関東三雷神 金村別雷神社|由緒・御朱印・茶釜雷神伝説(つくば市)

この記事でわかること
  • 金村別雷神社の由緒

  • ”茶釜雷神”の伝説

  • 金村別雷神社の御朱印

ようこそ、いらっしゃいませ。この記事は茨城見聞録の初めての記事です。

このブログは埋もれてしまっている茨城の魅力を掘り起こすもの。日々の生活に役立つことは少ないですが、ほんの少しでも楽しくなっていただけたら嬉しいです。

初回はつくば市の金村別雷かなむらわけいかづち神社をご紹介します。色々書きますが、なにも覚える必要はありません。気軽に読んでください♪

金村別雷神社とは

一の鳥居

一の鳥居

金村別雷神社はつくば市の上郷にあります。小貝川のほとりにあって川を渡れば常総市。詳しい住所は後述しますが、見ての通りの立地。たどり着くには少々険しい道を走りますので運転にはご注意を。

はじめにこの神社に興味を持ったのは元旦にユニークな神事があったからなんです。金村別雷神社に御目覚祭といって、ご祭神が目覚める儀式をします。変わってますよね!

ただ、残念ながらわたしが遅刻したせいで神事には参加できませんでした。ご紹介できずにごめんなさい。御目覚祭は改めるとして金村別雷神社のご紹介をします。

金村別雷神社のはじまりは、平安時代の承平元年(931年)。当時の領主・豊田氏が霊夢によってお告げ受けたために、京都上賀茂の別雷神社からご祭神(別雷大神)を分霊して祀るようになりました。

雷神は悪夢や災難を退治すると云われているため、領主にとってありがたい存在だったのでしょう。

康平5年(1062年)。豊田将基まさもとの時代には、将元軍のつむぎ竜紋の旗から龍が飛び出して、主君の源頼義と源義家(八幡太郎)親子を助けたとか。雷神様の力によるものでしょうか。その神旗はいまでもお寺にあるそうです。見てみたい!

豊田氏が下妻城主の多賀谷重経に滅ぼされた後、氏に変わって僧純然が別当を務めました。別当寺の金村雷光山 明光院は明治維新後に廃寺となりましたが、厚い崇敬の神社はいまに続いています。

駐車場

駐車場位置

駐車場位置

駐車場は一の鳥居の前と社殿の東側の2ヶ所です。写真の赤で囲ってある辺りです。

いずれも広くて停めやすいのですが、行き着くまで小貝川の堤防を走る非常に細い道路を通ります。

境内

二の鳥居

二の鳥居

一の鳥居をくぐって50mほど進むと二の鳥居です。こちらにも立派な社号標があります。

”茨城百景”と掘られていますね。金村別雷神社から見る福岡堰が百景に数えられているそうです。ずいぶん遠い気がしますけど本当に見えるのかな。。


参考
茨城百景茨城県公式

社殿

社殿

社殿は時代を感じさせる色合い。紅葉の時期は黄金の輝きのような銀杏並木との美しいコラボを楽しめますよ。(ちょっぴり匂いが気になりますけどね)

つくばとはいえ足を運びにくい場所なので、参拝者は多くありません。でも、境内はいつも整備されていて、心穏やかに参拝できます。

wata

雷神様は雨の恵みを与えてくれる存在。百姓の多かった地域で信仰を集めるのも納得ですね!
MEMO

金村別雷神社は関東三雷神の一社。残りは、水戸市の別雷皇太神と群馬県邑楽郡板倉町の雷電神社です。

社殿の天井絵

天井の野菜画

天井の野菜画

社殿の天井といえば、龍や鳳凰などの絵を思い浮かべるでしょう。でも、こちらの神社は一味違っていてお野菜の天井絵があるんです。

五穀豊穣を願って歴代の宮司が描いているそうです。中に入らないとよく見ませんので、機会がありましたらじっくりお楽しみください♪

MEMO

天井絵は皇紀2600年記念事業(1940年)としてはじまりました。完成したのは昭和17年(1942年)。つくば市の指定文化財となっています。

竹垣代官徳政之碑

竹垣代官徳政之碑

竹垣代官徳政之碑

訪れたらぜひ竹垣たけがき代官徳政之碑をご覧ください。この地にとって重要な史跡です。

パンフレットから引用します。

寛政5年(1793年)この地を支配した竹垣直温(なおひろ/なおあつ)は、度重なる天災で疲弊していたこの地域に上郷陣屋を設置し、現代の子供手当ともいうべき小児養育金を支給し間引きを禁じ、様々な勧農政策を施し農民の自立を促す民政の刷新を行った。よって碑設立後、お参りしこの碑をなでると子宝・子授・安産の願いが叶うといわれている。

