友部の東山香取神社|桜川市

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 花園3号古墳(レプリカ)について
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

さいきん神社巡りををしていて楽しいことといえば思いもよらぬ彫刻に出会うことでしょうか。

神社はお寺と違って必ずしも建物内に人が入りませんので大きさは様々。小さい場合には彫師が腕を奮って見事な彫刻に仕上げることがあります。もちろん氏子の崇敬があってのことでしょうけどね。

今回紹介するのは桜川市の東山香取神社です。同社の社殿もステキなのですが、摂社の祖霊神社の彫刻には注目ですよ!

東山香取神社とは

東山香取神社

東山香取神社

由緒

神亀元年/724年
創建
1月7日、下総香取大神の分霊を鎮齋
不詳
疫病除祈願
国内に悪病が蔓延したため桓武天皇の勅願所であった友部の石守寺に中郡荘司藤原友実公が参詣し疫病除けを祈願。その秋に神威をもって悪病消除と伝わる
永禄2年/1559年
香取大明神勧請および社殿再建
※神主中郡代
天正18年/1590年
参詣
3月7日、笠間城主・玉尾美濃守忠勝、参詣
延宝8年/1680年
裁許状を授かる
享保18年/1733年
裁許状を授かる
文化5年/1808年
裁許状を授かる
弘化4年/1847年
社殿修復
9月、社殿大破のため修復 ※神主山城代
安政2年/1855年
参詣
笠間城主牧野備後守貞直参詣。香取社の額面を奉納。
※香取大明神の扁額は釈念成書
明治6年/1873年
村社列格
明治20年/1887年
移転
水戸線敷設のため現在地に移転
大正9年/1920年
供進指定および社号標建立
昭和8年/1933年
大鳥居建立
※皇太子殿下御誕生記念
昭和15年/1940年
御神灯奉納
※紀元2600年記念
昭和23年/1948年
国有境内地無償譲与
昭和27年/1952年
宗教法人設立
昭和35年/1960年
社務所新築および本殿銅板屋根葺替
昭和41年/1966年
屋根葺替
本殿の銅板屋根を葺き替え
昭和51年/1976年
拝殿造営
平成元年/1989年
案内板建立(奉納)
平成3年/1991年
境内社及び略記の碑および手水舎建立
平成5年/1993年
教育勅語の碑建立
平成7年/1995年
社務所再建および香取考古資料館開館
※皇太子殿下成婚ならびに伊勢神宮遷宮の記念事業
平成10年/1998年
本殿屋根千木・鰹木造替
平成11年/1999年
境内社再建および祖霊神社社号標建立
平成12年/2000年
文化財指定
大拍子太鼓が市の文化財に指定される
平成23年/2011年
拝殿・社務所屋根社号標他石碑修復
※東日本大震災による

ご祭神は経津主ふつぬしです。茨城県内では県西の利根川沿いに鎮座し水神として祀られることが多いですね。

当地(旧友部村)は江戸時代に笠間藩領でした。由緒に笠間藩主の参詣が伝わっているのはそのためでしょう。領内では西端にあたるかと思います。

笠間稲荷所蔵の「茨城群村々様子大概」によれば村内には堰とため池がそれぞれ6箇所あったとか。水源に恵まれ村民は安定した生活ができたのではないでしょうか。経津主命を祀るのもそのような背景と考えられます。

また当社の特徴として境内に古墳(花園3号古墳)のレプリカが展示されていることが挙げられます。なぜここにあるかは後述するとして、同古墳は西暦600年前後に造られたといわれる友部字山田で発見された装飾古墳です。興味深い考古資料ですので、もし見れるようでしたらぜひチェックしてみてください!

