水戸十ヶ寺の古刹 長福寺〜天狗党の乱の記録|水戸市

記事内に広告を含みます

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

茨城県民なら天狗党てんぐとうをご存知かと思います。幕末に尊皇攘夷を唱えた過激な集団です。

幕末という時代を考えると理解できる面もあるのですが、それでも大きな問題がありました。攘夷とはまったく違った方向に突き進み、多くの悲劇を生んだのは残念なことです。

先日訪ねた水戸市の塩崎町にある長福寺には、天狗党にまつわるお話が残されていました。お寺と併せてご紹介します。

塩崎山 長福寺とは

長福寺外観

長福寺外観

塩崎山 長福寺は水戸市の塩崎町にある天台宗のお寺。創建は平安時代の859年(貞観元年)、開基は慈覚大師 円仁えんにんです。

その後、年代は明らかでありませんが、栄尊和尚により再興。時代は飛んで1882年(明治15年)に世良田 長楽寺の末寺を離れて、天台宗の総本山 比叡山 延暦寺の直轄寺となりました。中興から今日まで56世と続いています。

MEMO

ご本尊は源信(恵心僧都)が掘った阿弥陀如来像

境内

長福寺の石段

長福寺の石段

それでは山門から入るルートで境内をご紹介します。

駐車場に車を停めるといきなりの急勾配。なかなかハードですが、距離は短いのでなんのことありません。

桜、見事ですよね。階段が高いので気づきませんでしたが、改めて写真で見たらすごく大きいと思います。

山門

山門

山門

階段を登った先の山門です。長福寺は1839年(天保10年)に火災に遭いました。本堂が消失する大きな被害でしたが、この山門だけは無事でした。

つまり、少なく見積もっても約180年以上前に建てられたものです。

本堂

本堂

本堂

参道、本堂ともに美しいの一言。無駄がないといいますか。わたしも晩年はこうした場所で過ごしたいです。。

この本堂は火災に遭った2年後(1841年)に再建されました。でも、木材の色を見るとずっと新しく感じます。近年、修繕をされたのでしょうか。

本堂でお参りしているとお隣の大串貝塚ふれあい公園から子どもたちの賑やかな声が聞こえました。この日は見頃を迎えた桜を見にたくさんの家族がいらしていたんです。

戦中はこの辺りも火の粉が飛んできたといいますから、平和な時代になってよかったと心底思います。

鐘楼堂

鐘楼堂

鐘楼堂

本堂正面の鐘楼堂。見るからに新しい。4年前に完成したばかりです。

鐘には天女の画がありました。わかる方にはわかると思いますが、桜川市の小田部鋳造の作でした。関東で唯一梵鐘をつくれるのはここだけなんです。口径3尺(約90cm)、重さは1トン。。

せっかくなのでわたしも撞かせていただきました。ほんの軽くしたのに驚くほど響き渡りました。海の方まで響いてしまうのだとか。。というわけで合掌。

梵鐘は以前からあったのですが、先の大戦時に金属資源として没収されてしまったそうです

追討軍隊士の墓

幕府追討軍の墓

幕府追討軍の墓

冒頭でご紹介した天狗党とのゆかりは、山門をくぐったすぐ左手にあります。こちらは天狗党を追討するため、幕府から派遣された兵のお墓です。

長福寺は1864年(文久4年)の天狗党の乱の際、幕府軍の本営が置かれていました。戦でなくなった兵は味方によって遺体を引き上げられ、そのまま埋葬されたと思います。

一連の顛末は長福寺のサイトにありますが、天狗党の乱をご存じない方にはなんのことやら、という感じでしょう。ざっくり分けるとこの戦いには4つの勢力がいます。

天狗党の乱の勢力
  1. 天狗党=水戸藩・攘夷派・激派
  2. 大発勢=水戸藩・攘夷派・鎮派
  3. 諸生党=水戸藩・反攘夷
  4. 幕府軍

①と②は多少考えが違うので行動を別にしていますが、目的は同じ。③と④は別組織ですが、暴走する水戸藩士を鎮圧したいのでやはり目的は同じです。

つまり、①②連合軍VS③④連合軍の戦いです。が、水戸藩主の慶篤の態度がハッキリしなかったり、天狗党の中でもさらに暴走する者がいたりと事態は混沌としていました。

そもそもこの戦いは攘夷と関係ないですよね。日本人同士だし。。天狗党はたびたび民間人にも被害を与えていましたから追討されて当然でした。わたしの住んでいる土浦でも真鍋地区が焼き討ちされているんです。もうむちゃくちゃ。(騒動は土浦藩が鎮圧)

話を戻しますが、4つの勢力は那珂湊で激突。幕府軍が大発勢のボス 松平頼徳(宍戸藩主)を捕らえて処刑すると、その1ヶ月後に大発勢の約1,100人が幕府本営、つまり長福寺に投降しました。

それでも天狗党や一部の大発勢は大子の方に逃れ、体制を整えてからまた戦いをはじめます。最期は信じていた一橋慶喜(=徳川慶喜)自らが軍を率いて天狗党を鎮圧することに。目的を達せず、希望も失った天狗党は加賀藩で全面降伏しました。

当時、尊皇攘夷の思想は多くの日本人にあったと思います。でも、現実的ではなかったので悩んでいたんです。そしてたくさん悩んだ結果が開国なり王政復古でした。

水戸藩は色々と残念でしたね。尊王攘夷を唱えた徳川斉昭は不可能だと知りながらも幕府に危機を知らせるために過激な発言を続けたといわれています。

藩内ではその真意が伝わらず、すぐにでも日本が侵略されると思ってしまったようです。極端な行動をとる人は、それだけ追い詰められているといいますから。。(でも、斉昭の責任も大きいと思います)

それを知るわたしたちは、極論に対して慎重になったり、目的と行動が一致しているか、しっかり見極めるようにしていきたいものです。

天台宗 水戸十ヶ寺

長福寺が数えられる水戸十ヶ寺は以下です。現在の水戸市外も含まれています。

水戸十ヶ寺
  1. 薬王院(水戸市)
  2. 仏性寺(水戸市栗崎)
  3. 西福寺(大洗町磯浜)
  4. 法円寺(茨城町小幡)
  5. 円福寺(茨城町鳥羽田)
  6. 如意輪寺(茨城町小鶴)
  7. 観音寺
  8. 西徳寺
  9. 満福時
  10. 長福寺(水戸市塩崎)
MEMO

住所のないお寺は廃寺と思われます

御朱印

長福寺の御朱印

長福寺の御朱印

長福寺の御朱印は書き置きです。御朱印料は300円。

梵字(サンスクリット語)でご本尊の『阿弥陀如来』と書いているんです。密教ならではですね。とてもかっこいいと思います。

いただくには本堂右手の玄関で呼び鈴を鳴らして声をかけてください。

アクセス

名称 塩崎山 長福寺
住所 茨城県水戸市塩崎町1135
駐車場 隣接した(無料)駐車場が2ヶ所
Webサイト 公式サイト

まとめ

水戸市の長福寺は慈覚大師が開いた天台宗のお寺。およそ1,100年以上の歴史を持っています。

境内には幕末の天狗党の乱で追討にあたった幕府軍の隊士の墓があります。

天狗党の乱は水戸藩に限らず日本にとっての悲劇でした。歴史から学び後世に活かしていく必要があります。