民話で読み解く都市伝説!『茨城に美人はいない』の根拠を探る(常陸太田市)

書籍『茨城県の民話』

「茨城に美人はいない」

ふむふむ。よく聞く話です。ただの悪口ですね。都市伝説にもなっています。でも、大抵の場合、次の言葉が加わります。

「美人がいないのは、佐竹の殿様がみんな秋田に連れて行ってしまったから」

これで信ぴょう性が増すようです。だが、ちょっと待ってほしい。(朝日新聞風)佐竹氏は54万石から20万石に大幅に石高が減らされての移封だ。もともといた家臣でさえ、連れていけなかったのに、美人を根こそぎ連れて行くなどできたのだろうか。そもそも、たくさん連れていく意味があるのだろうか。発言者は科学的な根拠や出典を示すべきである。

・・・この都市伝説には一応の根拠があります。すべては常陸太田市の民話にありますが、あまり知られていないようですね。美人がいないというのはもちろんウソ。お話の背景も含めてじっくりご紹介します。

民話『金べっこ銀べっこ』

早速、うわさの原点ともいえる民話をご紹介します。

書籍『茨城県の民話』

このお話は『茨城県の民話』という本を元にしています。本が発売されたのは、いまから36年前の1982年。編集したのは日本児童文学者協会です。帯には茨城県教育研究会が推薦とありますね。ちゃんとした出典です。

むかしむかし、常陸国(いまの茨城県)は、佐竹の殿様によって治められていました。しかし、関ヶ原の戦いのあと、天下人になった徳川家康は、佐竹の殿様にいまの秋田県への国替えを命じます。殿様は悲しみにながらも、命じられたままに常陸国を離れることになりました。
 
佐竹の殿様のご用をつとめる飛脚の頭に、与次郎よじろうというものがいました。与次郎は人前に現れることは少なかったものの、代々殿様に仕えてきたといわれていて、一日に百里(400km)も走る俊足の持ち主でした。与次郎は他にも超人的な能力を持っていたので、キツネの化身だとうわさされていました。この与次郎もまた、殿様と一緒に秋田に移り住んだといわれます。

べっこ べっこ
んべっこ
金砂かなさのべっこに
負あけっと
ぼたもち半分
やんないぞ

これは金砂郷村(いまの常陸太田市)の金砂神社の祭りで行われる『牛ずもう』の歌です。(べっこは牛のこと)むかし、県北では金銀がたくさんとれました。しかし、佐竹の殿様がいなくなると、金と銀はそれぞれ大きな牛に姿を変えて、のっそのっそと秋田に行ってしまいました。それ以来、常陸国では金銀がとれず、秋田でとれるようになったといいます。

また、むかしは常陸国の海で『ハタハタ』という魚がとれました。しかし、ハタハタもべっこと同じように、殿様と一緒に秋田の海にいってしまったといいます。ハタハタをサタケウオなどと呼ぶのは、佐竹の殿様と一緒にやってきたことに由来します。

佐竹の殿様についていってしまったものは、それだけではありません。茨城の歌や民謡、そして美人まで、よいものはみんな殿様が持っていってしまったといわれています。

混沌とした内容です。わたしの文章力にも問題がありますが、本もこのように書かれています。問題はいくつかの内容が混ざっていることでしょう。中途半端な内容が組み合わさって1つの民話になっています。

全体的には佐竹氏の国替えによって、常陸国の名産が失われたことを伝えています。それが金と銀、ハタハタ、民謡、美人です。金銀についてはお話としてわかりますが、そのあとは言いがかりのような。。。最後の美人云々は特にひどいですね。でも、本当に書いてあるので証拠を。

茨城県の民話の一文

お話は「佐竹氏と一緒になくなったもの」というテーマで、内容の詳しいものから順に語られています。順番はそのまま古い順でしょうか。

実はこの民話、『茨城の伝説(編:茨城新聞社)』にもあります。『茨城県の民話』よりも8年古い1974年に発売していまして、こちらには民謡と美人のことが書かれていません。おそらく、この2つは近年追加されたか語り手の”ノリ”次第なのではないかと。。。

wata

ちょっぴり悪ふざけして放った一言が伝説の真相だったりして

民話の背景を考える

金銀はいつかは掘り尽くしてしまいます。でも、科学的な検証をできない時代では、神秘的なことに思えたのかもしれません。説明ができないので、民話を聞く子どもが関心を持つ物語(牛になって殿様についていってしまった)になったのかなと思います。殿様がいなくなってから早い時期にできていそうですね。

MEMO
牛ずもうの歌のある金砂郷村は、かつて金がとれて金砂郷と呼ばれていたことから命名されました。

そのあとに続くハタハタや民謡は金銀のことと同時期ではないでしょう。常陸太田市は海に面していませんし、400年以上前に秋田の魚について知るのは難しいはず。語られたのはわりと新しい時期ではないでしょうか。

民謡はその土地に住んでいる人口の変化によりそうです。冒頭に書きましたが佐竹氏は大幅に石高が減らされての移封です。そのため、望むものたちをみんな秋田に連れて行くことはできませんでした。金砂郷村史に家臣の家族たちは辛い別れをしたありますので、民謡の得意な方たちを連れて行ったとは考えにくいです。その時代とは別に人口が減少してからのことだと思います。

美人については。。。地元で本当に語られているのでしょうか。民話の多くは大人から子どもに語られます。子どもに語る内容ではないですよね。地元の者同士でもないでしょう。だとしたら、地元でない者たちでしょうか。例えば、佐竹氏のあとに水戸城にやってきた役人たち。まるで、転勤や単身赴任で茨城にやってきた人が、慣れない土地で愛想よくされなかったので不満をぶつけているような。。。ありそうです!

イラスト『与次郎キツネ』

Illustration by 呉

ところで、ほとんど説明していない与次郎です。すごく気になっていますが、情報が少なくてよくわかりません。このままだと「ぜんぶ与次郎のせいだ!」と言われそうです。でも、ずっと佐竹氏に仕えてきたキツネの化身とのことなので、数百年もの間佐竹氏と常陸国を見守ってきたのかも。なんとも興味深い存在ですね!

wata

「茨城に美人がない」に対して「バカめ!」と言うのは止めておきましょう。言い始めたのは茨城県民のようです。そういえば、いばら”き”をいばら”ぎ”と知られているのは、茨城県民の発音(なまり)が原因ともいわれます。火元が自分たちであるかもしれないので注意ですよ!

まとめ

都市伝説『茨城に美人はいない』は、常陸太田市の民話『金べっこ 銀べっこ』に同様のことが書かれています。民話では金や銀、ハタハタ、民謡などと一緒に、佐竹氏が持っていったものとして語られています。

ただし、民話で重視されているのは金銀のことで、あとに続くものは佐竹氏がいた頃を懐かしんだり、偲んだりする気持ちの現われと考えられます。水戸藩の政治は悪くありませんでしたが、佐竹氏もよい政治をしたのでしょう。


参考図書
茨城県の民話/編:日本児童文学者協会
茨城の伝説/編:茨城新聞社