【摂社】唊嗽神社と山の神|桜川市【櫻川磯部稲村神社】

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 山の神や修験の関係について
  • 御朱印のいただき方

櫻川磯部稲村神社(桜川市)には唊嗽しゃびき神社という少し変わった摂社があります。社号が正しく読めないのは当たり前、常用漢字でなければその読み方は辞書にありません。

小さい神社ですし、あまり気に留めていなかったのですが、『茨城県神社誌』で古い祭神を知ってからとっても気になるように。もしや民間信仰や修験が絡む特殊な神社なのかなと。

この記事ではそんな唊嗽神社について妄想を含めていろいろ紹介しますので、参拝のきっかけになれば嬉しいです。謎を解くのはあなたかもしれない!

唊嗽神社とは

石碑

石碑

不詳
創建
平成27年/2015年
御手洗池改修

当社は櫻川磯部稲村神社の飛び地の摂社であることとかつて境内の御手洗池で神職の禊が行われたこと以外はほとんど何も知られていません。

平成27年に建てられた境内の石碑によればご祭神は唊嗽大神。それに以下の神々を合祀しています。

  1. 愛宕神社…火産霊大神
  2. 雷神社…雷大神
  3. 熊野神社…熊野速玉大神、熊野夫須大神
  4. 白山神社…菊理媛大神
  5. 淡島神社…少名彦大神

ところが、昭和40年代に県神社庁から発行された『茨城県神社誌』に目を通すと、ご祭神が大山津見おおやまつみ鹿屋野比売かやのひめ、そして「御手洗池に鎮座」と書かれています。

現在の祭神と異なるわけですが、二神が本来のご祭神であるとか古くはそう信仰されていたとかはまったく分かりません。明治以降に新たに定められた可能性さえあります。

というのは、明治初期に政府から出された「神仏判然令」は神道と仏教の分離だけでなく、『古事記』や『日本書紀』に典拠しない神を改める動きでもあったためです。そういう意味では現在のご祭神は適切かもしれません。

ただし、大山津見と鹿屋野比売がデタラメに充てられたとも考えられません。唊嗽大神と親和性があったからこその措置だと思います。それは一体?と考えてみるのが当社の楽しみ方のひとつなのです!

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二神は記紀に事績らしいものが見当たりませんが、神号や生じた神(子ども)から読み取れることは多々あるはず。レッツチャレンジ!
MEMO

印刷物やネット上で社号が「咳嗽神社」と表記されるのは「唊」の印刷用の書体が無いためといわれます。

アクセス

最寄りICは北関東自動車道の笠間西ICもしくは桜川筑西ICです。いずれも下りてから約10分ほど。

最寄り駅は水戸線の羽黒駅。2.5kmほど離れているのでタクシーやバスを利用することになります。

唊嗽神社の専用駐車場はありませんが、本務の櫻川磯部稲村神社の駐車場を利用できます。場所は以下です。

名称唊嗽神社
住所茨城県桜川市磯部779(櫻川磯部稲村神社)
駐車場あり

鳥居

駐車場から神社までの通路

駐車場から神社までの通路

車を櫻川磯部稲村神社の駐車場に止めて西方へ。簡素な看板を頼りに1〜2分ほど歩きます。

細い通路を出ると左手に田園風景。のどかな場所です。道なりに直進すると右手にあるのが唊嗽神社。

鳥居

鳥居

境内は狭いので簡単に一望できます。境内に対して御手洗池の割合が大きく、その重要性を表しているようですね。

社殿

社殿

社殿

社殿は簡素な切妻造。こちらに唊嗽大神と前述の五社が合祀されています。

社殿の前には立て札があり、「水神・龍神・病気平癒」と謳われています。病気については「喉の病・目の病 等」と具体的な記述があってなんとも神秘的。

扁額

扁額

扁額は正規の文字が使われています。それにしてもこれで「シャビキ」と読むのは無理があるような。。ネット上の辞書では、「唊」がキョウ・コウ・ケン、「嗽」はソウと音読みします。唊の方はよほど特殊な字なのか手持ちの辞書では見つかりませんでした。

また、「唊」は「咳」に置き換えられることがありますが、やはり「シャビキ」には通じません。ミステリー!

