北斗寺と妙見信仰|つくば市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

「北斗」は「北斗七星」の略称。わたしにとっては『北斗の拳』ですけどね。馴染みのある言葉なのでお寺の名前にあると興味津々。さすがにケンシロウは関係ありませんが、どのような信仰なのかはわたしでなくても気になるはず。

今回はつくば市栗原の北斗寺ほくとじ(真言宗豊山派)を紹介します。境内の妙見みょうけんに安置される妙見菩薩が有名なお寺です。ぜひご覧ください!

この記事でわかること

  • 由緒とご本尊
  • 妙見菩薩について
  • 御朱印のいただき方
北斗寺
北斗寺

由緒

不詳
創始

大内氏の祖といわれる百済の琳聖太子が栗原の地を訪れて妙見菩薩をお祀りしたのが北斗寺のはじめとされる

弘仁12年/821年
創建

勅命を受けて国分寺を訪れていた最仙が、北辰霊符の秘法を修めるために小田の郷に寺院を築き北斗寺と名付けた。
その際に妙見菩薩像を安置し、本地仏として本尊の薬師如来像を最仙自らが彫刻した。

天正年間/1573-1592年
移転

小田氏治の時代に藤沢(現在の土浦市新治)に移転。
*『茨城県の地名』による

万治2年/1659年
現在地に再建
永禄年間/1558-1570年
堂宇焼失

兵火のため堂宇焼失
*『茨城県の地名』による

元禄16年/1703年
本堂再建

昭和55年/1980年
寺号標建立
昭和59年/1984年
境内大改修

本堂、山門、鐘楼堂、宝篋印塔大修理、客殿改築。

ご本尊は薬師如来です。また薬師如来の仮の姿(教令輪身)という位置付けで妙見菩薩をお祀りしており、当寺の愛称「妙見様」はそちらからです。

当ブログではあまり紹介してこなかった妙見菩薩。当寺の配布物では次のように説明しています。

妙見菩薩(妙見様とは)

北斗七星・北極星を神格化した菩薩です。妙見菩薩の仏像は右手に剣・左手に摩尼宝珠を持ち、鎧を来て、亀に乗ったお姿です。北極星は、常に真北で輝いており、古来より旅人を導く目印として認識されていたことから、人生の道を導き開いてくれる開運の守護神として深く信仰されてきました。有名な人物では、伊達政宗や勝海舟、坂本龍馬も信仰したといわれています。

妙見菩薩は時代や地域によって微妙に捉え方が違うようでなんとも複雑な存在です。「菩薩」としながらじつは天部(仏を守護する神)という設定もあまり知られていません。千年を超える歴史があるので自然なことです。

妙見菩薩と親しい神仏に天之御中主神と虚空蔵菩薩があります。龍ケ崎市の星宮神社では妙見菩薩を勧請して創建としながら江戸期の本尊は虚空蔵菩薩だったようです。なぜ信仰が混在するのかは興味深いところ。

当社の場合は社伝を読む限り信仰は概ね一貫しています。それに非常に由緒あるお寺のため以下の寺宝が県指定文化財となっています。さすがに普段は公開していませんけどね。

  • 大般若釈迦十六善神(絹本着色)
  • 不動明王画像(絹本着色)
  • 興教大師画像(絹本着色・淡彩)
  • 仏儀次第(紙本墨書)
  • 後奈良天皇歌切

『茨城の寺(三)』や『茨城の地名』によると、寺はなんどか移転しています。小田城ができた頃に小田へ。同時に八田知家が寺堂を建立して北斗明王を守護仏としたとか。

永禄年間に寺堂は焼失。天正年間になると今度は藤沢の地に移りましたが、やがて藤沢城主と住職が不和となり田土部へ。藤沢時代は末寺が三ヶ寺あったそう。

『新編常陸国誌』だと永国(現在の土浦市内)の大聖寺の末寺とありますから、真言宗となったのは江戸時代でしょうか。当寺の開基とされる最仙は天台僧なので創建当初からしばらくは天台宗だったと思います。

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年中行事に旧暦1月7日の星祭り(妙見尊大祭)と同7月7日の大般若会があります。旧暦にもとづいた祭りは暦自体に神秘的な力が宿るとする古来の教えによるのでしょう。
文化財一覧

昭和35年(1960年) 北斗寺仏儀次第、絹本著色興教大師画像、絹本著色黄不動明王画像、絹本著色釈迦十六善神画像(すべて県指定)
昭和42年(1967年) 後奈良天皇歌切(県指定)

