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雨引観音(真言宗豊山派)といえば、県内でもメディア出演が多いお寺です。近年では初夏のあじさいが話題となっており、特に弁天池の水中花がフォトスポットとして知られるようになりました。
特徴としては桜川市の山中(雨引山)に位置し、古くから延命観世音菩薩をご本尊として安産、子育てのご利益があるとされてきました。ご本尊は歴史ある坂東三十三観音霊場にも数えられています。
この記事ではこんな由緒ある雨引観音を詳しく分かりやすくご紹介します!ぜひ足を運んでみてくださいね。
この記事でわかること
- お寺の由緒とご利益
- 参拝におすすめの季節
- 御朱印のいただき方
目次
由緒
主に公式サイトを参考にして由緒をまとめました。
梁の国人の法輪独守居士によって開かれる。
本尊は居士と一緒に渡ってきたといわれる。
7月、祈願により推古天皇の病気を癒したことにより勅願寺と定められる
聖武天皇ならび光明皇后が法華経を書写して当山に奉納。安産を祈念の功験あらたかであったので安産祈願の根本道場と定めて勅願寺として三重塔を造建。
国中で大干ばつが起きたため嵯峨天皇が写経して当山に納める。それにより大雨が降ったので「雨引山」の山号と勅額を賜った。
鎌倉将軍に着任した宗尊親王が当山の本尊に模した延命観音菩薩像(御前立)を奉納
宗尊親王、三重塔・仁王門・客殿・鐘楼堂・地蔵堂を寄進
12月、足利尊氏、当山に316貫文の封を寄進。
これにより当山境内では尊氏を鎮守の御所明神として祀る。
戦乱に巻き込まれ堂宇伽藍が焼失。マダラ鬼神によって再建されたという。
真壁城主真壁久幹により諸堂再興
真壁治幹により諸堂再興
徳川家康公が朱印地150石を寄進。慶長18年に駿府にて、住職宥円が家康公から直々に朱印書賜る。
真言宗新義門流関東談林として10万石の格式を称するようになった。
幕府の寄進を得て、境内に東照大権現(徳川家康)の木造を祀る
*周囲の彫刻は宝永元年(1704年)嶋村円哲の作
将軍吉宗の助力を得て東照宮が完成
真壁城の城門としてあった薬医門を移設および修復
ご本尊は延命観世音菩薩です。いわゆる「観音さま」ですね。菩薩というのは悟りを開くために修行する僧のことを言いますが、仏になることが約束されているとも考えられてます。
完全な超人である仏(如来)よりも菩薩のほうが庶民に近いせいか、仏教が伝来した頃から親しまれてきました。雨引観音の正式名称は雨引山 楽法寺といいますが、ご本尊を意識した「雨引観音」と呼ぶのが一般的です。
当寺は推古天皇の病気を治したり、光明皇后の安産の願いを叶えてきましたが、よく知られたご利益といえば「安産・子育て」。「一に安産 二に子育よ、三に桜の楽法寺」の俚謡も有名です。
今上陛下がお生まれになる際には、ご住職が宮中に参内して上皇后陛下に御守りを献上しました。当時いかに雨引観音のご利益が知られていたかがうかがえますね。
ちなみに「雨引」の由来は弘仁12年(821年)のひどい干ばつの際に大雨を降らせたことから。嵯峨天皇が雨を願って写経・奉納したところ見事願いは叶い人々を救いました。書はやはり寺宝として残っています。
春の桜、初夏のあじさい、秋の紅葉と境内は色鮮やか。桜のシーズンは「関東の吉野」とも呼ばれ、多くの方々が足を運んでいます。
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明治44年(1911年) 木造観世音菩薩立像(附前立尊)(国指定重要文化財)
昭和34年(1959年) 絹本著色十一面観音画像、絹本著色弁財天画像、絹本著色愛染明王画像(いずれも県指定)