神木のヒサカキ

神木のヒサカキ

社殿の裏手にあるのはおそらく「ヒサカキ」。神事に用いられるサカキ(本榊)とよく似た植物として代用されます。サカキは関東より西の比較的暖かい地域で育つ植物なので関東ではヒサカキを見る機会が多いんですよね。

ヒサカキの葉

ヒサカキの葉

サカキの葉

サカキの葉

違いは葉の形を見るとわかりやすいです。ギザギザしていたらヒサカキ、なめらかだったらサカキです。社殿手前の植木はたぶんサカキなので比べてみてください。

御手洗池

柵としめ縄が張られた御手洗池

柵としめ縄が張られた御手洗池

当社でもっとも重要な場所とされる御手洗池です。社殿から向かって左手の方にあります。周囲に柵としめ縄が張られているのであまり近づけませんが、近年修復されただけあってかなり整って見えます。

『茨城県神社誌』によれば、少し前までこの場所に祀られているのは大山津見と鹿屋野比売でした。記紀に詳しい方はこの二神が山の神と野の神とされていることをご存知でしょう。

ちなみに鹿屋野比売は『古事記』でノヅチノ神(野槌神・野椎神)の別名が示されており、わたしは「野の霊(神)」と解釈しています。

参考までに二神の間に生じた四組八神をご紹介しましょう。(「大山津見」に基づき古事記の表記)

  1. 天之狭土あめのさづち神・国之狭土神
  2. 天之狭霧あめのさぎり神・国之狭霧神
  3. 天之闇戸あめのくらと神・国之闇戸神
  4. 大戸或子おおとまといこ神・大戸或女おおとまとひめ

これらは親神同様に事績がないためどのような存在か不明瞭です。ただその神号から山野に関する土、霧、谷の神霊化とする考えが多いようです。

③が谷の神とされるのは、山野の特に闇い(暗い)場所から連想してのことです。これについては民俗学者の吉野裕子氏が『日本古代呪術』の「クラ考」で深い考察をしているのでぜひご覧ください。

④については山野を迷わせる神といった説がありますが、「或」の意味の捉え方が難しいようで有力と思える説が見当たりません。通説が気になる方は古事記学センター(参考:大戸或子神)などをご参考に。

上記はあくまで一般的な解釈です。記述が少ないため各々が想像力を膨らませた説明は少なくありません。わたしとしては後述するように山の神が水神を兼ねるとすることで説明できると思うんですけどね。

具体的には①は扇状地、②は放射霧、③は谷、④は三角州といったように、山野を結ぶ水によって生み出された地形が神霊化したと考えています。

④の「或」は「惑わす」の意味よりも親神と同様に現実の地形と結びつけた方が妥当かと思います。そこで「或」は「不確か、一定でない」の意味とし、水量や勢いによって変化する三角州としました。

わたしの解釈の信憑性はともかくとして重要なのはご祭神が揃って祀られていることです。そうでないと説明しきれない理由があるのでしょう。もちろん生じた神々も何か関係している可能性があります。

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大山津見といえば娘に木花開耶姫がいることでも有名。桜にゆかりのある地域ですし、まったくの無関係ではないでしょう

山野の神とシャビキ大神

御手洗池

御手洗池

唊嗽大神は水神とされています。それでは水神といえばどんな神徳が期待されるでしょうか。それから旧祭神に対する理解も深まるに違いありません。

わたしは「水を発生させる」「水を操る」の2つが重要だと思います。それがあれば農業にしろ治水にしろ水に関する悩みはほぼ解決するはず。当地を潤す桜川に対する信仰と同じといえるかもしれません。

それでは旧祭神である山の神と野の神はそうした期待に応える存在といえるのでしょうか。宗像三神、住吉三神、それにミツハノメなど有力な水神を差し置いて。

まず、山は水源として間違いありません。湧き水がありますからね。山の神も水を生む神格を持つと考えられ、それは時代を遡るほど強く意識されていたことでしょう。

当社のすぐ北を流れる桜川の水源は、北東5mほどにある鏡ヶ池です。池の大字が「山口」なのも山を水源と捉えていた証ではないでしょうか。口の字には穴の意味があり、易の思想に基づけば穴(坎)は水の象徴です。

さらに付け加えると鏡ヶ池の名称からは修験道の痕跡を感じます。修験(山伏)の聖地である羽黒山(山形県)にもほぼ同名の鏡池があり、かつてはそれ自体を神体としたほど重視されていました。

当社の東南わずか2kmほどのところにも羽黒山と呼ばれる山があり、今も羽黒小学校や羽黒駅などの名が残っています。修験は当社の全容に関わっており、熊野神社の合祀や本務の珍しいご祭神もその一端だと思います。