アクセス

最寄りのICは常磐道の土浦北。下りたら国道125号をつくば方面に進み、下大島のT字路を左折。その先3つ目の信号を右折して道なりに進むと左手に見えてきます。

整備された駐車場があったかはわかりませんが、境内は広いので安全に停められる場所はすぐに見つけられるかと思います。

名称七宝山 医王院 北斗寺
住所茨城県つくば市栗原1129
駐車場あり
Webサイトなし

寺号標

寺号標
寺号標

お寺の境内は山門や本堂周辺かと思いますが、寺号標や観堂の位置から察するにかつてはもっと広かったのではないでしょうか。山門へと続く道の周辺が境内だったとするとかなり広大。

昭和期に建てられた寺号標の「霊場 妙見大菩薩 別當 北斗寺」は面白いですね。寺社で別當(別当)というと明治以前の神仏習合時代に神社の祭祀を担った寺やその代表者を意味します。

これは妙見菩薩が仏とは別の存在とされていたことを示すのでしょう。純粋な仏尊とするよりも「大権現」などと同じ分類ということです。

北斗寺は「妙見様」と呼ばれることから妙見菩薩を本尊と誤解されることが多いそう。北斗寺に限らず妙見菩薩をご本尊とするお寺は稀かと思いますが、その辺りの事情を理解されている方は少ないでしょうね。

山門と鐘楼堂

山門
山門

山門の先はお寺らしい雰囲気。山門を直進した先にあるのが庫裏です。御朱印をいただきたい方はどうぞ。本堂は向かって右手となっています。

なお、山門の脇は若干のスペースがありますので車両で通行できるようになっています。門の裏手のあたりですと安全に駐車できるかと思います。

鐘楼堂
鐘楼堂

山門の右手に見える鐘楼堂。足があるタイプは比較的珍しいのではないでしょうか。わたしは高いところが苦手、しかも上るためにハシゴとなるとなおさら。わたしだったら僧侶は務まらないかもしれない。。

鐘楼堂と桜
鐘楼堂と桜

余談ですが、当寺の境内は春になると桜により美しく様変わりします。鐘楼堂もフォトスポットになりますので癒やされにお参りするのもよろしいかと思います。そういえばここは一昔前まで桜村でしたね。

本堂

本堂
本堂

お寺の配布物に従って由緒のところに本堂の再建は元禄期と書きましたが、そちらは当時の本堂である妙見堂を指すかと思います。現在の本堂は見るからに新しい。

本尊の薬師如来はこちらでお祀りされているのでしょう。同如来について配布物から引用します。

嵯峨天皇の時代(西暦821年)、時の名僧最仙上人が自ら一刀三礼(「鑿」を手にするごとに三度ずつ礼拝)して彫られたといわれています。しかしその後、何者かの手により、薬師如来の手が阿弥陀如来の手(来迎院)に代えられてしまい、十年ほど前に現住職が薬師如来の手に代えるまでそのままでした。また、脇士の日光・月光菩薩もあったようですが、現在は残念ながらありません。

薬師如来といえば東方を守護する仏。手には薬壺と呼ばれる蓋付きの小鉢のようなものを持っていて、どんな人の病や障害も取り除いてくれるとされます。

天台宗で古くから信仰されており、茨城では西蓮寺(行方市)の薬師如来像が有名ですね。同寺は当寺と同じように最仙によって開山されていますので何か繋がりがあるかもしれません。

『茨城の寺(三)』によると、寺宝の大般若経(600巻)と釈迦十六善神画像は大宝八幡宮(下妻市)から購入したものだそう。これも天台宗の繋がりかもしれませんね。

寺紋
寺紋

寺紋は「亀甲に花菱」。妙見信仰でよく見られる九曜紋は妙見堂にだけにありました。

妙見堂

妙見堂
妙見堂

本堂の右手に進むと江戸時代中期に建てられた妙見堂が見えます。こちらは明らかに古い。大棟には九曜紋が輝き、全体は朱で彩られています。

彫刻まで真っ赤。修繕しているかと思いますが、300年以上経過してこれなら昔はさぞ鮮やかだったのでしょう。

扁額
扁額

当寺の妙見様には興味深い伝承がありますのでお祭りのチラシから引用します。

副住職が描いた妙見菩薩象像
副住職が描いた妙見菩薩象像

推古天皇の時代(西暦594年頃)、周防国青柳の浦(現在の山口県下松市)の松樹に北辰尊星が降臨し、七日七夜輝いて大内氏の祖といわれる百済の琳聖太子の来朝を守護しました。この琳聖太子は、妙見菩薩の尊像並びに霊符などを帝に上進した後、茨城を訪れ、栗原の台に妙見菩薩をお祀りしました。この妙見菩薩が北斗寺の妙見様です。

