【元帥陸軍大将も研究】本木の雨引千勝神社|桜川市【道案内の神】

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

美しいあじさいやマダラ鬼神祭で年中大賑わいの雨引あまびき観音。もし、車でお参りされたら、ぜひ途中の雨引千勝ちかつ神社にも立ち寄ってみてください。

道案内の神様を祀る神社で趣のある境内。ちょっぴりミステリアスなところもあるので想像して散策するのが楽しいですよ。大きな神社ではありませんが、由緒やご祭神について考えてみてはいかがでしょう。

ちなみに『茨城県神社誌』によれば、畑俊六氏(元帥陸軍大将)が猿田彦研究のために当社を訪れたことがあるそうです。その成果をパンフレットにまとめて寄贈したと言うから現存するなら見てみたいものです。

由緒

大同2年/807年
創建

9月29日、千勝民部大輔藤原国定、鹿島より勧請奉祀(旧社名:千勝大明神)

明治6年/1873年
村社列格および改称
昭和27年/1952年
宗教法人設立
令和2年/2020年
社殿修復および社務所改築

東日本大震災で受けた損傷を修復
*境内石碑より

ご祭神は猿田彦さるたひこです。神話での活躍から「道案内の神様」として知られています。神社の神輿渡御などでも先導役を務めるのでイラストのような風貌を見たことある方は多いはず。

高い鼻や赤い顔といった特徴も知られていますが、わたしが注目して欲しいのは「邪眼」の持ち主ということです。『日本書紀』の一書にあることで、その鋭い眼光によって高天原と葦原中国を行き来する者を阻んでいたのでした。

邪眼と聞くとアニメとかマンガの世界の表現のように受け取るかもしれません。しかし、じつはそれを意味する漢字(艮)だってある古い言葉なのです。

艮の音読みは「コン」「ゴン」、訓読みは「もとる」「なやむ」、そして「うしとら」です。白川静の『字通』では次のように説明されています。

目+人。目は呪的な目的で聖所などに掲げられている邪眼。その下に、後ろ向きに退く人の形がかかれており、侵入者がその邪眼に恐れてしりぞく意をあらわす。ゆえに很戻こんれいの意となる。

字通|白川静

猿田彦命は道案内をする一方で邪眼によって道を遮るわけです。道祖神や塞の神として祀られる理由がなんとなくわかりませんか?

当社の菊水の紋は元寇の際に常陸国に渡った楠木氏が戦勝祈願のために奉納したといわれています。笠間藩も有事の際に必ず参拝しましたので『南朝派』や『戦勝祈願』は神社のキーワードかもしれませんね。

アクセス

北関東自動車道の桜川筑西ICを下りて約10分。近くの雨引観音にはバスが出ているのですが、そこから徒歩で来れるような距離ではありません。

当社に参拝するならほぼ車になるかと思います。駐車場は鳥居のすぐそばにあります。

名称雨引千勝神社
住所茨城県桜川市本木270
駐車場あり
Webサイトなし

一の鳥居と御神木

一の鳥居と御神木
一の鳥居と御神木

一の鳥居は駐車場から少し離れたところにあります。来た道を少し戻ることなりますが、100mほどなのですぐに見つけられると思います。

鳥居の後ろがご神木。樹高15m、幹周り6mにもなる見事なけやきです。幹からバッ!と伸びている枝がかっこいいですよね。

茨城県神社誌だと応仁年間(1467-1468年)に藩主お手植えとありますが、その時代に藩はなかったような。。

二の鳥居とシイ

二の鳥居とシイ
二の鳥居とシイ

二の鳥居は駐車場の前なので皆さん通られることでしょう。

鳥居の後ろにそびえ立つはシイです。幹周り3.7mほどの大木。しめ縄があるので、こちらをご神木と思っている方が多いかも。手水舎の隣りにあって存在感がすごい。。

永正年間(1504-1521年)に領主のお手植えといわれています。

シイの大木
シイの大木

何と言ってもその太さに驚愕します。大きすぎてカメラに収めにくい。。参道が微妙に薄暗いのはこの大木のせいですね。

社号標とあじさい
社号標とあじさい

途中の社号標。梅雨の時期はあじさいと一緒に撮れます。社務所に人がいらっしゃることは少ないですが、近所の方が境内の整備にいらっしゃっていますよ!