昭和40年(1965年) 木造不動明王立像(県指定)
昭和42年(1967年) 大般若経(県指定)
昭和45年(1980年) 五鈷杵(県指定)
昭和50年(1975年) 本堂、仁王門(いずれも県指定)
昭和51年(1976年) 雨引観音楽法寺東照山王社殿(附棟札2枚)、雨引観音楽法寺多宝塔(いずれも県指定)
昭和54年(1979年) 黒門(市指定)
昭和57年(1982年) スダジイ(市指定天然記念物)
平成2年(1990年) 東照大権現家康公像(市指定)
平成10年(1998年) 東照山王大権現社殿(県指定)、鬼子母神堂(市指定)
坂東観音巡礼の第24番目。関東八十八ヵ所霊場の特別霊場に数えられています。ご詠歌はいずれも「へだてなき 誓をたれも 仰ぐべし 佛の道に 雨引の寺」
アクセス(電車・バス利用含む)
雨引観音は第1〜第5駐車場まで用意されています。もっとも停めやすく本堂に近いのは中華レストラン三笠のある駐車場です。長い石段が厳しい方もご利用ください。場所は以下を参照してください。
電車とバスを利用される方は公式サイトの次の案内を参考にしてください。
- タクシー利用
水戸線岩瀬駅下車、駅前よりタクシーにて雨引観音境内まで約10分、料金は2000円位です。- バス利用
土・休日は雨引観音前駐車場まで、平日は雨引観音入口の本木(徒歩30分)までの運行です。
詳しい運行図・時刻表は桜川市バス「ヤマザクラGO」の運行についてを参照してください。
雨引観音経由のバスは土日祝日のみです。ヤマザクラGOは一乗車あたり200円と格安。ぜひご利用ください!
薬井門
続いて境内の案内をさせていただきます。体力に不安がないのであれば、ぜひ写真の薬医門から参拝していただきたいところ。別名は「黒門」。モノクロの門はとても珍しいのではないでしょうか。
じつは当門は少し変わった経歴があるのです。造られたのは室町時代末期。元は当地にあった真壁城の城門として使われていました。それが平成11年にこちらに移転・修復されて今に至ります。
写真の石柱は公式サイトのものと一見異なりますが、色を塗り替えて位置を変えただけです。「震災の影響があったのかな」と心配していたので安心しました。
磴道と仁王門
薬医門をくぐった先にある仁王門に続く石段は『厄除け長命の石段』。ぜんぶで145段あります。1段ずつ真言の「南無観世音菩薩」を唱えて登ると長生きできると云われています。
6月になると両脇があじさいで彩られます。境内には10種類3,000株が植えられており参拝者の目を楽しませてくれます♪
見事な仁王門は寛永5年(1628年)に再建されたもの。周囲の彫刻は宝永元年(1704年)とのことですが、非常に鮮やかな色なので近年修繕されたかもしれませんね。
仁王門だけあって足の部分には巨大な仁王像が参拝者を迎えています。写真撮影は非常に難しいので、これはぜひ現地でご覧になってください。写実的でかっこいいですよ!
気づかれる方は少ないかもしれません。仁王門の天井には巨大な龍と天女が描かれているのです。龍は天井絵としてよく目にしますが、天女はレア。しっかりと全容が分かるということはよほど大切にされてきたのですね。
あじさいのシーズンにはライトアップがされて幽玄な美しさを楽しめます。たま〜に見せてくれる雪景色もとっても素敵ですね。これを見るには道中の山道が大変。わたしは実際に見れたことがありません…
本堂(観音堂)
登りきった右手に本堂(観音堂)があります。大勢の方が訪れるので同時に参拝できるようになっています。お賽銭箱がやたら高い位置にあるのが独特ですね。文字通りお賽銭を投げ入れるようになります。
いまの本堂は天和2年(1682年)に再建されたもの。第17代ご住職が十万人講で資金を集めました。すごい規模!