あわせて副住職が描いたイラストも紹介しちゃいました。一般的に知られる妙見様と同じですね。剣を持ち甲冑をまとい亀に乗っています。やさしいタッチでなんともラブリーではないですか。

当妙見様にはさまざまなご利益があるとされましたが、厄除けや家内安全などの他に勝負事や商売繁盛などもよく祈願されました。旧暦7月の大般若会では雨乞いもされたとか。

なぜそのような願いがされるのか不思議かもしれませんが、これにはしっかりとした理論があるように思います。最後にわたしが解釈した北斗寺の妙見菩薩について紹介いたします。

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妙見菩薩は旧暦1月7日の例大祭(妙見尊大祭)の日だけ御開帳されます。貴重な機会なので都合のよい方はぜひ足を運んでみてください!

御朱印

北斗寺の御朱印
北斗寺の御朱印

北斗寺の御朱印です。本堂から向かって左側の庫裏でお声掛けください。

建物を入ったところでお寺の由緒や寺宝などが載ったパンフレットをいただけました。ありがたいことです。

考察:北斗寺の妙見菩薩

妙見堂と桜
妙見堂と桜

北斗寺の妙見菩薩は北斗七星あるいは北極星を含めた北斗七星の神格化だと思います。重要なのは北極星(のみ)の神格化でないこと、それに「艮」の象と見れることです。

もしかしたら他の地域の妙見信仰に通じる部分があるかもしれませんが、あくまで北斗寺と茨城周辺を参考としたわたし独自の考察として紹介いたします。

易と五行説に関係

日本の妙見信仰は大内氏の祖とされる琳聖太子によってもたらされたという伝承を前述しました。じつはこの伝承について当寺の別の配布物にもう少し詳しい記述があるのです。

この琳聖太子が妙見菩薩の尊像並びに霊符の曼荼羅、星供十二の巻物、八卦の香炉具、その他霊宝を帝に上進したところ、帝は代々星供を行わせるようになったということです。

ここでわたしが注目するのは「八卦の香炉具」です。八卦とは古代中国の哲学である「易」の思想の一部。その内容は『易経』にまとめられており、「当たるも八卦当たらぬも八卦」というように占いにも使われます。

八卦は万物が陰と陽の気が混ざり合って成立する前提のもと、さまざまな事象を八つの卦で表現します。方位であれば四方(東西南北)と四隅(東北・東南・西南・西北)をあわせた八方位という感じです。

上の図は『易経』から八卦とその代表的な象を抜粋してまとめたものです。この後の説明にも関するので覚えておくと便利かと思います。

香炉具の詳細は不明ですが、ここで八卦の言葉が出るということは、妙見信仰は八卦およびその背景にある易の影響が多少なりともあるとして間違いありません。

それと気になるのは「星供十二の巻物」。こちらは十二支との関係が疑わしい。十二支は今でこそ動物を意味する漢字として年末年始にしか話題になりませんが、本来は万物の栄枯盛衰を表した記号です。

易は将来を見通すための占いです。そのため変化の法則を示す十二支と親和性があり思想的にはほぼ一体化しています。要するに易と十二支(とその背景にある五行説)が妙見信仰を読み解く鍵になると思います。

「妙見」とは

八卦によって妙見菩薩を読み解こうとすると興味深いことに気が付きます。まずは「妙見」について。一般的には「優れた視力」「優れた所作」と捉えられています。「見」の解釈に違いがあるようですね。

わたしとしては前者の解釈が妥当だと思います。というのは、妙見様には目を治す神徳があるとか、妙見様の眷属であるウナギを食べると目が潰れるといったように目に関係する伝承がよく見受けられるためです。

それを踏まえて八卦を見直してみると「艮」の卦が気になります。漢字の意味は次のとおりです。(八卦の卦である記述を除く)

【意味】
②(名)うしとら。十二支を配当した方位・時刻の一つ。方角では東北、時刻では午前二時から四時にあてる。丑寅。
③(動・形)とどまる。とどめる(とどむ)。とまって動かない。また、おしが強い。強情である

