【源頼朝開基】海雲山 長勝寺|由緒・御朱印・桜の見頃|潮来市【徳川光圀再興】

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ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

春から夏にかけては潮来のシーズン!4月は桜、5月はあやめ、6月から7月にかけてはあじさいを楽しめます。どれも県内有数の名所。さすが水郷!

シーズンにお越しになったときに思い出してほしいのが長勝寺ちょうしょうじ。あやめ園や潮来駅からだと歩いて数分。知っておいて損はありません♫

じつは市民におなじみの撮影スポットなんですよね。見どころをご紹介しますので、バッチリ撮影してきてくださいね〜!

長勝寺
長勝寺

由緒

文治元年/1185年
創建

源頼朝が開基、戦勝祈願のため寺号を長勝と名付けて創建した

元徳2年/1330年
梵鐘寄進(後に国指定重要文化財)

北条高時が下総国府城主千葉氏との発起により、長勝寺の創建者である源頼朝の菩提の為に寄進

長禄2年/1458年
堂宇修復

*『潮来町史』による

元和元年/1615年
本堂の屋根葺替

*『潮来町史』による

正保元年/1644年
本堂の屋根葺替

*『潮来町史』による

慶安元年/1648年
朱印地を賜る

徳川幕府から朱印地十石を賜る *『潮来町史』による

元禄年間/1691-1694年
中興および寺領地の寄進

伽藍の荒廃を惜しんだ徳川光圀により堂宇修復。妙心寺の住持をつとめた太嶽祖清禅師を中興開山として招く。

元禄10年/1697年
徳川光圀参拝

*寺伝による

明治44年/1911年
文化財指定

銅鐘(附鐘銘拓本)が国指定重要文化財に指定される

昭和33年/1958年
文化財指定
昭和44年/1969年
文化財指定

豊太閣手簡 が市の文化財に指定される

昭和46年/1971年
文化財指定

方丈、書院、玄関、庫裡、隠寮が揃って県の文化財に指定される

高麗焼茶碗が県の文化財に指定される

昭和47年/1972年
文化財指定

滝見観音像及び竜虎図白隠禅師書幅が市の文化財に指定される

昭和51年/1976年
文化財指定

高麗雲鶴茶碗が市の文化財に指定される。

長勝寺のボダイジュが市の天然記念物に指定される。

昭和56年/1981年
楼門および本堂の保存修理工事

7年間に渡って行われる *『七福神の創作者』より

平成16年/2004年
文化財指定

絹本著色 源頼朝像 狩野洞雲筆 1幅が県の文化財に指定される

平成6年/1994年
文化財指定

毘沙門天立像(光背,岩座,共) 長勝寺棟札が市の文化財に指定される

平成11年/1999年
文化財指定

木造 大迦葉立像が県の文化財に指定される

御本尊は阿弥陀如来です。脇侍とあわせた三尊仏として彫られた仏像が県の文化財に指定されています。臨済宗は禅宗なので釈迦牟尼仏かと思っていました。個人的には意外な発見です。

開基は源頼朝。御存知の通り鎌倉幕府の初代征夷大将軍です。あまりの著名な人物なので伝承と思われるかもしれません。しかし、当寺の梵鐘が鎌倉期に北条高時から寄進されていることを考えれば事実なのでしょう。

高時は得宗にして鎌倉幕府の最後の執権です。後醍醐天皇を中心として足利尊氏や新田義貞が倒幕に動く不穏な世の中だったので、政治の安定のために寄進したのではと思います。

そうした経緯から鎌倉時代に隆盛を極めましたが、室町期以降に衰退したといわれています。それを再興させたのが水戸黄門こと徳川光圀公でした。元禄期には自ら当寺に足を運んだといわれています。

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季節ごとの景観が大変美しい境内です。春の桜も良いですが、秋の紅葉狩りもオススメです!

アクセス

駐車場は山門の向かって右側と本堂の右手側にあります。いずれも10台程度駐車可となっております。

わたしが参拝するときは山門側のほうが空いていることが多いですね。本堂側は駐車場にお手洗いがあって便利です。

名称海雲山 長勝寺
住所茨城県潮来市潮来428
駐車場あり
Webサイト潮来市公式内

電車をご利用の場合

長勝寺は電車を使ってのお参りも可能です。潮来駅を下りて次のようにお進みください。徒歩10分と少々です。

桜の咲く4月上旬、5月下旬から6月中旬にかけてのあやめまつり、秋の紅葉の時期は特にオススメです!

