うなぎ、イケメン、お赤飯!謎の民話『うなぎ地蔵』と清音寺(城里町)

うなぎ地蔵

民話、伝説、昔話の違いってなんでしょう。きっと解釈は人それぞれですよね。いや、区別していないことの方が多いかも。

わたしの場合、民話は『民衆に長い間語り継がれた物語』としています。その中に伝説や昔話、神話などがあります。伝説は史実や実際のできごと、場所などが含まれた現実的なもの。昔話は動物が会話しちゃうようなファンタジーと区別しています。

平将門がでてくるのは伝説で、桃太郎やかぐや姫、カチカチ山なんかは昔話です。子どもから大人からまで民話を楽しめるのは、そうした違いがあるからでしょう。

ただ、ときに民話は「だれのためのお話?」という謎めいたものがあります。わかってないのはわたしだけかもしれないのでご紹介します。城里町の『うなぎ地蔵』です!

民話『うなぎ地蔵』

早速、『うなぎ地蔵』をご紹介します。なんと城里町の教育委員会も公認!そちらとはちょっとだけ内容が違うんですけどね。

むかしむかし、城北町の下古内しもふるうちに臨済宗の清音寺せいおんじというお寺がありました。

この大きなお寺には数十人の小僧がいて、その中に、特に美しい顔立ちをした小僧がいました。小僧は、日々のおつとめは熱心にするのですが、だれとも口を聞きません。そして不思議なことに、毎日どこからかお赤飯を持ってきて、ご本尊の観音様にお供えをするのでした。

ある日、村に領主が家来たちを連れてきて藤井川で釣りをしました。すると、まもなく領主の竿に驚くほど強い引き。家来たちと一緒に釣り上げると、それは3mにもなる大きなうなぎでした。これには領主も村の者も大喜び。早速料理をしようとお腹に包丁を立てました。すると、どうでしょう。お腹の中にはたくさんのお赤飯が詰まっていました。

「これは藤井川の主ではないか」人々は心配になり、うなぎを食べることなく川の岸へねんごろに葬りました。その出来事のあと、清音寺でお赤飯をお供えしていた小僧の姿も見えなくなりました。

「あの小僧は主の化身だった」だれもがそう思い、主の冥福を祈って、埋葬した場所に地蔵を立てました。それがいまのうなぎ地蔵です。

うなぎ地蔵

写真の右手のお地蔵様がうなぎ地蔵です。ちゃんとお供え物もありますね。(栄養ドリンクもある?)

地蔵を紹介する立て札は城里町の教育委員会のものです。民話って教育委員会が管理していることがほとんどですよね。教育遺産であり文化財の一部ということでしょう。

さて、『うなぎ地蔵』ですが、短い物語に多くの謎が詰め込まれています。小僧が藤井川の主の化身だったとして、なぜ、自分で赤飯をお供えして食べるのか。なぜ、釣られてしまうのか。なぜ、イケメンなのか。気になっちゃいますよね。大人げないですが。

民話によく出てくる河童のお話は、子どもたちを怖がらせて川から遠ざける狙いがあります。水難の防止です。うなぎ地蔵の場合、怖がらせるのではなく、主を「かわいそう」と思わせ釣りをさせないことが狙いだったりして。怖がらせない分、優しい物語といえるかもしれません。

竜譚渕

うなぎ地蔵の向かい側は主が釣れた竜潭渕りゅうたんぶちです。教育委員会によれば、命名したのは水戸黄門(光圀)だとか。

魚はいそうですが、意外と川の流れが激しいです。小さな子供が行くのは危険なので、こうした物語が誕生したのではないかと思います。でも、やっぱりミステリアスなお話ですよね。。。

wata

3mのうなぎは30kgほどになりそうです。竿で釣れるのか気になるところです。(大人げない)
MEMO
『うなぎ地蔵』は茨城県教育委員会が主催する『いばらきっ子郷土検定』の問題にもなっています。平成29年度の城里町の問題をチェックしてみましょう!

アクセス

名称 うなぎ地蔵
住所 茨城県城里町下古内
県道61号からホロルの湯へ向かう途中にあります。
駐車場 なし

清音寺

清音寺入口

民話に登場する清音寺は実在します。あるのはうなぎ地蔵と同じ下古内。車ならすぐの場所です。なお、石碑は『清音禅寺』とありますが、境内は清音寺で統一されています。

清音寺境内

訪れたのは2月。2週間ほど前に雪が降りましたが、まだ残っているとは。。。少し登った場所にあって、周囲が樹々に囲まれているので、太陽が届きにくいようです。寒いですが、珍しい景色なのでちょっと得した気分。

清音寺

清音寺の歴史は9世紀までさかのぼれますが、今回のお話から外れるので省略します。ただ、その歴史の中に非常に興味深いことがあります。

清音寺は常陸国で活躍した大名・佐竹氏ゆかりのお寺です。1252年、16代目の当主・義敦が父・貞義のためにいまの清音寺を建立しました。佐竹氏といえば、19代目の当主・義宣が常陸国を統一したことが有名です。でも、その義宣のときに常陸国を去ることになってしまいました。詳しいことは下記の記事をご覧ください。

佐竹義宣と車斯忠(水戸市)

佐竹氏が去ったのは1602年。そして、佐竹氏に代わってやってきたのが徳川家。うなぎ地蔵は水戸黄門(光圀)が登場しますので、1600年台の中盤以降でしょう。つまり、佐竹氏がおらず、清音寺が衰えた時期です。うなぎ地蔵のお話がそうした時代を背景にしているのは、なにか関係があるのでしょうか。

wata

水戸黄門、実は清音寺に訪れています。清音寺が南禅寺派に属するきっかけになりました。また、古内茶が清音寺の境内以外でもつくられるようになったのもの黄門様がきっかけだそうです。清音寺と主が釣れた竜潭渕は黄門様の伝説でもつながっているんですね。

清音寺に来たらこちらにお参りしておきましょう。3基の宝篋印塔です。

3基の宝筐院

右から佐竹貞義、開山・復庵禅師、開基・佐竹義敦の順にあります。戦国大名もこの世をされば冥福を祈るばかりです。

アクセス

名称 清音禅寺
住所 〒311-4314 茨城県東茨城郡城里町下古内1130
駐車場 あり

まとめ

民話の多くは大人から子どもに伝えられます。

特に伝説や昔話には教育的なものが多く、楽しみながら人生に大切なことを学ぶことができます。現代ではアニメや漫画がその役目を担っていると思います。

ただ、民話の中には、目的や意図がわかりにくいものがあります。『うなぎ地蔵』もそのひとつでしょう。民話は話し手によって多少内容が変化しますので、長い期間をかけて大事な要素が失われたのかもしれません。

でも、民話は地域に根ざしたもの。その土地のことに詳しくなると失われたものを発見できるかもしれませんよ。