門毛の二所神社|桜川市

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 創建と年号と日付の考察
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

アマテラスといえば日本神話において横綱級の神。いや女神。知名度は抜群なものの意外と祭神とする神社は少ないのです。だからたまに見かけるとテンションが上がるんですよね。茨城では県西地域に妙に多い気がします。

今回はそんなアマテラスと弟(妹?)のツクヨミを祀る桜川市門毛の二所神社を紹介します。ここをご存知の方は少ないかと思います。参拝の参考になれば嬉しいです♪

二所神社とは

二所神社

二所神社

由緒

延暦10年/791年
創建
10月15日、勧請により創建。当初は日月社と称した
明治6年/1873年
合併および村社列格
日月神社に八幡宮(品陀和気命)を合併して村社に列格
※八幡宮は大同4年(809年)8月15日創建と伝えられる
明治42年/1909年
鳥居建立
大正2年/1913年
供進指定
昭和27年/1952年
宗教法人設立

ご祭神は以下の三柱です。

  1. 大日漏女命(天照大神)…日月社
  2. 月夜見命(月読命)…日月社
  3. 本多田別命(応神天皇)…八幡宮

明治の合併の際に二所神社になったとのことですが、『新編常陸国誌』の門毛の項には名称が見当たらず。しかし、朱印地六石の「二所明神」が記されていますのでそれかもしれませんね。

創建年が極端に古いのが気になるところ。これくらいの年代だとアマテラスに対する信仰は今とは随分違っていました。皇祖神としての性質が強く、天皇以外の個人的な捧げ物(私幣)は禁止。勧請も難しかったのではと思います。

それが変化したのは鎌倉から室町時代にかけて。荘園の拡大により内宮・外宮の経済的基盤が不安定化したことをきっかけに御師おんしと呼ばれる伝道師が各地で伊勢の信仰を広める経済活動をはじめたのでした。

ただ、当社の場合はツクヨミと一緒に祀られていることから、そうした経緯で創建された神明社などとは異なる性質を感じます。たとえば、元来は薬師如来の脇侍である日光菩薩と月光菩薩を本地とする信仰であったとか。

この辺りで薬師如来といえば当社から5kmほど南にある天台宗の月山寺。昭和期の当社の宮司は磯部稲村神社と同じであり、月山寺は江戸期の初期まで磯部稲村神社の境内にありました。そこから二所神社の二神が月山寺の本尊を守護する護法善神の役割があったのかなと思います。

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門毛地区の鎮守さま!この辺りは昔「前根」と呼ばれていました。当社の北東に位置する門毛城の別名は前根城です

アクセス

最寄りのICは北関東自動車道の桜川筑西ICです。下りて約10分ほど。国道50号を東に進み、右手にココスが見える交差点を北へ。それから突き当りを右折し道なりに進み、さらに突き当りを左折すると見えてきます。

駐車場は。。見当たりません。仕方ないので近くの交通量が少なく車幅の広い場所に駐車しました。

名称 二所神社
住所 茨城県桜川市門毛13
駐車場 なし?
Webサイト 茨城県神社庁
祭祀 2月17日…春祭
11月15日…例祭
11月23日…秋祭
60年毎に御扉開扉祭が伝えられています

鳥居

鳥居

鳥居

シンプルな神明鳥居。天照大神を祀るにふさわしい鳥居ですね。しめ縄の中央が細い糸で少しだけ釣り上げられており、山なりを描いているのが独特に思います。

正直、ここは教えてもらわなければ来なかった神社です。桜川市でもかなり北の方、あと数キロ北進すれば栃木県に突入です。

ということは、遡ればここは常陸国と下野国との国境。そのせいか当地はこれまで領主が度々交代しており、複雑な歴史を持っています。

『茨城の地名』によれば戦国期は笠間氏、江戸時代は旗本新庄氏→天領→旗本内藤氏→天領→旗本遠藤氏→天領と移り変わり、最後は結城藩の飛び地として幕末を迎えています。住民はさすがに混乱しそう。

村社の石碑

村社の石碑

石段鳥居の石碑には「邨社二所神社」とあるそうです。邨は村と同じ、「三」に読めるものは「所」の一画目が非常に長いためにそう読めてしまうようです。旧字は難しいですねぇ。。

社殿

境内社

境内社

石段の先は少し開けており、中心を囲うように境内社が並べられておりました。境内の石碑によれば、当社には次のような神社が鎮座しています。(祭神は『茨城県神社誌』による)

  1. 雷神社…別雷命
  2. 愛宕神社…加具土命
  3. 天満宮…菅原道真
  4. 浅間神社…木花開耶姫命
  5. 神明宮…天照大神
  6. 稲荷大神…倉稲魂命
  7. 星宮…天御中主神
  8. 千勝大神…猿田彦命
  9. 大椙神社…大巳貴命
  10. 金毘大神…大巳貴命
  11. 八雲神社(通称:八坂神社)…素盞嗚命

神明宮があるということは、中世に御師が当地まで信仰を伝えた可能性が考えられます。二所神社と祭神が重なりますから、元来は少し離れた地域にあった社ではないでしょうか。

社殿

社殿

さらに石段を登った場所にある拝殿は寄棟造りのシンプルなもの。ただ、非常に開放的で私好みの造りです。お正月は正面が開放されていて中を拝見できました。

サカキと竹筒

サカキと竹筒

拝殿に捧げられているのはおそらくサカキ。桜川市内の神社ではこのように竹筒にサカキを入れる様式を多々目にします。影響力の強かったであろう磯部稲村神社の関係かもしれませんね。

本殿(覆屋)

本殿(覆屋)

覆屋に囲われた本殿。形がよくわからないかもしれませんが、流造です。また、南向きかと思いきや微妙に南東に向けられているよう。同じ天照大神を祀る神宮とは違うのは興味深いところです。

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県西地域には天照大神を祀る神社が多く、信仰の伝播のようすが感じられて面白いですね!

