【奥久慈大子七福神霊場】水戸藩主の定宿 慈雲寺|大子町

この記事でわかること
  • 由緒・御本尊について
  • 水戸黄門(徳川光圀)との関係
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

大子町ってなぜか水戸黄門(徳川光圀)のお気に入りのスポットだったんですよね。隠居したあともお供を連れて遊びに出かけていました。

八溝山にも登っていたと知ったときはビックリしました。修験でも苦労するような山になぜ行くのかと。危なくないのかと。それだけ大子の土地と人々を気に入っていたのでしょう。

というわけで、この記事では大子町の町付に位置する慈雲寺じうんじ(真言宗智山派)をご紹介します。光圀公が宿として利用していたお寺で、いまでは奥久慈大子七福神の霊場にもなっていますよ!

慈雲寺とは

慈雲寺

慈雲寺

由緒

仁平2年/1152年
開山
意教上人により開山
弘安3年/1280年
山門建立
元禄9年/1696年
徳川光圀来訪
徳川光圀が寺を訪れ詩を残す
明治24年/1891年
火災に遭う
本尊を残し、本堂、庫裏などすべて消失
平成10年/1998年
寺号標建立

ご本尊は千手観世音菩薩です。弘法大師の作という伝説を持っています。

当寺の詳しい歴史は明らかでないのですが、中世から近世にかけて檀林に準ずる寺格を有し、十万石の格式がありました。この頃、末寺は93にもなり常陸国(茨城)にとどまらず下野(栃木県)、奥州(岩手、青森、福島、宮城)にもあったとか。以前ご紹介した同町の性徳寺もそのうちのひとつです。

ご本尊の千手観音は別名「蓮華王」。観音の中の王という存在です。「千手」とあるので千本の手があると思いがちですが、千の世界を救う手を持つという意味です。合掌している手を除いて40の手があり、それぞれ25の世界を救うので40×25=1000という計算です。

25の世界とは天上界から地獄までのこと。天上界の頂きは「有頂天」といいます。調子に乗ることを有頂天というので聞いたことある方は多いのではないでしょうか。

wata

多くの末寺を持つ慈雲寺が「蓮華王」の千手観音を本尊とするのはふさわしい気がしますね!
MEMO
江戸時代、慈雲寺は幕府から十石の朱印地を授かっていました。また徳川光圀公はから二十石の除地を受けていました。
【奥久慈大子七福神霊場】藤と桜の性徳寺|大子町

アクセス

常磐道那珂インターを下りて約1時間20分。水郡線の常陸大子駅からだと約20分です。けっこう遠いですね。。

参道西側に充分な広さの駐車場があります。

名称 金剛山 千手院 慈雲寺
住所 茨城県大子町町付1546
駐車場 あり
定休日 定休日
Webサイト 大子町商工会

山門と仁王像

山門

山門

由緒にあるとおり、慈雲寺は明治時代に火災に遭い建物の他、ほとんどの寺宝を失ってしまいました。

残された宝がこちらの山門。歴史は鎌倉時代(弘安3年)まで遡るというから驚きです。

山門の彫刻

山門の彫刻

彫刻にはなにやら中国の故事らしきものが。人物の頭身がマンガのようですね。まるでデフォルメキャラ。なんということでしょう…!

仁王像(阿)

仁王像(阿)

仁王像(吽)

仁王像(吽)

それを見てから仁王像に目を移すと。。うーん、こちらもデフォルメ化されているような。険しい表情ですが、少し可愛らしさも感じます。

参道

参道

参道

慈雲寺の参道は数ある寺院の中でも特にお気に入り。往年の形を残しつつ、巨木に育った杉の根が足元を遮るなど自然に侵食された味わい深い姿になっています。

少し崩れた石段は哀愁を感じさせますね。少々不安ですが、特に不自由なく歩けます。

光圀公の詩碑

光圀公の詩碑

江戸時代、慈雲寺は水戸徳川家の定宿でした。藩主が訪れたことも何度もあったそうで、元禄9年(1696年)には隠居した光圀公が訪れ、その時詠んだ詩は石碑として残されています。

ということは、当時と変わらないであろうこの参道は光圀公も歩いたのではないかと思うのです。感慨深いことですね。

本堂と鐘楼堂

本堂と鐘楼堂

本と鐘楼堂

本堂は色合いからして新しそう。特に基礎を見ると近年改築されたように思います。

本堂の前には消毒液が置かれ、昨今の感染症対策がされていました。不要不急の外出を控えるように言われる状況下であっても参拝者はいるし、お寺にはそれを迎える用意があるということですね。

鐘楼堂

鐘楼堂

個人的にお寺の参拝は神社よりも気をつけます。ご住職をはじめ誰かの生活空間ですから、なるべくその方々を不安にさせてはいけないと思います。

なので、こうした準備は、「然るべき対策をしているのであれば参拝OK」と解釈できます。少しホッとしますね。

奥久慈大子七福神「大黒天」

三面大黒天に続く参道

三面大黒天に続く参道

もうひとつのお目当ては奥久慈大子七福神に数えられる大黒天への参拝。大黒天は福の神の代表といえるでしょう。

三面大黒天堂

三面大黒天堂

本堂と庫裏の間の通路の下を抜けて奥へ。石段を登るとお堂が見えてきます。

三面大黒天像

三面大黒天像

安置されているのは非常に珍しい三面大黒天です。上記は商工会の公式サイトからお借りしました。

同サイトとから三面大黒天の説明を引用します。

日本神話に登場する大国主命と読み方が同じであり、御神徳が似ているところから慈悲深く高貴を授ける神様として信仰されています。大黒天は仏法の守護神として崇められていたインドの神様で、仏教と一緒に中国を経て日本に伝わりました。
福袋と打出の小槌を持った姿で米俵にまたがる大黒天ですが、大子の大黒天は、顔が三つ(弁財天・毘沙門天・大黒天)あり、”三面大黒天”とも言われています。
【 大黒天(だいこくてん) 五穀豊穣の神】/大子町商工会(公式)

三国大黒天は天台宗の開祖・最澄が感得したといわれる日本独自の大黒天です。「福の神」が三体揃っているので福徳も三倍!。。らしいです。

豊臣秀吉の守本尊とされており、秀吉と正室ねねの菩提寺である京都の圓徳院にも祀られています。

最澄に秀吉、歴史的な偉人にゆかりがあるとなるとご利益ありそうですよね。ぜひ参拝してみましょう♪

御朱印

大悲殿の御朱印

大悲殿の御朱印

大黒天の御朱印

大黒天の御朱印

慈雲寺の御朱印は2種類。大悲殿(ご本尊の観音像を安置する堂)と奥久慈大子七福神の大黒天です。

本堂左手の庫裏からお声掛けください。わたしのときは若い僧侶さんが優しく対応してくださいましたよ♪

まとめ

この記事のまとめ

  • 慈雲寺はかつて檀林に準ずる寺格。多くの末寺を持ち僧侶を育てた
  • 奥久慈大子七福神の大黒天を安置
  • 御朱印は2種類。本堂左手の庫裏でいただける

参考文献

茨城の寺(三)

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