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単なる思いつきですが、友部にあった「石守寺」は「石上」に通じ、同寺が別当を務めた当社に石上神宮の祭神(経津主命が同一視される)を配したという気がしないでもありません。当社が寺の鎮守であり、経津主命は護法善神の位置付けです

アクセス

最寄りICは北関東自動車道の笠間西ICです。下りてから約10分ほどでたどり着けるはず。近くに鴨大神御子神主玉神社やその本務の櫻川磯部稲村神社もあるのであわせて参拝してみてはいかがでしょう。

駐車場は境内の東側にあります。整備されているわけではないので多少気づきにくいかもしれませんね。

最寄り駅は水戸線の羽黒駅です。130mほどしか離れていませんので歩いていくことは充分可能です。

名称 香取神社
住所 茨城県桜川市友部1041-1〜1041-2
駐車場 あり
祭祀 1月1日…元旦祭
2月3日…追儺祭
2月11日…春祭
4月29日…昭和祭
7月第3月曜日…夏越祭
11月15日…例祭
11月23日…秋祭
12月31日…大晦日

鳥居と手水舎

鳥居

鳥居

東山香取神社は羽黒駅のすぐ近く。開発された場所にあるので県内の他の神社とは少し違った趣。鳥居の前は車道となっており駐車不可。車で来たなら東側に駐車してから回る込むようになります。

広くはありませんが、立派な由緒書もありますし春には立派に育った桜を楽しめますよ。『茨城県の桜』でも取り上げられていますね。

境内が南向きで南方には線路が走り開発されているので木々が少なめ。日光を遮るものがほとんどないので境内は明るく参拝しやすい雰囲気となっています。

手水舎

手水舎

石段を登って鳥居をくぐると右手に手水舎です。当社には文政年間に寄進されたものもあるそうですが、こちらは明らかに新しい。大典記念とありますので平成7年の記念事業の一環でしょうか。

手水舎の後ろになにやら色々と石碑が見えるように当社は皇室や伊勢神宮など日本の象徴的な変化にあわせて記念事業を行っています。神社が日本独特の信仰であることをまざまざと感じさせますね。

社殿

拝殿

拝殿

入母屋造の立派な拝殿。神紋は三巴なのですが、明治以前は菊花でした。由緒に「桓武天皇勅願所」云々とあることに関係するのでしょうか。

拝殿が開いてますよね。当社は清掃などで人が出入りすることが多いので、その際に参拝者を迎えるようにしているようです。

扁額

扁額

拝殿には当社の由緒書や境内の詳細な説明が載せられています。当ブログの由緒のほとんどはそれらを参考に書きました。無料でいただけますので興味のある方はぜひ手にとってみてください。

本殿

本殿

本殿はいつ造られたのでしょう。赤や白の彩色、それに猿(西面)や兎(東面)の彫刻も見られます。これらは十二支なので何らかの意図があるのは間違いありません。

本殿に鮮やかな装飾

本殿に鮮やかな装飾

西に猿、北に兎、東に鳥(おそらくフクロウ)の割当はいまひとつ理解できず。こうした謎解きも社殿を楽しみ方ですね〜

祖霊神社(いわきりさま)

祖霊神社

祖霊神社

東山香取神社に参拝したならぜひチェックしていただきたいのが境内社の祖霊神社です。

境内の案内板には次のようにありました。

香取の大神の祖神に当たるため祖霊社と号す。通称イワキリ様とも呼ばれて、石材採掘業者に信仰されてきた。加波山神社にも祭られているため、年々加波山巡達の際、当社に神輿の渡御あり、付 氏子・崇敬者祖霊の慰霊向上の祖霊社でもある。

ご祭神は磐裂いわさく根裂ねさく。香取神社の祭神である経津主命の祖神のあたる二柱です。境内の記念碑によると香取神社の勧請再建にあたって祖神を祀ったそう。ということは明治の創建でしょうか。

ただ、昭和40年代に発行された『茨城県神社誌』に当社の記載はありません。その代わり同誌には「社霊社」の社号が見えるのでいつからか改称したのかもしれませんね。

社霊社の祭神は磐筒男いわつつのおです。同神は『日本書紀』の一書でやはり経津主命の祖神の位置付けです。似たような属性を持ち、いずれも「イワ」を冠することから「イワキリ様」には違いないのでしょう。

とはいえ、それらは神道的な発想によるもの。この地で「イワキリ様」といえば加波山に潜む荒ぶる大天狗。『常陸国天狗譚』には次のようにあります。

岩切大神は、加波隠山とよばれる燕嶽の峡間に建立された天狗祠の主とされ、見るものをしてその場に射すくめてしまうその大きく見開いた眼光は鋭く、尖り鼻に全身は剛毛でおおわれ、白狐の背上に跨がる人面獣皮の姿には、大天狗としての貫禄に充分なものがあり、今なお彼を慕い、信仰する者もけっして少なくない。