創建の年号について

由緒の石碑

由緒の石碑

ここからは本当に余談なので面白半分で読んでください。当社の創建の年号や日付についてです。

前述の通り、当社の創建は延暦10年(791年)の10月15日と伝えられています。今から1200年以上前のことなのに日付まで正確に伝えられているのは興味深いと思いませんか?

ここではそれが事実かどうかはともかくとして、どのような意味を持つのかを考えてみます。紹介する手法はわたしのまったくの想像ではあるものの当社に限らず利用できますので知って損はないと思いますよ。当ブログではおなじみの五行説を用います。

五行説とは古代中国で発祥した哲学です。すごくざっくりで恐縮ですが、この世のあらゆるものを五気(木火土金水)に分類して、その関係を説明するものとご理解ください。

上の図は暦や十二支、方位や季節などを五気に分類しています。たとえば、旧暦の1〜3月は春にあたり、木気に属するというように読みます。現在でもお正月に「新春」の言葉が用いられるのはこうした理由によります。

五行説を用いると年号や日付についても分類が可能となります。とはいえ、新たに考える必要はありません。現代でも「今年は寅年だ」などと言って十二支で暦を表現しますよね。暦は常に干支で置き換えられています。

延暦10年の干支は辛未かのと ひつじ。少し違和感あるかもしれませんが、これが干支の本来の形です。十干と十二支をあわせたものが干支。ぜんぶで60種類あるので60年で一区切り。60歳を「還暦」と呼ぶのはこれに由来します。

辛は「十干」です。十干とは前述の五気のどれかとその陰陽を示しており、辛であれば「金の弟」を意味し、金気+陰気を示します。未は十二支なのでご存知かもしれませんね。図にあるように火気に属します。

このように干支は十干と十二支から成り立っており、辛未であれば金気と火気と分けられます。2つの気は異なるのでなにを意味するのかわからないと思いますが、この2気は五行説では相剋の関係です。

相剋はいわば気の優劣関係です。上の図にあるように金気と火気であれば「火剋金」といって火気が金気に優位であり、原則的には負かすとされています。ひとまずこれを覚えておいてください。

続いて日付について。10月15日のうち10月は図にあるとおり亥。ところが15日はよくわからない。ここでわたしが意識するのが「三合」の法則。三合とは気には始め、ピーク、終わりの3つがあるとする考え方です。

たとえば、木気は寅、卯、辰の3支なのですが、それは短期的な見方。長期的には水気の亥にはじまり、木気の卯でピークを迎え、火気の未で終わりを迎えると見ます。

図にあるこの3点を結ぶとすべての角度が60度、すなわち正三角形ができるわけです。三合は五行説の法則のひとつであり、こうした法則によって生まれだされた気は通常よりも強力とされます。

それではこの三合のもっとも理想的な形はなにかといえば、前述のように完全な三角形を生み出すことです。これを暦に置き換えると木気のピークがその中央の卯の月ですから、そのさらに中央にあたる2月15日が木気最大の日です。その点から正三角形を作ろうとすると10月15日と6月15日が始まりと終わりになるのです。

要するに10月15日は最大の木気を生み出すためのきっかけです。それでは先程の十干は木気とどんな関係があるのか。

もう一度相剋関係の図を見ていただくと、金気は木気を剋します。ということは火剋金により金気が弱れば木気にとって優位。創建の年号と日付は木気を生じ、守る意味があると考えられます。

木気は「五官」において「目」を司る気です。当社のご祭神であるアマテラスとツクヨミは父であるイザナギの「目」から生まれたため、特に大切にしているのではないでしょうか。

県神社庁によれば、当社は60年ごとに「御扉開扉祭」があるそうです。前述の通り60年は干支が一周りする期間ですので、創建年と同じ辛未の年に執り行うことで祭神に活力を与えるのではと思います。

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五行説はだれにも説明されることなく、わたしたちの生活に溶け込んでいますよ。年間行事や古くから続く習慣について詳しく知りたくなったらぜひ勉強してみてください!

御朱印

門毛二所神社の御朱印です。初詣の際に拝殿でいただきました。

社務所兼宮司宅に事前にお電話すればそうでない日でも対応していただけるかもしれません。どうしてもという方は試してみてはいかがでしょうか。

まとめ

この記事のまとめ

  • ご祭神はアマテラスとツクヨミ、応神天皇。日月神社と八幡神社が合併して今の形になった
  • 創建の年号は五行説に由来するかもしれない
  • 御朱印はお正月に拝殿でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社

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