wata
土浦市で1番多い神社は稲荷神社。2番目は天神、3番目は八幡、そして4番目に鹿嶋(鹿島)神社だそうです。
たしかに商売繁盛や五穀豊穣を願う稲荷神社はどこにでもある印象。では鹿嶋神社は?やはり常陸国の一の宮が鹿島神宮である関係でしょうか。
鹿島神宮の御祭神は言わずとしれた武甕槌命。神話最強の武神です。武甕槌命には五穀豊穣や安産を願う方が多いのですが。。武士や侍、軍人は武運長久を願いました。
もちろん戦いを終えて帰ってくるためです。西根の鹿嶋神社にはそのような人々のことを昔話で語られています。この記事では中根の鹿嶋神社と戦中のお話をご紹介します。
西根の鹿嶋神社とは
ご祭神は武甕槌命です。勧請元の阿彌神社といえば常陸国の式内社(論社)とされる名社ですね。
この地はかなり古い時代から人々が生活しており、あるとき「みんなで力をあわせて開拓しよう」と結束し、思いを一つにできる場所として神社を建立したそうです。


アクセス
名称 | 鹿嶋神社 |
---|---|
住所 | 茨城県土浦市中村西根817-1 |
駐車場 | あり(無料) |
Webサイト | 茨城県神社庁 |
鳥居

鳥居
鹿嶋神社は大通りから外れていますので、少々見つけにかったです。神社自体も大きくないので見つかるか心配でしたが、写真の桜が目印となりました!
桜の周囲はちょっとした広場になっていました。駐車していざ参拝。
鳥居の扁額はシンプルに『鹿嶋神社』。明るめの黄土色と朱色が美しいですね。1749年(寛延二年)の建立といわれます。

鳥居と石柱
鳥居の色の違っている部分は2002年(平成十四年)復元されたところです。この形を両部鳥居といいます。色はもう少し時間をかけると馴染むのでしょうか?
社殿

新しい狛犬
手水舎や境内社などは平成に建てられたようです。新しいのですが、この日の強風のせいか境内は少々荒れている印象。。

拝殿
拝殿は文政年間(1818-1831年)頃の建立されたものです。写真だと近代的に見えますよね。
本当は茅葺きなのですが、将来的に修理が困難になるので2003年(平成15年)に屋根型の金属板で覆ったそうです。つまり、写真の建物の中に本来の拝殿があります。うーん、見てみたい。

拝殿と本殿
本殿も同様です。希少なほど保存状態がよかったそうなので、こちらも見てみたかった。。こうして本殿などを覆う建物を鞘堂といいます。(鞘堂は1998年に完成)

金比羅大権現神社(境内社)
お参りをすませたところで、境内社も見てみました。愛宕神社・雷神社・稲荷神社・天満宮神社・金比羅権現神社がありました。御祭神や簡単な紹介をしているのがいいですね。
面白いのは境内社の他に本殿境内神社があることです。龍神社、住吉神社、愛宕神社、三島神社、八坂神社は鞘堂の中ということでしょう。
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境内側から見る鳥居と参道
帰り際、鳥居の方を見るとずっと先まで参道が続いていました。200m以上あるそうです。もしかしたら、わたしのくぐった鳥居と別に一の鳥居があったかもしれませんね。
戦中のお話

久保田保久さんの挿絵(土浦の民話 下 )
『土浦の民話下』の挿絵です。祭礼の賑やかな様子が描かれています。いまとずいぶん違った風景ですが、髪型などから察するに大正から昭和の頃かと思います。
本書によると鹿嶋神社では戦中に兵隊を送り出す儀式があったそうです。大太鼓、小太鼓、笛の音にアコーディオン。兵は賑やかな演奏のあと『馬場道』を通って荒川沖の駅に向かい、日の丸の旗で見送られました。みな武神に武運長久を願ってから旅立ったのでしょう。
当時戦地に向かうのは男性ですが、鹿嶋神社には女性も多く訪れました。願いが叶うといわれるお百度参りのためです。
お百度参りは人知れず行うものですから通常は伝わりません。このように広く語られるということは、それだけお参りを見ていた方が多かったのでしょう。
わたしが調べたところ、このお話はネット上で見つけられませんでした。神社をご紹介するサイトは多かったのですが。。
神社の歴史や文化財は重要だと思いますが、専門家でないわたしとしては、それらにまつわる人々の物語をお伝えすることを重視しています。なにごとも人がいてこそですよね。
まとめ
この記事のまとめ
- 開拓の思いをひとつにするため竹来の鹿島二宮神社から勧請して創建
- 戦中は武運長久が祈願された
参考文献
土浦市史/土浦市史編さん委員会
土浦の民話下/文:岡部智子 絵:久保田保久
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