その下にあるのが手水舎。わたしが当社に通い始めたときには「御清水」などの石造はありませんでした。たぶん令和になってからの境内整備事業の一環なのでしょう。若返る境内。それもまた良しですね。

社殿(拝殿・本殿)

拝殿(2024)

入母屋造の拝殿。令和になって屋根が新しくなりました。以前は赤かったのでずいぶん印象が変わりましたね。社務所に続く廊下もなくなり、境内が見違えました。

境内社もきれいに整備されましたし、たいへん結構なことかと思います。拝殿には県神社庁の御朱印ポスターが貼られています。参拝者ウェルカム!

奉納された翁と般若の面
奉納された翁と般若の面

翁と般若の能面。。翁は五穀豊穣を祈願する意味があると思いますが、般若は。。怖い顔してますけど、なんらかの信仰があるのでしょうか。雨引観音の『マダラ鬼神』のように。

本殿
本殿

ところどころ修理した跡が見える本殿。特に脇障子や縁側が修繕されたようです。県西地区はさほど揺れなかった印象ですが、古い社殿となると少しでも影響ありそうですよね。

本殿向拝の菊水紋
本殿向拝の菊水紋

当社の社殿にはいくつもの紋があって、そのひとつが菊水です。本殿向拝の水引虹梁に堂々と掲げられています。楠木氏が奉納したと伝えられますが、どうして当社だったのかは疑問が残るところ。

この本殿に猿田彦命をお祀りしているわけですが。。いつもお世話になっているりんさんのブログに興味深いことが書いてありましたので以下に抜粋。由緒にある『鹿島』から勧請されたことについてです。

鹿島地区で道案内の神を祀る神社といえば、神栖市に鎮座している東国三社の1つである息栖神社、こちらは岐神を御祭神としています。

この岐神、道の神として塩土老翁神や猿田彦神と同じものとされる事もあります。

という訳で、この事をもって断定はできませんが息栖神社から勧請した可能性は大いにあるのではないでしょうか?

雨引千勝神社(桜川・本木)/山地の住人

わたしも『鹿島』は鹿島神宮や鹿嶋(市)ではなく鹿島郡のことだと思います。息栖神社は神栖市に鎮座していますので鹿島に含まれます。それに岐神は『日本書紀』で猿田彦命と同一視されている部分もあるので気になるところ。

それと千勝神社の社名も気になります。同じ読み方の近津神社とは無関係でしょうか。津には船着き場という意味があって、山中ではふさわしくないので変えられたとか。

名前といえば、雨引にも注目です。一般的には祈祷で雨を呼び寄せた雨引観音の伝説にちなんで地名に使われるようになったといわれますが。。

天も『あま』と読みますよね。『天から引いてきた』から天孫降臨を連想できませんか。天皇の先祖は天(高天原)から降臨したという神話です。

瓊瓊杵ににぎ尊の降臨を案内したのは猿田彦命。つまり猿田彦命は『天引』の神なんです。

。。色々書きましたが、真相はまったくわかりません。ただ、猿田彦命が道案内の神とされていることは間違いありませんので、人生の岐路でお参りするのはよいかと思います。

とても心落ち着く境内ですので、雨引観音のお参りとあわせてどうぞ!

wata

雨引観音の山の麓に鎮座しておりますので護法善神のような役割があったかもしれませんね

御朱印

雨引千勝神社の御朱印
雨引千勝神社の御朱印

雨引千勝神社の御朱印です。社殿に向かって左手の社務所でいただけます。

ふだん社務所はご不在ですが、祭礼やお正月(おそらく3日まで)はいらっしゃいます。最近(2023年)は週末にいらっしゃることもありますね。

フォトギャラリー

拝殿(2019)
拝殿(2019)

まとめ

・ご祭神は猿田彦命、邪眼の持ち主とする説がある

・勧請元は息栖神社かもしれない

・御朱印は祭りの日かお正月にいただける(最近は週末にいただけるときも)

参考文献

茨城県神社誌|茨城県神社庁

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