勢至山 一心院 解脱寺〜頭白上人の伝説(つくば市)

二十三夜尊にじゅうさんやそんとはどんな存在でしょうか。二十三夜『講』だとなんとなく宴会が思い浮かぶのですが、『尊』はピンときませんよね。

ただ、各地で見かける言葉なので気になっている方は多いのではないでしょうか。地域によって意味があるそうなんですけどね。

この記事では二十三夜尊のあるつくば市の解脱寺げだつじをご紹介します。茨城県民でしか知らないであろう『頭白上人の伝説』とあわせてどうぞ!

解脱寺

勢至山 一心院 解脱寺はつくば市小田にある浄土宗のお寺。小田城跡のすぐ近くにあります。

創建は応永5年(1398年)。開山は那珂郡瓜連(いまの那珂市)の常福寺の5世・弁誉上人。開基は小田城主の小田孝朝といわれています。その後、戦乱によって寺は焼失。天正年間(1573-1593年)に団誉上人によって再建されました。

はじめは小田氏の加護を受けていましたが、佐竹氏の支配下となり9世・舜誉上人の元和元年(1615年)には、星宮大権現と妙見菩薩を安置。文化6年(1809年)の15世のとき宮殿を建立。

本尊は弘法大師作といわれる阿弥陀如来像です。見事な造りと評判ですが、本当の由緒は。。恵心作の観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来像などもありますが、こちらも別説あり。

由緒で注目したのは瓜連の常福寺の影響力です。県南の遠く離れた場所にも高僧がいたということで有数の寺院だったことがわかります。

また、さりげなく小田氏から佐竹氏のお寺となりましたが、こちらには興味深い逸話があるんです。それが頭白上人伝説!

解脱寺の入口

解脱寺の入口

車でお越しの場合、駐車場は石柱の先にあります。突き当りの山門前を右折すると参拝者用の駐車場です。

わたしは少し離れた市営の無料駐車場からお参りしましたので、参道の両脇に並ぶ石仏をじっくり観察。

参道の石仏

参道の石仏

弘法大師像?や馬頭観音の石碑など。このお寺の石仏のお顔はなかなか個性的。。のっぺりした感じです。

山門

山門

山門です。手前には小さな橋がかけられていて、かつて水路があったと思われます。

二十三夜尊

二十三夜堂

二十三夜堂

山門をくぐった右手に手水舎。正面は二十三夜堂です。むかしは三夜さんと呼ばれていたそう。二十はどこにいった。

勢至堂とも呼ばれていて、堂内に大勢至菩薩が安置されています。

二十三夜。。それがなんなのか説明できる方は少ないのではないでしょうか。わたしもよくわかりません。

ただ、二十三夜は月の満ち欠けを示していて、その夜には大勢が月を拝んでいたこととは知っています。(宴会含む)

社交の場であり、信仰によりご利益を得る機会といったところでしょうか。

解脱寺の場合は、勢至堂の隣にわら屋根のお風呂があって旧二十三夜に入ることで病除けをしたとか。ふ、ふろですか。。何人で??

月を連想する装飾

月を連想する装飾

屋根も独特です。手前の装飾は月のように見えませんか。上に乗っているのはしゃちほこでしょうか。

そういえば、潮来市の辻にある二十三夜尊も屋根にしゃちほこがありました。どんな関係なんでしょ。

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むかしは二十三夜尊が社交とストレス発散の場だったかもしれませんね。

本堂

本堂

本堂

本堂の創建は享保年間(1716-1736年)。昭和2年(1927年)に改築されました。

なかなか素朴で味わいがありますね。わたしは薄い黄土色の部分が好きです。

星宮と菩薩を一緒に安置することは神仏習合のあらわれ。 現代ではほとんど見られないでしょう。

解脱寺は佐竹氏の影響で星宮大権現と妙見菩薩を安置したと前述しました。妙見菩薩は北極星を神格化したもので特に武士から信仰されていました。

揺るがない不動の輝きがよいのだとか。。。解脱寺は二十三夜尊もありますから、昔から星に対する信仰が篤かったのでしょう。

ところで、星宮大権現についてはよくわかりません。

埼玉県の円泉寺のブログによると星宮神社は栃木県に非常に多いそうです。星宮神社は明治の神仏分離以降の名前でそれ以前は星宮大権現と考えられますから、栃木の歴史を紐解くと大権現の正体に近づけるかも。。

その栃木県、じつは解脱寺に関係する民話にちょろっと登場します。なにか関係があったら面白いのですが。。

参考 栃木県の元虚空蔵菩薩・元日光修験関連ー星宮神社と磐裂神社円泉寺

頭白上人の伝説

頭白上人。知る人ぞ知る名前でしょう。生まれや育ち、すべてがミラクル。上人に関連した2つの伝説をご紹介します。

むかしむかし、下野国の名主の家におしのという美しい娘がおりました。おしのが年頃になると家のあとを継ぐために佐源次という婿をもらったのですが、どうも母親との関係がうまくありません。

