wata
オリジナリティーって大切ですよね。このブログもなるべく他と違ったなにかを提供できるように試行錯誤をしています。 とはいえ神社やお寺は地域独特ですから、テーマに助けられているところが多いのですが。
そんなわたしが最近特に大切にしているのが郷土の芸能です。その地域にしかない演奏やお話など、ひと昔前であれば現地に行かなければ知ることができませんでした。しかし今ではこうして簡単にお伝えできます。
先日はつくばの田倉に伝わる三獅子を拝見できました。会場は上郷の金村別雷神社、節分祭のステージイベントのひとつでした。貴重な体験をシェアしますので機会があればぜひ現地で見てみてくださいね。
この記事でわかること
- 田倉三匹獅子
- 竹垣代官紙芝居
- どんど焼き
目次
概要
まずは「田倉の三匹獅子」が演じられた節分祭からご紹介。チラシは以下のとおりです。
節分祭なのでメインは午後2時からの豆まきですね。今年は元力士(男女ノ里泰之)の岡田泰之さんがゲストとしていらっしゃっていました。
都合でそちらは拝見できなかったのですが、郷土民俗ともいえる三匹獅子とどんど焼きはしっかりと目に焼き付けてきました。それに当社では初お披露目になったと思われる竹垣代官紙芝居もあわせてご紹介します!
アクセス
節分祭では臨時駐車場はなく、いつもどおり一の鳥居前に駐車します。ただし、大勢の方々がいらっしゃるので道中は片道通行となっていました。誘導員に従って会場の出入りをされてください。
名称 | 金村別雷神社 |
住所 | 茨城県つくば市上郷8319−1 |
駐車場 | 一の鳥居の手前に駐車可 |
Webサイト | なし |
田倉の三獅子
公演された「田倉の三匹獅子」はつくば市指定無形民俗文化財です。ご存知ない方のために当日に境内で配布されていた案内から「三匹獅子」についてご紹介します。
今から約400年前の江戸時代前期に疫病が流行した頃に村人たちが獅子舞に祈りを込め厄災を取り払おうとしたのが この獅子舞の始まりとされています。
配布チラシより
「田倉の」とあるように神社専用の芸能でなく、田倉周辺の神事などにあわせて奉納されてきました。しかしそれも万博からしばらくは披露する機会がなかったのだとか。
それが復活したのは昨年の令和5年。土着の芸能を通じた地域活性化のため、じつに36年ぶりに田倉地区の八幡神社で披露されました。それで金村別雷神社にもやってきた、というわけです。
ただし、演舞を古来の形で完全再現するのではなく、時代に合わせた筋書きに改めているとのことでした。どうやらかつて「疫病」としていたところを新型コロナに置き換えているようですね。
舞台の前に集まってスタート…ではなく、司会者のアナウンスが始まると獅子たちが鳥居をくぐってやってくるのです。この姿は本当にかっこいい!
演舞といっても笛・太鼓の演奏と舞だけではありません。 構成は演技を含めた歌劇のようになっています。今回は節分、つまり鬼退治のため獅子たちが活躍するお話でした。ただし、鬼は「ぼんてん」と呼ばれていました。
鬼がなかなか見つからずにやきもちするようなシーンもあって子供達も楽しめたようでしたね。キツネやおかめ、ひょっとこも現れたのですが、こちらは物語とはさほど関係しない模様。ひょっとこはメチャメチャ酔ってました。
ところで「ぼんてん」とはなにかご存知ですか?わたしが頭に浮かべたのは「梵天」で、一般的には仏教の天部として知られているかと思います。インド神話やヒンドゥー教では「ブラフマー」と呼ばれています。
しかしこの獅子舞ではそれとは全く違う意味で使われていました。家に帰って「ぼんてん」を民俗学の分野で調べてみたら、主に修験道で用いられる言葉で神道の御幣にあたる、とありました。つまり依代ですね。
獅子舞の流れからすると鬼が依代である梵天に降りたので、梵天退治で鬼退治になるという意味かと思います。 当社の神輿は鳥居と卍の紋があるといいますし、江戸時代以前は神仏習合が色濃かったのでしょう。
獅子は雄獅子、雌獅子、子獅子です。黒い胴体に大きな鼻の獅子は県北地域では「ささら」として親しまれているかと思います。県南や周辺ではあまり見かけないので、たいへん貴重な芸能を拝見しました。
お話もユニークだし、ぜひまた見てみたいですね。獅子舞は年に何度か節分祭などで演じられるそうです。地元でない方はSNSをフォローして情報を逃さないようにしましょう!(リンク:上郷市街地活性化協議会)
wata
三匹獅子の復活にあわせて獅子頭が新調されました。助成金により太鼓も新しくなりました。
竹垣代官の紙芝居
竹垣代官とは、江戸時代後期に上郷地区を約22年間治めた竹垣三右衛門(直温)のことです。代官は幕府領を治める役職ですね。
代官による徳政によって多くの人々が救われたことからその政治を後世に伝えようと、わかりやすい紙芝居 としてまとめたのです。この紙芝居はすでに上郷の小学校で公演されているとのことでした。
代官は上郷だけでなく周辺の六万石を治めました。退官した文化11年(1814年)の翌年に亡くなり、その年のうちに当社の境内に頌徳碑が建立されています。よほどその徳政が知られていたのでしょう。
紙芝居は上郷の方々が中心となって声優をつとめ、子どもにも分かる優しい内容でした。金村別雷神社に初詣する家族が石碑に気付いてという展開だったので、かなり地元に根ざしたものですね。
代官の幕府への訴えは給付がメインだったようですが、複雑化した現代であれば減税が良いでしょうか。重要なのは人々の負担が大きすぎると却って収穫と税収が減少してしまう事実を認識することですね。
どんど焼き
近年はこの正月行事をする地域が少なくなっています。小正月(旧暦の正月14日か15日)の行事なので節分と同時に開催されることはかなり珍しいのではないでしょうか。
どんど焼きを簡単に説明すると正月飾りを山の字のように積み上げて燃やす行事です。 その年の豊作や厄除けを祈願すると同時に季節の区切りとして考えられてきました。
会場のすぐ近くには消防車が控えていて消火の準備は万端。でもチラシにはいつ始まるか時間が書いてなかったので待ち遠しかったです。実際には市長が到着した午後一時頃から始まりました。
まずは宮司の祈祷から。 東西南北の四方でお祓いし、祝詞が読み上げられます。それが終わると市長が藁に着火。火はまもなく山へと燃え移り炎上となりました。
上の写真を見ていて気がついたのですが、市長のウインドブレーカーの胸部分には「KAMIGO」と入っていますね。この前には上郷(KAMIGO)タオルの宣伝をしていたし、上郷の最強広報としても活躍していました。
燃え尽きるまで10分もかからなかったと思います。ときどき竹がパンッと破裂して観客を驚かせていました。そういうものだと知らなければ事故だと思うところですね。
どんど焼きの火が完全に消えきる前に見物客は売店やステージへと自然解散。なんともあっさり。でもこうやって季節は変わっていくものですよね。
・田倉の三獅子は災厄を払う獅子が活躍する民俗芸能
・竹垣代官は江戸時代に徳政をした幕府のお役人
・どんど焼きは正月飾りを燃やす小正月の行事。豊作や厄除けが祈願される
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。