県内一の呼び声高い 八柱神社の本殿|元牛頭天王社(桜川市)

この記事でわかること
  • 八柱神社の由緒
  • 本殿がスゴイ理由
  • 聖天信仰について

神社の本殿に興味のある方は正直少ないと思います。県内で有名なのは国指定の重要文化財になっている笠間稲荷などでしょうか。

桜川市にはそれに負けないスゴイ本殿があるんです。有名じゃないのですが、これは観光の際にぜひご覧いただいたいです。

この記事では桜川市の八柱やはしら神社とその本殿をご紹介します。わたしは茨城No.1の彫刻だと思います♪

八柱神社とは

八柱神社

八柱神社

八柱神社は真壁町塙世に鎮座しています。交通の便はあまり良くなく、最寄りICの桜川筑西を下りて20分ほど。最寄り駅は新治駅でやはりタクシーで20分ほどかかります。

しかも。。駐車場がありません。県指定文化財のある神社なのでちょっと悲しい。申し訳ないですけど安全な場所に路駐させていただくことになります。

由緒を境内の石碑から引用します。

八柱神社御社は金剛院聖天堂として天明年間(1781~1789)頃に再建されましたが、明治四年に郷内各坪に散在しる八柱の神を合祀し、塙世鎮守となり永々安寧幸福の守護神として遍く神徳灼に施し諸人に信仰されてきました。
拝殿造営の記

はじめお寺だったとする方がいらっしゃいますが、金剛院(京都嵯峨にある大覚寺の末寺)は八柱神社の別当で神職に変わって祭祀をしていました。廃仏毀釈で廃寺となり、本殿が八柱神社に移築、もしくはお寺の境内に神社が移築されたと思います。

ご祭神を合祀して八柱神社としたのは社格を上げるためでしょう。それ以前は牛頭天王をお祀りしていたので「天王さま」や「天王社」と呼ばれていたと考えられます。天王社の創建は寛平2年(890年)です。

簡単に整理します。かつては信仰の場として「天王社」「聖天堂」「金剛院」の3つがありました。このうち天王社と聖天堂は宮司や住職がおらず、金剛院の僧侶が代わっていました。明治になって金剛院が廃寺となったので神社と聖天堂が一体となり、周辺の神社もあわせて八柱神社としました。

八柱神社のご祭神は、素戔嗚すさのお命、木花開耶姫このはなさくや命、倉稲魂うかのみたま命、軻遇突知かぐつち命、大山咋おおやまくい命、誉田別ほんだわけ命、別雷わけいかづちです。

MEMO
合祀される前にあった神社は雷神社、愛巌神社、富士浅間神社、新宮八幡神社、稲荷神社、日枝神社、厳島神社です。

社号標

入口の社号標

入口の社号標

車を停めて(路駐申し訳ない)境内に近づくと立派な社号標がありました。「輪煥之地八柱神社」とありますね。

輪煥は聞いたことないはず。調べてもわかりませんでしたが、おそらく次のような意味でしょう。

【輪奐】

〘名〙 (形動) (「輪」は屈曲して高大なさま、「奐」は大きく盛んな意) 社寺その他の建物が、広大で壮麗であること。また、そのさま。
精選版 日本国語大辞典の解説/コトバンク

“奐”の字が違いますよね。”煥”だと「光り輝く」という意味があるのだとか。「再建されて立派になった」ということかと思います。

拝殿

参道と拝殿

参道と拝殿

境内は決して広くありません。入口の石段をのぼるとすぐ目の前に拝殿があります。

拝殿は昭和62年(1987年)に再建されました。それまでの拝殿は明治期に建てられた素朴な佇まいだったそう。

本殿よりも利用機会が多かったと思いますし、痛みが激しかったので残念ながら取り壊すことになりました。本殿が文化財の指定を受けるタイミングだったので多くの方を迎えるにあたって一新されたんですね。

昔からこの神社のご利益は「なんでも願い事が叶うこと」だったそう。なんとも大胆な。。明野町や協和町からも参拝に来る方がいたとか。

ただ、一般的に祈願されるのは無病息災、商売繁盛、そして縁談の成功などでした。

本殿

驚異的な彫刻

驚異的な彫刻

ぐるりと裏の方に周って見える本殿。これが本当に素晴らしい。県の指定文化財です。

初めて見たときは驚愕しました。これが本殿なのかと。彫刻というよりペンで書いたような細かさです。でも、明らかに立体的。人間業とは思えません。。県教育委員会によると下野国富田住の彫物師・磯部義兵衛英信の作と考えられています。

県内で類を見ないのはお隣にあった下野国の職人が作ったせいかもしれませんね。

本殿裏の彫刻

本殿裏の彫刻

暗くて写真が撮れませんでしたが、床下のあたりまで凄まじい彫刻で埋め尽くされています。わたしは県内一かと思いますので、ぜひ実際にご覧いただきたいです。

それではこんな建物に安置されていた聖天さまとはどんな存在だったのでしょうか。

 聖天は大聖歓喜自在天たいせいかんきじざいてんの略で、一般には歓喜天といいます。もともと、バラモン教の神で、仏教に入り、病魔退散、夫婦和合、長寿延命の守護尊として信仰されています。
 かつて八柱神社では、二十センチほどの銅造聖天像に香油をかける浴供の行事を行っていました。行事は旧暦三月二十一日で、弘法大師の命日にあたり、御影供といい、その日、たくさんの参詣人が集まり、像に香油をかけて諸々の願いことを祈っていました。現在、聖天像は不明で行事はありませんが、神仏混淆の祭りとして意義がありました
素晴らしい彫刻をちりばめた本殿/一般財団法人 茨城県郷土文化振興財団

以上は今瀬文也さんの文章です。わたしがいつも参考にしている”茨城の寺”の執筆者。ネットでもご活動を拝見できて嬉しい限りです。

金剛院が真言宗だったので八柱神社(天王社)にもその名残があったんですね。神社で護摩。。あまり耳にしませんが、福島の方ではいまもやっている神社があったはず。。

神仏混淆は明治になって排斥されてしまいましたが、信仰の事実は紛れもなくありましたから、こうして残っているものは大切にしたいものです。

参考 八柱神社本殿茨城県教育委員会

アクセス

名称 八柱神社
住所 茨城県桜川市真壁町塙世968
駐車場 なし
Webサイト 桜川市公式

まとめ

御神木のケヤキ

御神木のケヤキ

この記事のまとめ

  • 八柱神社は明治以前は牛頭天王(社)
  • 明治に別当が廃寺になったことでお堂を本殿とした
  • 本殿(元聖天堂)は茨城一といわれるほどの彫刻

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁

スペシャルサンクス

りん(@rin1070)さん

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