上河合の枕石寺|常陸太田市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 由緒とご本尊
  • 「枕石事件」について
  • 御朱印のいただき方

今年も常陸太田市で集中曝涼が開催されました。曝涼とはいわゆる日干しのことで大切な寺宝を曝してカビや虫を避けることです。それによって寺宝が公開されるので、歴史好きや文化財ファンは見物に行くわけです。

この行事は回数を重ねるごとに資料や会場での解説が充実するので本当に楽しんでいます。正直、混雑すると見づらいのであまり人には知らせたくないのですが。。

今回はそんな集中曝涼で訪れた枕石寺ちんせきじをご紹介します。とっても興味深い伝承がありますので、ぜひ知っていただきたいですね。そして興味を持った他のスポットとあわせて常陸太田まで足を運んでいもらえると幸いです♪

枕石寺とは

枕石寺

枕石寺

由緒

建暦2年/1212年
創建
11月27日の「枕石事件」の後、入西房道円にゅうさいぼう どうえん(日野左衛門尉頼秋)が開基となり大門村に創建と伝えられる
貞永元年/1232年
内田村に寺基を移す
内田村に移り内田山と三合を改める
※内田村=現在の常陸太田市内田町
天文9年/1540年
現在地に寺基を移す
延宝6年/1678年
改号
水戸藩第二代藩主・徳川光圀公により現在の「大門山伝燈院」と改める(『太田盛衰記』より)
また光圀公が阿弥陀如来像を寄進し本尊にしたと伝えられる
昭和42年/1967年
文化財指定
紺紙金泥三部妙典が市の文化財に指定される
昭和55年/1980年
本堂修理及び屋根瓦葺替工事

御本尊は阿弥陀如来です。浄土真宗といえばほぼこれ一択ですね。念仏の「南無阿弥陀仏」がそれを物語ります。

当寺は真宗二十四輩の15番目の寺に数えられ、「枕石事件」で知られています。事件の概要を集中曝涼で配布された当寺の来歴から引用して紹介します。

寺伝では、建暦2年(1212)のある雪の降る夕暮れ、親鸞は性信と西仏の2人の弟子を連れて布教活動をしていた折、大門村(現常陸太田市大門町)を訪れ、日野左衛門尉頼秋に一夜の宿を求めたが断れたため、石をまくらに雪の中に寝たといいます。一方、頼秋はその夜、千手観音が現れ「旅人に慈悲を」と頼秋を諭した夢を見ます。頼秋は早速親鸞たちを家に入れて非礼を詫び、教えを受け出家、弟子となり入西房道円にゅうさいぼう どうえんと名を改め、親鸞の枕した石にちなんで寺号を「枕石寺」としたそうです。

なんとも神秘的なお話ではないですか。親鸞が枕にした石は寺宝として伝わり、常陸太田市で毎秋に開催される集中曝涼で公開されます。興味のある方はぜひ市報等でチェックしてみてください。

また、創建された大門町(字枕石)には枕石寺跡として石碑や親鸞の像などが建てられています。「枕石」のバス停を少し過ぎたところなので史跡巡りをしたい方は探してみてはいかがでしょう。

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由緒は当寺が伝えている由緒です。当寺と大門村の枕石寺は別の寺とする説もありますよ!

アクセス

最寄りのICは常磐道の日立南太田ICです。下りてから県道166号を西へ進み、道の駅ひたちおおた(黄門の郷)を右手に見ながら突き当りを左折。それから3つ目の交差点を右折、1つ目の交差点を左折して道なりに行くと見えてくるかと思います。

最寄り駅は水郡線の河合駅です。駅から800mほどなので10分ほど歩けば徒歩でも参拝可能ですよ。

名称大門山傳燈院 枕石寺
住所茨城県常陸太田市上河合町1102-1
駐車場あり
Webサイト親鸞聖人を訪ねて

境内

境内入口

境内入口

わたしが参拝するのはいつも集中曝涼なので境内はとても賑やか。写真は撮っておりませんが、駐車場の周辺は物販のテントがいくつも並んでいました。朝10時頃には車をどこに停めようか悩むほどで驚かされましたね。

親鸞聖人像

親鸞聖人像

寺号標の片側には「親鸞聖人御旧跡」とありました。その隣にあるのは親鸞の像です。聖人の高弟の寺ということもあって強く祖師が強く意識されているようです。

ところで、開基となった入西と親鸞の出会いは建暦2年(1212年)と伝えられています。しかしながら親鸞が常陸国(現茨城県)を訪れたのは建保2年(1214年)とするのが一般的。(参考:西本願寺

通説が正しければ2人の出会いは物理的に不可能なので寺伝に疑いが持たれるわけですが。。それは「建暦」と「建保」の字が酷似していることによる誤記か誤読ではないかと思うのです。

寺伝は「髙祖親鸞聖人御枕石御縁起略述」として当寺のパンフレットに記載されていますので原本も残っていそう。できたら現物も見てみたいものですね。

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親鸞の父は日野有範。同じ日野氏であることから頼秋(入西)を訪ねたという説もありますよ!