学研 新漢和大字典|編:藤堂明保・加納喜光

そして漢字の成り立ちとしては次のようなものがあります。

【解字】
会意。「目+匕(小刀、ナイフ)」で、小刀で目のまわりにいつまでもとれない入れ墨をすること。
あるいは、視線を小刀で突きさすようにひと所にとめることをあらわす。一定の所にとまっていつまでもとれない、の意を含む。
学研 新漢和大字典|編:藤堂明保・加納喜光

【会意】目+人。目は呪的な目的で聖所などに退く人の形がかかれており、進入者がその邪眼におそれて卻く意をあらわす。ゆえに很戻の意となる。

字通|白川静

共通しているのは「目」によって人を止めたり退けるとされること。そしてその意味は八卦の艮の象である「止」にも通じています。象とは卦(この場合は「艮」)によって示されるものという意味です。

艮は方位では東北を意味します。東北はいわゆる「鬼門」で鬼があらわれるのですから、艮には「止める」と「出る」の相反する性質があるのです。要するに眼力により禍を呼び寄せたり防いだりできるわけです。

眼力はともかくとして、当寺の元本山にあたる比叡山延暦寺は都の東北に創建されたまさに艮に対する信仰であり、平穏な世を願う場でした。当寺もまた同様の願いのもと創建されたのではないでしょうか。

「艮」と「七」

八卦にはそれぞれ「易数」が割り当てられており、今回取り上げている「艮」は「七」です。しかも艮だけは先天易でも後天易でも七です。(先天と後天は成立年代と方位の割り当てなどが違う)

北斗寺の「北斗」は北斗七星を指しますから、寺の名前からして妙見様とは密接な関係があるように思います。年中行事が七の付く日に催されるのも無関係ではないでしょう。

また、茨城の旧北相馬郡ではいわゆる平将門の乱を起こした将門のもとに妙見菩薩が七人の影武者として現れた伝承がありますが、そこには興味深い内容が見えますので紹介します。(振り仮名は省略)

平将門が、小貝川のわたしで、平良兼とたたかったとき、ふしぎな童子(子ども)があらわれた。川をわたろうとすると、「こちらにあさいところがあります。」といって、将門軍をあんないしてくれる。いよいよ矢合わせ(矢を射かけてたたかうこと)になると、どこからともなく、いくらでも矢をもってきてくれる。武士たちがくたびれたとみると、かわって弓をひいたりもする。とてもなみの童子とはおもえなかった。
この童子は、じつは下総の国花園(いまの千葉市花園町)の妙見菩薩の化身だとわかった。
妙見菩薩とは、北斗七星で、国をまもり、災害をなくし、人をしあわせにしてくれるありがたい菩薩さまだったから、将門は筒戸(いまの筑波郡谷和原村筒戸)や、領地のあちこちに妙見菩薩をおむかえして、あつく信仰した。

茨城県の民話|編;日本児童文学者協会

妙見菩薩は童子の姿だったとあります。じつは北斗寺の妙見菩薩も同じように童子の姿で大人のような形相であると『茨城の寺(三)』に書いてあります。前に紹介した副住職のイラストはかなり特徴を捉えているんですね。

なぜ妙見様は童子の姿なのでしょうか。それはおそらく艮の象に少男(童子)があてられているせいです。酒吞童子や茨木童子などの凶暴な鬼の名になぜか「童子」がつくのもきっと同じ理由かと思います。

五行説との関係

なんとなく八卦と妙見菩薩は関係あるかもーと思えてきませんか。でも探せばもっと面白いものが見えてきます。長くなってしまうので説明を省きますが、五行説を理解すると妙見菩薩をより深く理解できるはずです。

たとえば、八卦の「艮」は五行説では「土気」に属します。土気は「火生土」の法則によって生じますから、境内にはなんらかの「火気」が見えるはず。わたしが見たところ妙見堂の朱色や祭りで焚かれる護摩は火気です。

また、当寺の妙見像は亀に乗り甲冑をまとっているそうですが、その2つは『易経』の『説卦伝』で離の象とされているので火気とみなせます。相生によって生じた気は特に強力なので妙見様の傍には火気が付き物なのです。

さらにいえば土気は「土生金」の法則により金気を生じます。妙見信仰が金属を採掘する鉱山や製鉄の現場で見られるのはそのせいではないでしょうか。

駆け足の説明になってしまったので不明な点がいくつもあるかと思います。それに本当はもっと細かく追求できますので興味のある方は易や五行説を勉強して調べてみてくださいね。

まとめ

易の思想を通じて妙見様と八卦の艮の関係を見てきました。妙見様が優れた眼力を持つこと、数字の七と関係が深いこと、姿が童子であること。この3点は艮の象として捉えてよいのではないでしょうか。

また、易と深い関係にある五行説を用いることで他の地域の妙見信仰も読み解けるのではないかと思います。気になる方はぜひこれらを研究のツールにしてみてください!

