうを連れて、鹿島神宮へお参りをしたときのことです。

鹿島の途中の鳥栖につくと、幕府の役人である平高時たいらのたかときと土地の人々からお願いをされました。高時は「親鸞さま。お願いがございます。わたしの妻ははじめてのお産が難産でした。なんとか子どもは生まれたのですが、残念ながら妻はそのまま死んでしまいました。墓は近くの無量寺むりょうじですが、そこに妻のゆうれいが出るようになってしまいました。どうか、妻を成仏させていただけないでしょうか」土地の方々も言いました。「高時さまの奥さまは美しい方でした。しかし、幽霊となってからは、口が耳まで裂けてとても恐ろしいのです」「土地の者は恐ろしくて寺に近づかなくなりました。お坊さんがお経をあげてくれますが、ゆうれいは毎日出ます」

親鸞は皆の話を聞いた後「わかりました。それでは、お参りの帰りにまたここにきます。それまでお待ち下さい」といい去っていきました。

数日後、親鸞は約束通り鳥栖にやってきて、高時の家を訪ねました。「それでは小石をたくさん集めてください。わたしは無量寺で待っています。」高時はおかしなことだと思いましたが、部下に小石を集めさせ寺に届けました。すると、親鸞は小石のひとつひとつにお経を書き始めました。小石はたくさんあったので、書き終わるまでに数日がかかりました。やっと書き終えると、石はゆうれいが出るお墓に埋めらました。そして親鸞がお経をあげはじめました。少しの時間が経ってお経が上げ終わると「これで奥さまは成仏されました」と親鸞がいいました。

以来、お寺にゆうれいが出ることはなくなりました。そのあと、親鸞は高時に強くすすめられて、このお寺に3年間住むことになりました。そのうち寺の名前を無量壽寺と改めて順信坊にあとを譲り稲田に戻っていったといいます。

親鸞が幽霊を成仏させたお話です。子どもを心配したお母さんが成仏できずにいました。怖くて悲しくもありますが最終的にみんなが救われるお話です。

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順信坊は親鸞の二十四輩の一人です。鹿島神宮の神官の子で鹿島明神の神託によって親鸞に預けられたといわれています。

おまけの『ゆうれい』

鉾田市観光協会のFacebookページで『幽霊の図』が公開されています!おまけにもう一枚スゴイのが。『地獄絵図』です。鬼とか閻魔様とか描かれちゃってますね。絵が真っ赤なのがなんとも。。

実物は毎年8月14日と15日の2日間だけ公開。興味のある方はぜひっ!

アクセス

名称光明院 無碍光院 無量寿寺むりょうじゅじ
住所茨城県鉾田市鳥栖1013
Webサイト鉾田市観光協会内
駐車場あり

まとめ

この記事のまとめ

  • 無量壽寺は親鸞が訪れたといわれる
  • 親鸞によって成仏した幽霊の伝説がある

参考文献

茨城の民話/編:日本児童文学者協会
茨城の伝説/編:茨城新聞社
茨城の寺(三)/今瀬文也