山門

正門
正門

長勝寺。それにしてもかっこいい名前です。茨城弁だと「かっけぇ」。

写真は同寺の正門です。駐車場が本堂のすぐ隣りにあるので、そちらに停めると見れない光景。個人的にはぜひ写真右側にある駐車場を利用していただきたいですね。

参道
参道

天気が良いと木漏れ日がキラキラ。なんでもない参道がこんなに美しくなっているんです。

楼門

楼門
楼門

この長勝寺の楼門は県指定文化財になっているものの詳しいことわかっていません。境内の立て札にだいぶ詳しいことがありました。

 この山門は普門院において、元禄6年から13年(1693〜1700年)までかかって建立され、完成間近の同13年徳川光圀の命令によって長勝寺に移築されたものである。

 構造様式は三間一戸・二重二階門。屋根は上層を入母屋造り杮葺風銅板葺、下層も同じ杮葺風銅板葺である。軒は上層が二重扇棰、下層が二重並行棰を用い、さらに丸柱に礎盤、上層の柱間装置に浅唐戸を用いた禅宗様式の建築である。

 全体には紅柄塗りがほどこされ、優美な趣もうかがえる。

戦国期の頃の長勝寺はだいぶ荒廃していたようです。江戸時代に幕府から朱印地を賜ったことにより一気に寺勢が安定したといわれています。桃山時代の建立というとそれよりもずいぶん早い気がしますね。

このような二階建ての屋根の建物を楼門といいますが、造りからすると足元の部分には仁王像が安置され、仁王門だったのではないかと思います。

ところで、この楼門を昭和の終わりごろに修理工事した一色史彦氏は、当時の楼門の組物が安普請といえるほど酷かったので、文化財の指定は外れるが大胆に作り直してはどうかとご住職と工事の指導者に申し出たそうです。

それを聞いたお二人は言語道断である、文化財をそんなに気軽に考えてもらっては困ると言われたので、気持ちを改めて修理を再開したのだとか。

そして修理を続けていると安普請だと思っていた組物にびっしりと文字が書いてあることに気づきました。その文字とは「二親成仏」といくつもの女性らしき名前です。

組物はかつて潮来の遊女町で働いた女性たちが両親の成仏を願って奉納したものでした。それがいくつも集まって楼門を支えていたのです。一色氏は「モノにはココロがある」と説いておられますが、仰るとおりですね。

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楼門の保存修理工事をした一色史彦氏によれば、それ以前は茅葺きの寄棟造りでした。

菩提樹と文治梅

菩提樹(市指定天然記念物)
菩提樹(市指定天然記念物)

本堂にたどり着く少し前に見えるのが、市の天然記念物に指定されている菩提樹ぼだいじゅと頼朝の時代に植えられたという文治梅ぶんじうめです。文治は当寺が創建した元号ですね。

仏教の祖である釈迦は菩提樹の下で座禅を組んで悟りを開いたといいます。長勝寺は禅宗ですから何より縁のある植物といえるかもしれません。

独特の香りがする菩提樹
独特の香りがする菩提樹

あやめまつりが開催されている6月上旬頃になると独特の甘い香りを境内に漂わせます。

文治梅
文治梅

菩提樹の隣に植えられているのが文治梅です。頼朝のお手植えといわれますがはてさて。見頃は3月下旬から4月上旬にかけて。一般的な梅よりもちょっと遅めとなっています。

さすがに樹齢800年超とまではいかないと思いますが、それでも極端に古い梅です。県指定文化財の本堂、国指定重要文化財の梵鐘と並ぶ姿は歴史を感じさせるものがあります。

本堂(仏殿)

本堂
本堂

山門の先には茅葺かやぶき屋根の立派な本堂です。屋根の上にある家紋は笹竜胆。源氏の代表的な家紋ですね。写真だとわかりにくいですが、すごくかっこいい!

内部について教育委員会から一部引用します。

この仏殿は、方三間、一重、入母屋造、茅葺で、棟に源氏の定紋「笹りんどう」を配し、周囲は板葺「もこし」があります。
内部天井は、周囲(外陣)を化粧屋根裏とし、中央(内陣)に板違格天井が張られています。内部構造は、唐様の手法で作られ、中央後方来迎壁前に高い唐様須弥壇、背面に突出して脇仏壇があります。
外部の組物なども唐様で、内外ともに堂々たる唐様建築です。建立年代は詳かでありませんが、元禄年間(1688~1704)と考えられます。
規模雄大な建築で、禅宗寺院建築として貴重な遺構です。

長勝寺本堂/茨城県教育委員会

真っ直ぐな参道。どっしりした本堂。左右には桜があって、さえぎるものなく空を見れます。潮来を代表する景観でしょう。『広報いたこ』の表紙にたびたび登場しています。

内部には県指定文化財の阿弥陀三尊像が安置されているため、普段は閉じられています。しかしあやめまつりの期間中にわずかながら開放されますので拝観が可能です。

あやめを楽しんだその足でぜひこちらまでお越しください。わずか数分でたどり着けますのでオススメです。

こちらの本堂(仏殿)についても先にご紹介した一色氏が興味深いエピソードを語っておられました。それは本堂が光圀公と家督を継いだ綱條公の寄進によって修復されたという史実と異なるものです。

一色氏は本堂の修復中、その柱の一本ごとに寄進者の名前があることを不審に思っていたそう。棟札には光圀公と綱條公の寄進により修復したとあるので、他に寄進者がいるのはおかしいのです。

その謎を解いたのは当時の世話役代表の関戸家から見つかった『長勝寺物語』でした。それによると光圀公の寄進があったことは事実ですが、その金子きんすは光圀公を迎えるための書院の建設に利用したとのこと。

それでは本堂はというと、修復を耳にした江戸崎町(現在の稲敷市)の宮大工新兵衛の提案によって寄進者を募り、新兵衛親子が地盤から築き直したそうです。寄進者は思いのほか集まって五十両を超える予算となりました。

寺社の建物は多額の費用がかかるので、領主などの土地の有力者によって維持されることは少なくありません。しかしそれだけではないことは歴史を知るうえで忘れないでいたいですね。

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最近だと新成人の記念撮影に使用されているようです。戦勝祈願のために建てられたお寺ですから抱負を語る場所にふさわしいですね!

