市杵姫神社と市神さま|水戸市

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wata

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この記事でわかること
  • 由緒と御祭神
  • 「市神さま」について
  • 御朱印のいただき方

明治時代に始まった神社の格付制度。いわば神社の上下関係を表すのでどうしても格の高い神社にばかり注目しがち。

しかし格外、つまり無格社となった神社は地域の神とは違った特性を持っていることがあります。今回紹介する水戸の市杵姫神社もそんな神社のひとつ。

無格社は民俗学的に興味深いものが多いので社格を調べられる方はぜひ注目してみてくださいね。市杵姫いちきひめ神社は「市神さま」と呼ばれる特殊な神様ですよ!

市杵姫神社とは

市杵姫神社

市杵姫神社

由緒

不詳
創建
伝承によれば大和国高市より分祀。はじめ久慈郡太田に鎮祭して崇敬されたが、佐竹氏が水戸城主の時、城東竹隈の地に遷座
寛永年間/1624-1644年
遷座
現在地に遷座
明治11年/1878年
神社明細帳に編入
正式な神社として認められる
昭和20年/1945年
社殿焼失
戦災により社殿焼失。その後再建
昭和27年/1952年
宗教法人設立

ご祭神は市杵島姫いちきしまひめです。アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた宗像三神の一柱。厳島神社などに祀られ、明治以前は弁財天とされていたことが少なくありません。

しかし当社の由緒を調べてみたらまったく違う神格が見えてきます。『茨城県の地名』によれば当社は「市神さま」と呼ばれるそう。これは神号の略称ではなく「市場の神様」の意味で使われる民間信仰における神です。

わたしも初めて知ったので調べてみたところ以下のようにありました。

いちがみ【市神】

市取引の平穏を守護し,その場に集う人々に幸をもたらすと信ぜられる神。市姫ともいう。古く795年(延暦14)藤原冬嗣が宗像大神を都の東・西市にまつったという伝説があり,宗像三女神の市杵島(いちきしま)姫の〈市〉にちなんで祭神としたものか,この例は多い。ついで大市姫,大国主命,事代主命などをまつる例が目立ち,恵比須,大黒をまつる例もある。もともと祭神が定まっていたとは思われず,神体も卵形,丸形の自然石とか,木の六角柱などが原初的な姿と考えられ,陰陽1対の石からなる例もある。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について

各地の市神を画一的には解釈できませんが、商業の神として間違いないでしょう。『茨城県神社誌』の当社の項目にも「古来商業の神として信仰せられ、商業関係者の崇敬者として著名である。」とあります。

また、同書には氏子100戸、崇敬者2000人とあります。無格社としては驚異的な認知度。それには毎年正月8日に開かれる「だるま市」のおかげもあるでしょう。市はもともと当社の例祭です。

市は現代でも開かれており、水戸商工会議所のサイトには次のようにあります。

 下市は、徳川氏の水戸城入城後、新しく開かれた商人・町人の町として、当時は豪商が軒を並べて藩内最大の商業の中心地でした。
 江戸時代から引き続いて、毎年1月8日に初市が開かれて本町1丁目から本町2丁目の大通りに市が立っており、市の目玉としては、だるま、恵比須・大黒の神像、神棚のお宮縁起物のお飾り、梅や福寿草の鉢ものなどが露店に並べられ賑やかだったといいます。
 農家では豊作を、商人は商売繁昌を祈って、初市の「だるま」を買い求めたので、だるまの店が数軒立ち、景気のよい掛声と値引きの取引が行われたので一名「だるま市」とも呼ばれるようになりました。
 下市の中央には市を取りまとめる市杵姫神社のお仮屋が設けられ、市神さま(古来商売の神として崇拝)が出社になります。
だるま市/水戸商工会議所

お祭りといえば一般的には自社の境内か関係の深い場所で催されます。当社の場合は微妙に離れた場所を会場とし、その中心に当社の神輿が渡御します。

ところが、『水府寺社便覧』には例祭で「だるま」が販売されるとはありません。それにだるま市の日程といえば少林山達磨寺(だるま発祥の地とされる)のように7日が一般的。当社は8日ですから微妙に違う。

どうやら「だるま」は近年扱われたものであって古くは別の意図があったようです。じつは大変奥深い神社でして境内を見て回るだけではわからないことだらけですね。

葵紋の提灯

葵紋の提灯

初詣の際には葵紋の提灯が拝殿に掛けられていました。水戸藩に認められてのことですが、鎮守社ですらない神社に対して破格の扱いに思えます。まだ知られていない逸話があるのかもしれません。