加波山は当社南方のさほど離れていないところにありますし、信仰圏内であったのでしょう。それにもともとは境外社であったといいますから、もっと加波山寄りだったのかもしれません。

当地の最寄り駅は羽黒駅。そのすぐ近くには市立羽黒小学校があります。そうした名称からは明治以前の羽黒信仰の展開がうかがえ、競合していたわけではないと思いますが、加波山の修験との関係が気になるところですね。

説明がとても長くなってすみませんが、注目してほしいのは彫刻の方です。社殿の正面には龍、鳥、藁束を咥えた狐らしき彫刻。初めて見たときにはその緻密な彫刻に本当に驚かされました。

七福神(西面)

七福神(西面)

七福神(東面)

七福神(東面)

左右には七福神が宴会している描画。中央に鯛、神々の手元には盃が見えます。頭上の花々の花弁は切れ目があるように見えるので桜なのかもしれません。

緻密な彫刻

緻密な彫刻

少し引いて見るとこういう感じ。瑞垣があるので接近は限られるのですが、隙間は広めなのでけっこうキレイに撮れます。だれでも楽しめるのでぜひご覧ください♪

香取考古資料館

香取考古資料館

香取考古資料館

社殿の向かって左手に見えるのは香取考古資料館(花園3号古墳のレプリカ)です。つまり実物ではなく模造品。なぜここにあるのかが疑問ですよね。

まずは花園古墳群についておさらいしましょう。

雨引山北麓、標高約七十m.大字友部字山田から北へ流れる丘陵の東側斜面に、花園古墳群が所在します。古墳は、前方後円墳の一号墳(箱式石棺・武人埴輪・墳丘部削平)を主墳として、横穴式石棺のある二号墳・三号墳(湮滅)・四号墳・五号墳(欠損)及び円墳三基があります。
中央公民館説明板

保存状態はいまいちなようですが、いずれの貴重な考古史料であり、二号墳については市の文化財に指定されています。古墳のある字山田というのは当社から西南に1.5kmほど離れた場所です。

さて、古墳と当社は本来であれば無関係です。それがなぜ境内にレプリカを設置するに至ったのか。それは桜川市の地域おこし協力隊のブログを読むと分かってきます。

同ブログでは「彩色」が発見された経緯を載せた京都新聞の記事が次のように引用されています。

【1999年(平成11年)5月7日付京都新聞】
「民家から出た石に絵があるようだ」。1983年8月初旬の夕刻、茨城県岩瀬町の文化財保護審議委員の萩原義照さんへ、区会長から連絡があった。懐中電灯を手に町内の農家を訪ねた萩原さんは驚いた。同家の敷地内にある7世紀後半ごろの方墳「花園3号墳」(一辺約二十二メートル)の墳丘が削られて通路になり、露出した横穴式石室がほぼ解体されていたからだ。石室の石材の一部は庭石や石灯ろうになっていた。地主は「屋敷の出入り口を広げたくて壊した。この古墳は昔に盗掘され、価値がないと父親から聞いていたのに」と困り顔だった。
Sakuragawa Hunter blog

記事の文化財保護審議委員のお名前と茨城県神社庁に登録されている当社の宮司は同姓同名。つまり(常識的に考えれば)同一人物。

同地で誤って失われた古墳の姿を復元し、その価値を発信しているということなのでしょう。ふだんは非公開なので外から覗くことしかできませんが、祭りの日などであれば拝観できるかもしれませんね。

桜川市の広報誌(2018年9月号)には3号古墳の壁画のイラストが載せられていました。多少参考になるでしょうか。あとは前述のブログでご覧ください!

御朱印

東山香取神社の御朱印

東山香取神社の御朱印

東山香取神社の御朱印です。神職は常駐しておりませんが、書き置きがありますので氏子の方など境内にいらっしゃる方に声をかけていただきます。もちろんいらっしゃるかどうかは定かでありません。

わたしが頂いたものは印刷されたもので日付はその場で書き入れてくださいました。ありがたいことです。

まとめ

この記事のまとめ

  • ご祭神は経津主命。石守寺と関係あり?
  • 古墳はレプリカ。実物は失われた
  • 御朱印は境内の関係者に声をかけていただく

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社
常陸国天狗譚/著:岡村青

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