引布山 金剛光院 徳蔵寺|由緒・御朱印・徳蔵姫の伝説(城里町)

この記事でわかること
  • 徳蔵寺の由緒
  • 徳蔵姫の伝説
  • 御朱印

思いの外、伝説に恵まれた場所、城里町にふたたび足を運んできました。

今回は旧七会村地区の徳蔵寺とくぞうじ(徳蔵大師)。徳蔵寺には不思議な伝説が2つありますが、いずれも”あの有名なお坊さん”が登場。歴史ある境内と一緒にご紹介します。

徳蔵寺とは

徳蔵寺入口

徳蔵寺入口

徳蔵寺は城里町の徳蔵とくらに位置する真言宗(智山派)のお寺です。平安時代の末期に弁海上人べんかいしょうにんによって創建されといわれています。ご本尊は大日如来です。

一時期は300人もの僧侶がいて賑わいましたが、元久2年(1205年)、笠間の正福寺しょうふくじとの争い(法戦)により、伽藍が焼失しました。

一方の正福寺も後に笠間氏を名乗る宇都宮氏(藤原時朝)に攻められて廃寺になりました。(その後再建)事情があっての争いとはいえ、最終的にはいずれにも残念な結果となったようです。

幸いにも徳蔵寺には仏像と伽藍の一部は守られましたので、大永2年(1522年)に空法くうほう上人が小さな伽藍で再興しました。

花の寺めぐり案内

花の寺めぐり案内

現在の徳蔵寺は花のお寺として親しまれています。花のお寺は全部で8箇所。那珂市、城里町、常陸大宮市、そして笠間市にあります。

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徳蔵寺は季節によって桜、シャクヤク、ききょう、あじさいを楽しめます。
MEMO
幕末の志士・佐久良東雄の両親は良い子が生まれるように毎日徳蔵寺で祈願したといいます。いまでも虫切にご利益があるといわれています。

駐車場

駐車スペース

駐車スペース

駐車場ははじめの写真の先に進むと広がっています。数十台は余裕で駐車できますので、安心してよいかと思います。

本堂

本堂

本堂

車を止めてすぐ右側にあるのは本堂です。写真の左にはちらっと弘法大師のお姿が。花の寺のスタンプは本堂の正面入口のやや右側にあります。

基本的に本堂は開放されていて、中でお線香をあげることができます。御朱印をいただく条件にもなっていますので忘れずに。

お寺までは整備された道路があるのですが、車通りは少なくとても静かな印象でした。心穏やかにお参りできるかと思います。

佐竹七福神の寿老人

佐竹七福神の寿老人

本堂のすぐ左には佐竹七福神の寿老人。だいぶ頭が長いですね。。長寿を授けてくれるといわれています。

寿老人のように楽しげな表情で長生きしたいものです。

大師堂と弘法大師の伝説

修繕中の大師堂

修繕中の大師堂

徳蔵寺には立派な本堂がありますが、大師堂にも注目です。本堂の左手にあり、専用の参道まであるんです。

大師堂には鎌倉時代初期の作といわれる木造の弘法大師像が安置されています。昭和37年(1962年)に県指定の文化財となりました。

大師堂は天正6年(1578年)に建てられました。大師はもちろん弘法大師(空海)のこと。徳蔵寺を創建した弁海上人の師です。

額縁

額縁

お堂の周囲にはいくつも額縁があります。古すぎてなにも見えないものもありますが、いまなお当時の様子がわかる画があります。

どれも歴史的な価値がありそう。お堂自体が七会村(城里町)の指定文化財になっています。

徳蔵寺で篤く祀られている弘法大師ですが、この地で数々の伝説を残しています。解説によれば大師は810〜813年にこの地にやってきて、干ばつで苦しんでいた人々のために雨乞いをしました。

雨乞いがされたのは徳蔵寺の北にある八瓶やつがめ山のふもと。八つの瓶を置き、雨乞いをすると、たちまち山の上に黒い雨雲がやってきて大雨となったそうです。

八瓶山の由来となったお話ですが、そのとき山頂付近に白い布のような雲が広がっていたことから引布山いんぷさんの別名もあり、徳蔵寺の山号にもなっています。

引布山の由来については徳蔵寺が八瓶山の麓にあった頃、山頂に向かって白装束の僧兵が歩いていった姿からともいわれます。神秘的な光景だったでしょうね。。

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お参りの際は「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」と唱えましょう。弘法大師様に帰依します、という意味です。真言宗のお寺ではおなじみですね
MEMO
2019年9月現在、大師堂は修繕中です。年内には修繕完了してキレイな姿に戻るそうです。