かつてこの地は農業が難しく、人足寄場(いまでいう刑務所)がありました。つまり、貧しい上に治安があまりよくなかった。竹垣代官はそんな土地で人々の経済を立て直し、不幸な命を減らしました。徳政之碑にも納得ですね。

MEMO

竹垣直温は栃木でも同様の善政を行ったため、いまだに栃木からお参りに来る方々がいます

雷神さまの骨董市

境内の張り紙によると毎月第2土曜日の午前6時〜午後3時まで雷神さまの骨董市が開かれています。

ずいぶん早い時間からなのでマルシェともいえそうですね。この市を検索されている方が多いのでご参考に♪

御朱印

金村別雷神社の御朱印

金村別雷神社の御朱印

金村別雷神社の御朱印です♪初穂料は300円。

独特の書体ですよね。しばしばご不在ですが、参道の左手にある社務所でいただけます。

民話『茶釜雷神』

この神社には雷神様にちなんだユニークな民話があります。現代にもゆかりの場所がありますので、ぜひご一読ください♪

明治の初めごろ。大穂地区(いまのつくば市内)と千代川村(いまの下妻市)にまたがる茂鹿もしかというところは、毎年のように水害に悩まされていました。

ある日、茂鹿の農家の主人が災いから逃れようと、金村別雷神社でお祈りをしたときのこと。

主人は冗談好きだったので、いつもの調子で言いました。「雷神様。たまには家に遊びに来てください。熱いお茶の一杯でも差し上げますから」雷神様は、たくさんの願いを叶えることに忙しかったのですが「頼まれたら仕方ない」と合間を見て主人のもとに行くことを決めました。

それからしばらくたった夏の暑い日。お昼ごろから急に空模様が怪しくなりました。遠くで雷が光ると、畑仕事をしていた村人たちは一斉に家へと戻っていきます。冗談好きの主人も家へ戻りました。しかし、主人の家はたくさんの雲に囲まれたかと思うと、幾筋もの稲妻が大音響とともに落ちました。

恐怖で頭を抱えこんでいた主人。我に返って「まさか」と思い茶釜を見ると、蓋がなくなっているではありませんか。主人は姿こそ見ませんでしたが、自分の声を聞いた雷神様が本当にやってきたと信じるようになりました。

後日、なくなった茶釜の蓋が大穂町の麦畑で見つかりました。以来、主人は自分の冗談を反省し、蓋のあった畑のそばに祠を建て、茶釜雷神として祀るようになりました。

『大穂の昔ばなし』によると、この出来事があったので雷がなるとお茶を入れて供える風習がこの地で生まれたとか。いまも残っていたら面白いですね。

wata

冗談には冗談を。茶釜雷神だけにお茶目が過ぎるといいますか。。

茶釜雷神とされる水神宮

茶釜雷神を祀った祠を発見しました!下の写真がそうです。

茶釜雷神(水神宮)

茶釜雷神(水神宮)

『大穂の昔ばなし』では、愛国橋周辺の大穂の畑とのことですが、その場所にはありません。本当は大穂の畑から小貝川を渡った大園木にあります。つくばでなく下妻市でした。

砂子愛宕神社

砂子愛宕神社

はっきりした住所はわかりませんが、砂子愛宕神社を目印にしてください。神社を正面に見て、右手に見える水神宮が茶釜雷神です。『つくばの昔ばなし』に詳しく書かれていたのでやっとたどり着けました。

wata

神宮に「茂鹿氏子一同」とありましたので間違いありません。伝説と現実が結びつく瞬間を体験しました!

アクセス

名称金村別雷神社
住所茨城県つくば市上郷8319−1
駐車場あり(500台)
TEL029-847-3773
年間行事1月1日…御目覚祭
春大祭…4月第2土日
秋大祭…11月23日

まとめ

この記事のまとめ

  • ご祭神は上賀茂神社から分霊された別雷大神
  • ”茶釜雷神”は茶釜を盗んだイタズラな神様
  • 御朱印あり!

ロケ地となった作品

そろばん侍 風の市兵衛(2018年)
鳴門秘帖(2018年)

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
大穂町の昔ばなし/著 佐野春介/ふるさと文庫(筑波書林)
つくばの昔ばなし/編:筑波書林編集部