余談:九曜紋

九曜紋
九曜紋

妙見堂には妙見信仰でよく見られる九曜紋が示されています。この紋については諸説ありますが、わたしはやはり妙見菩薩に通じる北斗七星を意味すると思います。ざっくり説明します。

北斗七星は北極星を起点として1時間に15度ずつ回転する性質を持っています。つまり24時間で1回転ですね。1回転ということは北極星を中心としてすべての方位を巡るわけです。

「八方除け」と言うようにすべての方位は八方で表現されますから、その中心に北極星を加えた九つの○は北斗七星をそのまま表現した図像といえないでしょうか。(古くは星を○で表現しました)

北斗七星の回転は実際のところ地球の自転によるので他の星にもいえますが、北斗七星が殊更に強調されるのは北極星に隣接していることと『史記』で天帝(北極星の神格化)の乗り物とされることなどが挙げられます。

九曜紋の「曜」は「輝く」の意味があります。もし世間でいわれるように紋の中心が太陽だとすれば周辺の星の輝きは分かりません。星が抽象的な意味だとしても、それと妙見信仰が結びつくかといえ疑問が残ります。

wata

家紋の場合は家ごとに考え方があると思いますよ!

妙見尊大祭

参道入口
参道入口

北斗寺の例大祭は旧暦1月7日に開催されます。日付は固定ですので現代の太陽暦では平日に開催されることが少なくありません。しかし、令和5年は土曜日にあたりましたので、ついにお参りできました!

毎年刷られるチラシは日付とライブの告知以外はだいたい同じ。護摩祈祷は7時から16時まで1時間毎に焚かれ受付は随時です。ずいぶん早い時間から開場されているので、近隣であれば早めがいいかと思います。

当日はお寺の中にはほとんど駐車できません。境内近くに警備員が配置されておりますので、誘導に従い臨時駐車場に停めることになります。この日は風が強い日だったので例大祭用の旗は早めにしまったようですね。ただ、快晴に恵まれた最高の祭り日和となりました。

参道には屋台
参道には屋台

寺号標から山門に向かう途中には屋台が並び、いつもの風景とは一変。駐車場の関係でぎゅうぎゅう詰めにはなりませんので、参拝はしやすかったです。

本堂前でだるまの販売
本堂前でだるまの販売

本堂の前ではだるまの販売。そう、だるま市といえば本来は旧暦の正月7日の行事です。なので当寺の例祭はまさに市にふさわしい日取り。

だるまとは禅宗の開祖である達磨大師を模した像のこ。達磨大師の古い肖像画を見ていただくとわかるのですが、その多くは赤い衣をまとい座するなどして三角形のシルエットで描かれました。それはまるで五行説の火気を体現するがごとくです。

火気の本性は炎上。成長や発展に通じる気であり、その盛んな状態は数字の7で表現されました。だるま市が7日なのはそのせいといわれます。また、正月(1月)は寅月であり、火気のはじまりの月とされるため、当寺の護摩祈祷のように正月には火に関する行事が多いのです。

開放された妙見堂
開放された妙見堂

妙見堂に到着したのは午前10時頃。堂内にはすでに多くの方がご祈祷を受けており、読経が聞こえておりました。ふだん閉じられている光景ばかり見ていたので新鮮ですね〜!

妙見堂の奥にはご本尊の妙見菩薩像が安置されていました。外からでもそのお姿は見れたのですが。。それを知るのは実際に足を運んだ方だけの特権ですね。

副住職のイラストのとおり、大きな亀に乗って立派な剣を携えていましたよ。なんとも凛々しいお姿でした。円光背と剣は金ピカでしたね。

妙見菩薩の画
妙見菩薩の画

この日は妙見堂や授与所が開放され、ふだんは見れない数々の画を直に目にできました。貴重な機会に感謝です。こちらには後天易図が六十四卦が見えます。やはり妙見信仰と易の思想は縁があるようですね。

まとめ

・創建は平安期。当初から薬師如来を本尊とし妙見菩薩を信仰していた
・妙見菩薩は北極星の神格化。北方の守護神である亀に乗っている
・御朱印は本堂向かって左手の庫裏でいただける

参考文献

茨城の寺(三)|今瀬文也
茨城県の地名|編:平凡社