右籾の日先神社〜源義家の伝説(土浦市)

我が土浦市に東国三社の御祭神をまとめてお祀りしている神社があるのをご存知でしょうか。

東国三社といえば、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社。御祭神はそれぞれ武甕槌たけみかづち命、経津主ふつぬし命、くなどの神。神話で活躍する神なので、これらを巡るお参りは江戸時代から人気でした。

しかし、三社は少々離れている。。それを一斉にお参りできるとなるとありがたいやら便利やら。。

この記事では東国三社の神をおまつりしている右籾の日先ひのさき神社をご紹介します。源義家の伝説や見事なソメイヨシノなど、見どころがたくさんありますよ!

日先神社とは

社殿正面の鳥居

社殿正面の鳥居

日先神社は土浦市の右籾にあります。牛久から土浦に伸びる県道48号をスーパーまるも前の信号で左折するとたどり着きます。車でお越しの場合、鳥居の左側に駐車できます。

御祭神は冒頭でご紹介したとおり、東国三社と同じです。

日先神社の御祭神
  1. 武甕槌たけみかづち
  2. 経津主ふつぬし
  3. 衝立船戸つきたつふなと大神

最後の衝立船戸大神は息栖神社の岐の神と同一視されています。

創建は1058年(康平元年)。後ほど詳しくご紹介しますが、奥州征伐の途中に立ち寄った源頼義と義家(八幡太郎)親子に起源があるといわれます。

日先神社の名称は1871年(明治4)年5月から。創建した際は丸四天権現宮。それがいつしか摩利支天権現や摩利支天神社といわれるようになりました。

これまでの名称は仏教との関係が深そうですね。摩利支天は日天の眷属(使い)ですから、『日先』も仏教寄りといえそう。明治の神道分離と廃仏毀釈の苦難から生き残るための選択だったと考えられます。

摩利支天と武甕槌の共通点は武運長久(戦いから無事に帰ってくること)の願いを叶えるといわれることでしょう。戦前は災害や病気の災厄を払う祈願がされたそうです。

明治5年、摩利山新田、中村、中村西根、乙戸、荒川沖、荒川本郷、沖新田、八ヶ村の村社になりました。ずいぶん広い範囲で信仰があったんですね。

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神社の住所は右籾ですが、そのお隣は摩利山新田。やはり摩利支天とのつながりは強いです

源義家の伝説

境内の由緒でも少しだけ触れられている義家親子の伝説。土浦市史をもとに簡単にご紹介します。

1057年(天喜5年)、奥州の阿部貞任討伐に向かう源頼義・頼義はこの地に泊まりました。父の頼義は西峰山 高野寺、息子の義家は志太の長老宅です。

その夜、義家の枕元に神が現れて「我汝を待つこと久し、今汝に力を添へん、必ず賊を平げ名を天下に輝かさん」とお告げをしました。

翌朝、義家が父にその話をすると父もまた同じ夢を見たといいます。親子はどんな神なのか高野寺と志田の長老に尋ねましたが、よくわかりません。

そこで鹿島神宮の給仕を呼んで尋ねたところ、鹿島、香取、息栖の三神と知ります。

早速、親子は神に誓いを立てようと簡易な祈祷所をつくって賊徒平定の大祈願を執行。社殿はその翌年に建てられ、丸四天権現宮として三神をお祀りしました。

気になるところはいくつもありますよね。丸四天は明らかに摩利支天を意識していると思うのですが。。信仰が強いはずの摩利支天が由緒に一切登場しない。気になりますよね!

奥州征伐に向かう義家親子が由緒に登場することってすごく多いんです。箔がつくのかもしれませんが、実際のところがあるなら知りたい。。

境内

参道に広がる桜の花びら

参道に広がる桜の花びら

鳥居のおとなりに駐車をしていざ参拝。鳥居は社殿の正面と裏手の2つ。こちらは正面です。

鳥居をくぐり参道を100mほど進むと地面がピンク色に!大きなソメイヨシノが花びらを舞わせていたのでした。

手水舎

手水舎

手水舎

あれ?手水舎がない。。と思ったら、参道を少し離れた右手にありました。狛犬を避けるようにして御本殿に向かいます。

この参道、もともとこうなのでしょうか。手水舎の奥に見えるのはもうひとつの鳥居から続く参道なんです。

社殿裏の鳥居

社殿裏の鳥居

社殿裏側の鳥居がこちら。そばに『御手洗池の跡』という石碑が立っていました。おそらく池は手水舎と同じように体を清めるための場所です。以前は御手洗池で清めてからお参りしたのではないでしょうか。

つまり、2つの鳥居のうちむかしは裏側の鳥居をくぐってお参りしていた。もしかしたら、社殿の位置も大きく変わっているのかもしれませんね。

裏の鳥居を進んで見える手水舎と桜

裏の鳥居を進んで見える手水舎と桜

裏側から見た手水舎。奥には巨大な桜が。。!そこから参道が続いて。。やはりかつて社殿は正面の鳥居の辺りにあったのではと推測してしまいます。

社殿

社殿

社殿

縦横の線が美しい社殿です。注連縄のゆるっとした感じもいい。お賽銭箱には『土浦町』の文字がありました。80年以上前に奉納されたようです。

天井に掲げられた画とプロペラ

天井に掲げられた画とプロペラ

社殿の天井を見るといくつもの画が飾られています。でも、よく見てみると同じ画で名前だけ違う。。当時、流行った奉納なのかも。

それと写真の中央のあたりに見慣れないものが。木製のプロペラです。飛行機の部品のようですね。お隣の阿見町にあった予科練に関係があると思います。

神社の御祭神は武神。戦争から無事に帰ってくることを願い多くの訓練生や家族が思い思いの奉納をしたのでしょう。

本殿

本殿

わかりにくい写真ですみません。本殿の彫刻、わたしには鹿に見えるのですが、これってすごく珍しくないでしょうか?龍や象はよく見かけるのですが。武甕槌との関係を考えれば自然なことかもしれませんね。

日光大神の社殿

日光大神の社殿

本殿の裏には日光大神の社殿。日先神社の名称になる前は日光神社でした。そのときの社殿が残っているということでしょうか。

同じ御祭神なら移し替えるように思いますが。。もしかして別の御祭神をお祭りしている??なにかご存知の方はぜひご一報を!

御朱印

日先神社の御朱印

日先神社の御朱印

日先神社の御朱印です。初穂料は300円。シンプルで美しいです!

社殿の左手に授与所があります。玄関を開けるとお守りなども並んでいます。

アクセス

名称日先神社
住所茨城県茨城県土浦市右籾2202
駐車場あり

まとめ

土浦市の右籾にある日先神社は東国三社の御祭神をお祀りしています。

かつて八幡太郎も訪れて神のお告げを受けたという伝説がある神社です。

春の見どころは境内のソメイヨシノ。4月上旬を目安にお訪ねください。


参考図書
土浦市史/編:土浦市史編さん委員会

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