ある日、母親は耐えかねて佐源次を追い出してしまいました。しかし、おしのにとっては大切な夫。このままではいけないと自分も家を出て夫を探す旅をはじめました。

長い旅の果て、佐源次は常陸国の山ノ荘(土浦市新治)にいるとわかりました。やっと夫に再会できると喜んだのもつかの間。おしのは山中で強盗に殺害されてしまったのです。

それからしばらくして小田の『さる子だんご』に夜な夜な奇妙な女が来るようになりました。疲れ切った顔をしてか細い声でだんごを求めると真っ白な手でお金を差し出します。若い店の者が気になって女のあとを追うとそこはお墓でした。

少しするとお墓の中から子どもの鳴き声が聞こえます。気味が悪くなった若者は近くの村人を集めて鳴き声のもとを探しました。

やはり墓の下でした。中を掘ると赤ん坊が母親の死体にすがって泣いました。女はおしので佐源次の子を亡霊となって育てていたのです。

この赤ん坊は生まれたときから髪が真っ白だったので頭白と呼ばれるようになりました。頭白は近くの解脱寺に預けられ、やがて高僧へと成長していきました。

ちょっと怖いお話ですが、母親の愛情があらわれていると思います。

ただ、全国的に耳にする物語なのでしょうか。鉾田市の無量壽寺にも似た伝説があります。あと『地獄先生ぬ~べ~』にも現代風に書き換えられてありました。

さらにこの伝説は続きがあるんです。しかも小田氏の滅亡や佐竹氏にも関係しています!

母の菩提を弔うため、全国を巡礼した頭白上人は永正12年(1515年)にふるさとに戻ってきました。そして母のお墓に五輪の塔を建て供養を行いました。

ところが、その当日、小田城主の小田左京大夫が多くの家臣を連れて鷹狩にやってきたのです。左京大夫と家臣は馬で墓所を荒らし回ったので、頭白上人は激怒しました。

「わたしは次の世で武人となって生まれるであろう。そして小田氏を決して許しはしない」

頭白上人は数年後に亡くなりました。

それから数年後、常陸国の北部で佐竹義重に長男が生まれました。成人して『義宣』を名乗ると父の後を継ぎ、破竹の勢いで常陸国を平定していきました。

そして小田氏も義宣の勢いに押され、ついには滅ぼされてしまったのです。人々は小田氏を滅ぼした義宣を予言を残した頭白上人の生まれ変わりと信じるようになりました。

小田氏が頭白上人のリベンジによって滅ぼされるショッキングな結末。

頭白上人が実在したかどうかはわかりませんが、伝説の五輪の塔はいまでも旧新治村の金嶽神社の境内にあります。

このお話は東海村の虚空蔵堂とも関連して語られることもあります。茨城の民話Webアーカイブには全文がありますよ!

参考 頭白上人伝説:生まれ変わって敵を倒す茨城の民話Webアーカイブ
MEMO
頭白は「とうはく」ともいわれますが、参考にしている『いばらきのむかし話』のふりがなに沿って書きました

余談

本堂

本堂

頭白上人が生まれ変わって母のかたきを討った物語。筋としてはわかるのですが、だれがこの伝説を語ったか興味がありませんか。

小田氏と佐竹氏のうち、どちらも積極的に語りたがらない内容ですし、一般の村人はそもそも事件があっても知らない可能性が高い。。

この民話はバリエーションが豊富で上人の両親ははじめから山ノ荘に住んでいたともいわれます。その場所は東成寺のすぐ近くだったとか。

東成寺は東城寺と名前が変わっていまもあります。このお寺は真言宗で小田氏に数百年も保護されていました。

でも、小田氏の前は平氏に保護された天台宗のお寺だったんです。

小田氏にお墓を荒らされて怒った頭白上人。平氏や山ノ荘の村人とシンクロするものがあるんですよね。

今回、解脱寺や小田氏と関係するのでつくば市のお話としてご紹介しましたが、本当は山ノ荘(土浦)で語り継がれていたのかもしれませんね。

アクセス

名称勢至山 一心院 解脱寺(浄土宗)
住所茨城県つくば市小田3146
駐車場あり

まとめ

つくば市の解脱寺は星に対する篤い信仰がありました。小田氏や佐竹氏といった武士に保護されていた関係が考えられます。

頭白上人の伝説があることから、僧侶の教育の場としても活躍していたのかもしれません。

上人の伝説は亡霊や恨みといったおどろおどろしい内容となっています。

参考図書

茨城の寺(一)/今瀬文也
いばらきのむかし話/編:藤田稔
茨城の伝説/編:茨城新聞社
茨城の伝説/編:茨城民族学会

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