本堂と寺宝

堂内

堂内

この日は集中曝涼につき本堂が開放され、寺宝が公開されておりました。ただ見物するだけでなく大学生ボランティアによる解説も聞かせていただけます。引率の先生やご住職などがいらっしゃることも多いので色々教えていただけてありがたし。

伝説の枕石

伝説の枕石

まずは寺号の由来になった石について。たしかに枕っぽい形をしていますね。直に頭を置いたら痛そうですけど。個人的には石枕というと古墳の出土品、つまり遺体に用いられる枕を連想してしまいます。

この角度からだと分かりませんが、「大」「心」「海」の三文字が彫られています。寺伝によれば親鸞が彫刻して末代に伝えよと仰り、「わびしきは石を枕にかりねしてあくるをまつはひさしかりけり」と歌を詠まれたとのこと。

なお、「大心海」は浄土真宗で用いられる用語を解説するウィキアークによると次のような意味です。

海のように広大な慈悲心をもたれた仏という意。(浄土 P.559, 高僧 P.589)
大心海/WikiArc

親鸞聖人の御真影

親鸞聖人の御真影

続いては親鸞が枕石で寝ている様子の像。尊い方の造形ですので御真影と呼ばれています。

まさに伝承を形にしたような姿。これを見れば何があったのか一目瞭然です。現実に見たら切ない気持ちですが。。

この像は枕石事件からちょうど一年後に入西が作ったそう。よほど後悔の念が強かったのか入西はその想いを親鸞に伝え、親鸞はそれに応えるように「後の世の形見に残すおもかげは弥陀たのむ身のたよりともなれ」と歌を詠み入西を許しました。

枕石寺御絵伝

枕石寺御絵伝

さらに伝説を分かりやすく伝えているのが『枕石寺御絵伝』です。下から上にかけて読むようになっています。ぜんぶで四つのシーンが書かれているので4コマ漫画みたいですね。

さて、ここで興味深いお話をもうひとつ。じつは枕石寺とよく似た伝承が別のお寺にもあるのです。親鸞が常陸国を訪れる前にいた越後(新潟県)の浄善寺には次のような伝承があります。

寺伝によりますと、聖人が当地柿崎にたどり着かれたのは冬の夕暮れ。
一軒の家(扇屋)に、宿を求められます。しかし、扇屋夫婦が邪見の者であり、なんと杖を振りかざして断わってしまわれます。
聖人は夫婦に、この出遇いも仏縁である事を話され、軒下にて雪を褥に、石を枕にされお体を休められます。

その中にありながらも、聖人は阿弥陀様のご恩を感じお念仏を称えられたそうです。そしてお声を聞いていたのが扇屋夫婦でした。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えされる聖人のお姿に、我が身をかえりみて、聖人を中に招き、教えをいただきます。
「無量のいのちである阿弥陀様がおられる事。阿弥陀様は罪を責める事なく、ただ『全てまかせなさい』とお救いを告げて下さること。」
阿弥陀様のお心を聞いた夫婦は、お念仏を喜ぶ身へと転じていかれます。
聖人は、扇屋夫婦も阿弥陀如来のお導きに出遇われたことを慶ばれ、
「柿崎に 渋々 宿をかりけるに主の心熟柿(じゅくし)なりけり」と詠まれたといいます。
浄善寺について

大筋を同じくしており、歌が詠まれているのが印象的。枕石寺の創建よりも若干古い時代というのも面白いです。

紺紙金泥三部妙典

紺紙金泥三部妙典

寺宝のうち文化財指定を受けているのは『紺紙金泥三部妙典』です。

三部妙典とは浄土三部といわれるもので,無量寿経,観無量寿経,阿弥陀経の三部をさします。
 「無量寿経」は浄土宗,真宗の根本経典で上下2巻となっています。上巻には阿弥陀仏が因位(仏果を得るために修行する地位)において四十八願を建て,西方極楽を成就した因果を説き,下巻には衆生(いっさいの人類)が極楽へ往生する因果を説いたものです。

 「観無量寿経」は,釈尊が摩掲陀国王頻婆沙羅の后妃偉提希に説いた教えでもあります。

 「阿弥陀経」は阿弥陀の功徳と極楽のことを述べた経文です。

 以上が三部妙典ですが,枕石寺にあるものは,4巻中,阿弥陀経1巻が欠けています。
常陸太田市教育委員会

金泥で美しい文字です。文字の修正どころかその練習自体が難しい時代ですから多くの字を残した方々は本当に尊敬できますよね。

阿弥陀如来像(本尊)

阿弥陀如来像(本尊)

最後に光圀公が寄進したといわれる阿弥陀如来像を紹介します。像が造られたのは鎌倉時代と推定されるとか。それだと文化財になっていておかしくないと思いますが、いまだ未指定です。

面長でふっくら、優しげな印象です。末法の時代であっても阿弥陀如来がどんな方でもお救いになられるというのが親鸞や法然が説いていたことです。シンプルではあるのですが、日本中に仏教が広まり教義が複雑化した時代だったため誤解や既存勢力の反発も強かった模様。

県内各地に残る親鸞に関する逸話もそうした背景があってのことで、当寺もまさにそのひとつと言えるのではないでしょうか。

注意

集中曝涼において堂内および寺宝の写真撮影は可とされていました。許可は場所によって異なるのでご注意ください。

御朱印

枕石寺の御朱印です。集中曝涼の際にご住職にお声掛けして頂戴しました。

ちょうど文字かかってしまいハッキリと見えませんが、なにやら可愛らしい仏さまが。ありがたいことです。

まとめ

この記事のまとめ

  • 阿弥陀如来を本尊とする真宗のお寺。枕石事件をきっかけに創建された
  • 寺号は開基の入西が親鸞を枕石で寝かせたことに由来する
  • 御朱印は集中曝涼の日にいただける(毎回とは限らない)

参考文献

茨城の寺(三)/今瀬文也
茨城の地名/出版:平凡社