アクセス

水戸駅南口から1.5km。車なら数分ですが、歩きはちと厳しい。基本的には車での参拝になるでしょうか。

ただし、駐車場はありません。社前の通りは駐車禁止。周辺にも有料を含めて駐車場所がないのが困りもの。近所の竈神社と合わせて参拝するなどして工夫しましょう。

名称市杵姫神社
住所茨城県水戸市本町1-6-17
駐車場なし

鳥居と手水舎

備前堀から見る市杵姫神社

備前堀から見る市杵姫神社

市杵姫神社は本町を流れる備前堀の北側。春になると一本桜のソメイヨシノがその位置を教えてくれます。

堀沿いには柳が等間隔に植えられていてなかなかに風流。お盆の時期には川上(やや西)で先祖供養のために灯籠を流す「備前堀流し」が行われます。

市杵姫神社の全景

市杵姫神社の全景

こちらが神社の全景。コンパクトですよね。真っ赤な神明鳥居と桜が目印で笠木の端部が斜めに切られているのが特徴的。

手水舎

手水舎

手水舎には桜の花びらが浮かんでおりました。いい時期に来たものです。建屋はしめ縄でしっかりと仕切られ厳かな雰囲気は充分。他社に決して見劣りしません。

境内の鉢植え

境内の鉢植え

宮司さんの趣味なのか様々な鉢が置かれていました。桜と合わせて木気たっぷり。参拝すると元気が出ますよ。

社殿

拝殿

拝殿

社殿は神明造に見えますが、『茨城県神社誌』によれば流造とのこと。回り込んで見るわけにもいかず。

扁額には「市杵嶋姫神社」と書かれています。現社号は長いので若干省略したそう。「市神さま」であることが伝わればOKなのかな。

月次祭のときには扉が開放されます。わたしはその際に訪ねたことがないのですが、もし開放されていたら御神体がなにであるかぜひともチェックしたい。

「市神さま」は御神体を丸型の自然石である場合が多いといいます。じつはそれこそが商業の神であることを示す姿だと思うのです。ただし、その理解には五行説の知識を要するのですけどね。

五行説と市神さま

五行説というのは古代中国で生まれた思想です。6世紀頃、仏教が伝わった時代には日本でも知られていたとされ、今なお年中行事やしきたりの中に潜んでいます。

簡単にいえば木火土金水の五気の働きを説明するもので、相生、相剋、比和といった関係が知られています。

当社の「市神さま」は商業の神様です。「金」を集めることが得意とされますから、五行説では金気と関係が深いといえるでしょう。

金気の特徴は固い、丸い、白いなどが挙げられます。「白い」はピンとこないかもしれませんが、ホワイトというよりメタリックホワイトやシルバーを連想してもらえればと思います。

そう考えると御神体が丸い石であれば、まさに金気の神を体現しているといえます。とはいえ、当社の神体がそうであるかはまだわかりませんけどね。

さて、じつは五行説にはそうした金気の効能を高める方法があるのです。それがいわゆる「三合の法則」。気には始まりと終わりがあり、それらを揃えることで効能を発揮したり、継続できるとされます。

金気であれば「火気にはじまり水気に終わる」ので、上の画像のように火気の巳(蛇)と水気の丑(牛)と組み合わせる工夫がされるのです。ちなみにこの法則は金気を含めた2つでも成立します。

巳と丑は十二支であり、その配置のとおり方位も示します。巳が東南、丑は東北。興味深いのは当社の例祭で神輿が東北に渡御すること。東北の丑は金気の終わりであり、発生した金気を留めます。

その丑の方位に祭りを開き、古くは「水飴」がみやげ品として売れたそうです。まるで三合によって発生した気を水飴として持ち帰るかのよう。江戸時代後期になると水飴は大黒や恵比寿関係に変わりましたけどね。

例祭は「初市」と呼ばれ、以前は8日と9日の2日間ありました。8という数字は盛んになった木気を意味する「木気の成数」です。木気は生命を司る気なので動くとか生まれるといった働きがあります。

8日は人々が動き出すにふさわしい日取りであり、初市に多くの人が訪れるよう願われたのではないでしょうか。なお、翌日の「9」は金気の成数なのでまさに商売に最適の日というわけです。

ところで、当社の祭神でもある市杵島姫は明治以前であれば「弁天さま」として祀られることが多々ありました。弁天さまから「池」「岩場」「蛇」を連想するのは難しくないでしょう。これらは水気(丑)、金気(酉)、火気(巳)と見なすことが可能で金気の三合と一致します。

弁天=市神であり、市神=市杵島姫。ということは弁天=市杵島姫です。明治の神仏分離によって弁天さまが市杵島姫に置き換えられたのはこうした考え方によるのではないかと思うのです。

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詳細は不明ながら例祭には「申(猿)太夫」が関わっていたそうです。正月のことなので「水気の三合」を利用した火事予防も兼ねていたのかもしれません

手継大明神

手継大明神

手継大明神

拝殿の手前、左手に見えるのが手継大明神。社号からすると明治以前から続いているようですね。

茨城で「てつぎ」といえば小美玉市の手継神社。河童を助けた殿様が祭神として祀ったという不思議な民話が伝えられています。ご祭神も同じ罔象女みずはのめです。

なぜここに手継神社があるのだろうと思いますが、ご祭神が水神であるとすれば水気の神社としてやはり金気の三合が意識されたのでしょうか。だとすれば当社は市杵姫神社の後に参拝するのがよいでしょう。

また、易で考えると「手」は艮の象ですから「東北」に通じます。東北は市杵姫神社の御輿が例祭で渡御する方位、そして「丑」を含むことからやはり市杵姫の後に参拝することで三合が成立する仕組みです。

詳細は分かりかねますが、主祭神をサポートする役割の境内社として考えられます。ぜひ合わせてご参拝ください♪

また、当社殿の内部には清正公神社が合祀されています。これはかつて加藤清正公に仕えた家臣・下野氏の氏神であったといわれます。

下野氏は加藤家滅亡後に水戸藩士となり石垣普請の技術職として活躍。竹隈町に屋敷を持ち小祠を建てて祀っておりましたが、やがて信仰が忘れられて朽ち果てた姿となったそう。それを見かねた市杵姫神社の先代宮司が境内社として遷座しました。

もとは手継とは別でしたが、区画整理の結果境内が狭くなったため合祀され相殿神のように扱われています。めぐり合わせを感じさせる不思議な神社ですので思いを巡らせながら参拝してみてはいかがでしょうか。

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御朱印

市杵姫神社の御朱印

市杵姫神社の御朱印

市杵姫神社の御朱印です。隣接する宮司宅でいただけます。

まとめ

この記事のまとめ

  • ご祭神は市杵島姫命。古くは「市神さま」と呼ばれた
  • 市神さまは商売の神様。正月8日に例祭の初市が開かれる
  • 御朱印は隣接する宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社

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