観音堂兼庫裏

庫裏の入口
庫裏の入口

本堂の右手を道なりに進むと庫裏があります。禅宗寺院ですと方丈ともいって、ご住職のことを方丈と呼ぶ場合もあります。ちょっと紛らわしいでしょうか。

門の正面には観音様と常陸七福神の福禄寿がまつられていますので、こちらもぜひお参りください。

常陸七福神の福禄寿
常陸七福神の福禄寿

ご陽気な雰囲気の福禄寿は頭をなでると賢くなったり長生きできるといわれます。ただ、建物に勝手に上がっちゃうのは問題ありますのでお寺の方に声をかけてみるのがよいと思います。

潮来八景の銅鐘

銅鐘(国指定重要文化財)
銅鐘(国指定重要文化財)

長勝寺の寺宝といえばなんといっても国指定重要文化財の銅鐘どうしょうです。寺格を裏付ける重要な存在ですから、これだけは覚えておいていただきたいもの。

銅鐘について茨城県教育委員会から引用します。

この銅鐘は、元徳2年(1330)、北条高時が下総国府城主千葉氏との発起により、長勝寺(ちょうしょうじ)の創建者である源頼朝の菩提の為に寄進したもので、鐘銘並びに序文の作者は、鎌倉円覚寺十六世清拙(せいせつ)、諡大鑑禅師(おくりなだいかんぜんじ)で、鋳物師は甲斐権守ト部助光です。
法量は、総高115cm、身高84.8cm、笠形(りゅうけい)高5.4cm、竜頭(りゅうず)高24.5cm、撞座(つきざ)中心高19.9cmの鋳銅、上下帯は無文で、乳(ち)は4段4列になっていて、撞座は二個正位置にあり、小型ですが鎌倉期の特徴を良く示し、誠に気品の高い形状をしています。銘文も刻字もすぐれ、名鐘にはじないものです。
また、銘文中に「客船夜泊常陸蘇城」とあり当時の潮来の情景を知りうる上からも貴重な資料です。

銅鐘|茨城県教育委員会

その姿はほとんど見えず、カメラや望遠鏡を使っても困難でしょう。遠目からありがたいものだと拝するに留まりますが、それでもその価値はゆるぎません。

この銅鐘は天保10年(1839年)の『潮来図誌』に潮来八景として数えられ、長勝寺晩鐘として次のような歌が伝わっています。

鐘の音や 残る雲なき 秋の暮れ

千秋ちあき|潮来八景

全部じゃありませんが、八景は場所、季節、時間を組み合わせてできています。添えられている俳句を読むと情景が想像できますよね。長勝寺は秋の夕暮れに聞こえる鐘の音が人々の心にも響いたということでしょう。

長勝寺にはこの他にも建物や絵画、芭蕉の句碑などの文化財がたくさんあります。美しい境内と一緒にお楽しみください♪

八景の八は中国で縁起のよい数字。日本では八にこだわらず、十景、十二景、百景などもあります

御朱印

長勝寺の御朱印
長勝寺の御朱印

長勝寺の御朱印はご本尊と七福神(福禄寿)の2種類です。庫裏でお声掛けください。

長勝寺の桜

正門(桜)
正門(桜)

長勝寺の桜。間違いなく県内有数の名所。触れないわけにはいきません。

開花は茨城県の桜でも早い方。3月下旬から4月上旬にかけて見頃を迎えます。

最南に位置する神栖や鹿島と同じくらいなので他の名所の開花とはかぶりにくい。桜めぐりをするときに重要になりますので、ぜひ覚えておいて欲しい。。

というわけで、見事なソメイヨシノをご覧ください!

参道(桜)
参道(桜)
山門(桜)
山門(桜)
本堂(桜)
本堂(桜)

散り始めでしたが充分でした♪

長勝寺の八重桜
長勝寺の八重桜

数は多くありませんが、しだれ桜や八重桜も楽しめます♪春は穴場なのでぜひ足を運んでみてください。

長勝寺の紅葉
長勝寺の紅葉

秋もなかなか。。

まとめ

・長勝寺は源頼朝が戦勝祈願で創建

・桜の見頃は3月下旬から上旬にかけて。県内で早め

・御朱印はご本尊と七福神(福禄寿)の2種類ある

参考文献

潮来町史|潮来町史編纂委員会
茨城県の地名|編:平凡社
七福神の創作者|一色史彦

記事で紹介した本