初めに建てられた記録はなく、もっとも古い記録だと建長6年(1254年)に宗尊親王が仏堂が荒れてしまっているのを嘆き、当時の執権北条時頼を諭して再建させたとか。ここでも皇族が関係。縁の深さを感じます。
室町時代には戦火で境内の多くが燃えてしまいましたが、どこからか現れたマダラ鬼神によって再建されたと伝わります。この伝説に由来して催されるのが毎年4月のマダラ鬼神祭です。
このミステリアスなお話はどこまでが本当なのか。上杉と足利の争いといった事実も含まれていますから、歴史好きな方は考証してみると面白いと思います。
本堂の四面には多くの彫刻があります。正面には上記のような恐ろしいワンシーンが。まさに天国地獄の分かれ道といったところです。閻魔大王が怖い顔でなにか叫んでいるようなので、このままだと地獄行きでしょうか。
こちらは完全に地獄絵図。鬼たちが暴れまわっております。ありがたい観音堂にどうしてこのような彫刻があしらわれたのか。当時のご住職にインタビューしてみたいものです。
先程の地獄とは少し違う雰囲気です。左の方に見える黄金色は地蔵菩薩でしょう。地蔵菩薩はいわゆる地獄を含めた六道から人々を救済するといわれています。すがるような人々の姿が印象的ですね。
一方右下には、鬼が血の池地獄らしき水場に人々を放り込んでいます。天国と地獄の境目ですから煉獄にあたるでしょうか。死後の世界があるなら地獄は無論、煉獄行きも嫌ですね。善行を積むとしましょう。
多宝塔
本堂の隣にある多宝塔。もとは天平2年年(730年)に聖武天皇の后・光明皇后が建てた三重塔です。嘉永5年(1853年)に建て替えられ、多宝塔に改称しました。
光明皇后(光明子)といえば皇后となった初めての民間人です。皇后となったのは新義なので不吉極まりないのですが、施薬院や悲田院のような積極的な救済活動から後に民間出身の皇后が認められることになりました。
先例やそれを積み重ねた伝統は大事。でもどうしても継続が難しいならば准じる形をとるのは有りでしょう。三重塔を多宝塔としたのもそうした考えからでしょうか。
天和3年(1683年)に再建した際には本堂の扉が自然に開き観音像が現れたという伝説が。それによって建築費用が一気に集まったとか。
弁天堂
個人的に特に参拝をおすすめしたいのが弁天堂です。中には「弁天さま」こと弁才天がお祀りされています。堂を囲む水場は弁天池ということなのでしょう。
上の写真はあじさい祭りの期間に撮影しました。ふだんは扉は閉められており、特別なときだけ開放されて中に安置された弁天さまを拝することができるのです。
当寺の文化財には鎌倉時代の作とされる弁天さまの画像があります。それを知ったときは想像していたよりも遥かに古くから弁天信仰があったのだと驚いたものです。
弁天さまは「弁活の神」。弁が立つということは、非常に頭が良くて物覚えが良い。習い事をするなら弁天さまにご協力願うのもいいでしょう。
それと古くから「金」を呼び込むご利益があるとされています。弁天さまの縁日には池の水でお金を洗うと増えて戻って来る、なんて伝説もあるのです。
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御朱印
雨引観音の御朱印です。非常に賑わうお寺なので頼んでから20分ほど待つことも。お願いしてからお参りしてもよいかと思います。
当寺がもっとも話題となるのは河津桜とあじさいの季節です。
2月下旬〜3月中旬 河津桜
6月上旬〜7月中旬 あじさい(あじさい祭りは6月10〜7月20日)
パンフレットでは次の催しも案内されています。タイミングが合えば足を運んでみてはいかがでしょう。
1月1日 元朝大護摩法要 午前0〜2時、9時〜17時
1月2日〜3日 同上 9〜17時
4月第2日曜日 マダラ鬼神祭
4月1日〜20日 桜祭
8月12日 大施餓鬼供養 11時
8月13日 万霊総供養 11時
11月中 七五三祈願祭
11月10〜20日 紅葉祭
11月23日 お焚き上げ 11時30分
12月31日 除夜大祭
・雨引観音は干ばつを救った”雨”に由来
・あじさいの見頃は6月中旬から7月上旬まで
・延命観世音”の御朱印あり
坂東観音巡礼|著:平幡良雄
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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