次に水を操る、つまり進路を変える能力について。たとえ前述の二神が水神だとしても願えば水が自在に操れるとはだれも考えません。そこで人々はより現実的な願いをしたことでしょう。

古い時代の治水といえば土を使って水路や堤防などが造ること。ただし、いくら山に土があるといってもわざわざ遠方からは運び出しません。土は身近な野から用立てられたことから野の神は治水の神と見なせます。つまり山と野の神が揃うことで理想の水神となるわけですね。

一応ロジカルな説明をしたつもりですが、前述の易や五行説といった古い哲学を用いても同じ結論を導き出せます。じつはそちらの思考を辿ったとするほうが有力な説だと思うのですが。。

水を「操る」を別の言い方にするなら「さえぎる」。自然に従い移動する水を遮ることで進路を変えて思うように水を引けます。遮って引く、だから「遮引しゃびき」。ミステリアスな社号はそんな由来かもしれません。

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「シャビキ」の音は訛りやすいので語源を探るのは難しいですね

唊嗽(咳嗽)の当て字

唊嗽を「シャビキ」とは読むのはやっぱり無理。咳嗽も同様です。ということは漢字と読みはそれぞれ独立しているのではないでしょうか。

そこで注目したいのは「唊」が「咳」に置き換えて使われることです。咳も「シャビキ」の音とは無関係ですから、代用だとしても唊の意味を継承しているはずです。

「咳嗽」は「がいそう」と読んでコンコンと出る咳を意味しますが、由緒とはまったく関係性が見いだせないので無視していいでしょう。そこで「咳」を解字してみると。。口と亥。この「亥」こそ謎を解く鍵だと思います。

亥はふだん見かけない字ですが、干支のイノシシとしてだれもがご存じですよね。イノシシといえば『古事記』では倭健命を敗った伊吹山の神として描かれています。まさに「山の神」。

イノシシを山の神とするのは神話の世界に限ったことではありません。民間では今なおイノシシを山の神であるとか山の神の乗り物として伝わっていますし、民俗学の世界でも同様に言及されています。

口の字は前述の通り水を意味し、亥と組み合わせることで水神としての山の神が意識されていると思います。

続いて「嗽」ですが、こちらには「うがい、口をすすぐ、せき、すいこむ」といった意味があります。このうち3つは不要なものを取り除く行為なので、それは神職の禊ぎがされたことに通じるのではないでしょうか。

ちなみに「嗽」と同じ意味と読みを持つ漢字として「漱」があります。部首が水に関する「さんずい」なので、口偏よりもふさわしいようにも思いますが、なぜそちらを採用しなかったのかは気になるところ。

まったくの思いつきですが、それはやはり易と五行説から導きかれたと思います。口は易において水を意味する一方で五行説(五官)だと土気に配当されます。山の神に必要な水と土を兼ねた文字なので優遇されたのです。

唊嗽神社の漢字は禊ぎ場、読みは治水を意味し、それぞれは山の神の神徳。なぜ山の神が注目されたのかといえば山岳信仰をベースにした修験もしくは御師と呼ばれる伝道師によるものだと思うのです。

そうした者たちがどうして当地にいるのかはここでは説明しきれませんが、本務である櫻川磯部稲村神社のご祭神は伊勢の信仰が色濃く表れていますから、要因はそちら側にあると思います。

こうしたわたしの見立ては外れているところがあるかもしれません。しかし、大切なのは伝承や歴史の中になんらかの真実があるかもしれないという視点で探ってみることです。

唊嗽神社については異質でありながらもあまりに言及が少ないので、もう少し見直されたらいいなと思います♪

御朱印

唊嗽神社の御朱印

唊嗽神社の御朱印

唊嗽神社の御朱印(書き置き)です。本務の櫻川磯部稲村神社でいただけます。

社務所が閉まっている場合は拝殿に書き置きがあるかチェックしてみましょう。自分で専用ボックスを開けて拝受し、初穂料は賽銭箱に納めます。

「摂社」であることや「御手洗池守護」など神格の読み取れる書き入れがありますね!

まとめ

この記事のまとめ

  • 由緒はほとんどわからない。祭神は唊嗽大神
  • 鏡ヶ池や熊野神社など修験と関係ありそう
  • 御朱印は本務の櫻川磯部稲村神社でいただける。拝殿に書き置きもあり

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社

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