超ミニお遍路

ミニお遍路

ミニお遍路

空海といえばお遍路。以前、土浦市にある大聖寺のミニお遍路を紹介しましたが、さらにコンパクトなものを見つけました!石には仏様とお寺の名前がかかれています。

もちろん、四国の八十八箇所のお寺が揃って、すべて巡ればお遍路達成ですが。。

お砂踏み場

お砂踏み場

ありました。お砂踏み場。お砂踏み場とは、八十八箇所の砂がまとめて敷いてある場所です。その上でお参りをすると、八十八箇所を巡ったことと同じご利益が得られるといいます。ショートカットというやつですね。

お参りの際の念仏は、もちろん『南無大師遍照金剛』です。

しだれ桜

本堂向かいのしだれ桜

本堂向かいのしだれ桜

本堂の向かいに立派なしだれ桜がありました。お尋ねしたところ、上入野にある小松寺の桜の子どもにあたるそうです。

小松寺の桜は水戸黄門(光圀)のお手植えといわれています。こうして市内で広まっているのはなんだか嬉しいですね!

北向塩地蔵尊

北向塩地蔵尊

北向塩地蔵尊

もうひとつ珍しいものを発見!北向塩地蔵です。瓶に入っている塩で撫でると厄除けになるそうです。

北向きなのが珍しいポイント。北向地蔵は全国でも400体ほどしかいないとか。

北向きの理由は、北には困っている人が多いので人々の救済を強く願ってあえて北を向いている、とのこと。ありがたいですね!

参考 北向地蔵尊はなぜ北を向いているのか芝田商店街

民話『徳蔵姫の恋』

弘法大師像

弘法大師像

弘法大師の伝説をもうひとつ。徳蔵寺ではなく、徳蔵寺のある徳蔵とくらの伝説です。

むかしむかし、ひとりの旅のお坊さんが徳蔵の地にやってきました。日暮れに差し掛かっていたので、近くの農家を訪ねて一夜の宿を頼むことにしました。「旅の僧です。一晩だけ泊めていただけないでしょうか」

主人はお坊さんの顔を見ると「なにもないところですが、どうぞ」。お坊さんは中に通されて、お風呂に入ったり夕飯をいただいたり、大切にもてなされました。

農家には年頃の娘・徳蔵姫がいました。姫はお坊さんをもてなしているうちに、お坊さんに夢中になってしまいました。お坊さんは姫が目線がただごとでないと感じたので、とても困ってしまいました。

そこで、お坊さんは主人に頼んで木を貰うと、自分の身代わりにするために掘り出しました。彫り終えると、それを寝床とされた馬ぶね(馬の餌を入れる桶)に入れて、自分は少し離れた部屋の隅で眠り始めました。

徳蔵姫はお坊さんが寝ているはずの馬ぶねに入ると、お坊さんだと思っている木の像を抱えて眠りにつきました。しかし、ふと目を覚ますと抱いているものが木だとわかりました。姫はすぐにお坊さんを探しましたが、お坊さんはほんの少し前に家をでたところでした。

姫は家の外に出て辺りを見渡しました。まだ夜明け前でしたが、遠くにうっすらとお坊さんの後ろ姿が見えます。必死においかけますが、お坊さんも逃げるように歩みを止めません。ついに徳蔵姫は疲れ果て、お坊さんを見失いました。このお坊さんこそ、諸国を渡り歩いた弘法大師であったということです。

弘法大師伝説。いくらでも集められますし、知るほどに超人化していきますね。今回はモテモテ要素が加わりました!

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徳蔵姫が夜明けを迎えた地を明沢あけさわといって、いまの赤沢あかざわの元になったそうです

御朱印

徳蔵寺の御朱印

徳蔵寺の御朱印

徳蔵寺の御朱印です。御朱印料は300円。

本堂でお線香をあげてからいただくことができます。

もし、ご住職が不在でしたら写真のように書き置きをいただけます。

アクセス

店名引布山 金剛光院 徳蔵寺
住所茨城県城里町徳蔵874
TEL0296-88-3037
営業時間8:00-17:00 参拝、御朱印
定休日なし
駐車場あり(20台)、おまつりの日は臨時駐車場あり(120台)
年間行事 4月8日…花まつり
4月29日(昭和の日)…ご縁日(徳蔵大師祭)
Webサイト城里町観光協会内

まとめ

この記事のまとめ

  • 徳蔵寺は平安時代末期のに創建。弘法大師が訪れた伝説がある
  • 弘法大師に恋をした徳蔵姫がいたという
  • 御朱印あり。本堂でお線香をあげてからいただける

参考図書

茨城の寺(三)/著:今瀬文也
いばらきのむかし話/編:藤田稔
常陽藝文 2003年8月号

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