如信上人ゆかりの正覚寺と丑の刻詣りの伝説(那珂市)

今回、オカルトやります。苦手な方は早めにお引取りください。でも、大人なら大丈夫。。。なはず。

ご紹介するのは那珂市の正覚寺しょうがくじ。浄土真宗の開祖、親鸞しんらん聖人の孫・如信にょしん上人の御遺骨がある唯一のお寺です。

境内にはたくさんの立て札。どれもご住職のアツいメッセージが書かれています!山程お伝えしたいのですが、如信上人と『丑の刻詣りうしのこくまいり』の伝説に絞ってご紹介します。

正覚寺とは

正覚寺入り口の石柱

正覚寺の歴史は約1200年。もともと天台宗のお寺でしたが、現在は浄土真宗。改宗のきっかけは親鸞聖人の孫・如信上人が布教にきたことによります。住職の先祖は慈覚じかく大師(天台宗の総本山・延暦寺住職)までさかのぼりますので、改宗にはよほどの決意と信念があったのでしょう。

如信上人の御廟

信仰上の理由もありますが、先代の住職は如信上人と強い絆がありました。上人が伏せたとき、住職はどの信徒よりも熱心に看病したのだとか。上人がなくなったときは導師(葬儀の最高責任者)を務めましたので、周囲も認めていたのでしょう。また、現在、上人の御遺骨を守っているのは正覚寺だけです。(上の写真がその御廟)

MEMO
親鸞聖人本人が布教にきたこともありますが、そのときは改宗しませんでした。

境内では如信上人の他に親鸞聖人についてもさまざまな紹介をしています。わたしにはドラマティックな文章に感じられました。住職の個性ですね。

親鸞聖人と如信上人の『いのちの絆』像

親鸞聖人(左)と如信上人(右)の像もドラマのワンシーンのようです。解説によると親鸞聖人が『いのちの絆』を伝えているところ。当時の住職が葬儀で体験したショッキングな出来事からこの像の必要性を感じたそうです。如信上人の評価が高いのは親鸞聖人からこうして薫陶を受けたからといわれています。

wata

ただ・・・親鸞と善鸞については語られていません。血がつながっていても絆があるとは限らない。絆があってもずっと続くとは限らない。だから大切にしなくてはいけないのだと思います。

仮本堂

MEMO
訪問した6月上旬、本堂はなく仮本堂のみとなっていました。

元要塞で菅谷氏発祥の地

正覚寺の住職はユニークなことにかつてこの地の領主でした。そのため、お寺に要塞機能があったんです。いまも土塁や塀が残ってますよ。

菅谷不動尊

さらに正覚寺のある菅谷は源氏の一族『菅谷氏』発祥の地といわれます。

菅谷という地名はもともと菅谷不動尊があることで呼ばれていました。眼病に効くご利益があって800年間も安置されていたそうです。『菅谷氏』もその不動尊にあやかって始まりました。

この不動明王は新しいのでそれをモチーフにしていると思います。

『丑の刻詣り』の伝説

丑の刻詣りの伝説(立て札)と阿弥陀如来像

正覚寺を知ったきっかけは、なにを隠そう『丑の刻詣り』の伝説。むかしはテレビのオカルト番組などで取り上げられてましたが、最近はめっきり聞きませんね。夜な夜な藁人形に釘を打ち込むアレです。

正覚寺とこの伝説、検索しても見つかりませんが立て札にしっかりあります。まずはそちらをご覧ください。

 丑刻午前二時に神社で憎い人のわら人形に釘を打ち込み呪い殺す丑刻詣。江戸延宝年間、菅谷村に八幡太郎義家末孫で長者の軍司四郎左衛門がいた。恨む者が丑刻詣で呪い殺そうとし、彼は頭中が割れそうであった。

様々な佛神へ祈願したが無駄だった。当時の御本尊は霊験不可思議で有名なので、ある朝、御本尊に平伏し拝んだ。すると御本尊が須弥壇しゅみだんより舞い降り彼の頭の中心を御足の大指で蹴ると八寸程の釘がガラリと抜け血が流れ悶絶した。上人が止血しても止まらず白衣が血に染まり縁に満ちた。(その血染めの衣は今も残り凄さを伝える。)

不思議に彼の苦痛は即座に失せた。霊験不可思議な法力の極みと喜び、御本尊を一心に念じ、代々当寺の門徒となった。この他お百度参りの御利益の不思議な事が度々あり、御本尊に詣でて御利益に預かり、今日なお篤い信仰を集める。
正覚寺二十七世住職
丑の刻詣り〜正覚寺御本尊は霊験不可思議〜/正覚寺立て札

呪った者がだれなのか大変気になりますが、とりあえず置いておきましょう。この伝説、実は筑波書林の『那珂の伝説』にもあります。そちらには立て札にないことが・・・要約します。

『那珂の伝説』にあること

  • 呪われた左衛門は百姓。下人や小百姓を使って大規模な経営をしていた
  • 鎮守の神木に呪い釘が打ち付けられていた
  • 菅谷の鹿島神社や不動院で祈願したが苦痛は続いた
  • 救われたあと、左衛門は真言宗から浄土真宗の信徒になった

浄土真宗に『悪人正機あくにんしょうき』という教えがあります。一言で説明すると、悪人ほど悟りを開くことが難しいので仏が救ってくれる。(ざっくり過ぎてごめんなさい)昔から誤解されることの多い教えです。

『那珂の伝説』はこの教えを物語化したように感じます。立て札はこの部分を省略しているのでしょうか。突然出てくる『真言宗』についても気になるところ。

ただ、丑の刻詣りが実際にあったかというと「さすがに」と思います。

wata

伝説には色々と不思議なことがあるのですが・・・前述した謎は境内の『正覚寺一千二百年の由緒』を読むと分かるかもしれません。かなりの長文ですが、読まれた方は感想を聞かせてください。

ところで、丑の刻詣りの原型は江戸時代にはありました。葛飾北斎や鳥山石燕も描いていますのでご覧ください。(Wikipediaで閲覧可)ただ、藁人形については見当たりません。

藁人形の”設定”が加わったのは能の演目『鉄輪かなわ』でしょうか。概要は以下のリンク先がわかりやすかったです。

参考 演目辞典:鉄輪(かなわ)the能.com

さて、鉄輪の舞台となるのは京都の貴船きぶね神社。どこかで聞いたことあるなーと思ったら、瀧夜叉姫の伝説でした。平将門の娘が父の恨みを晴らすために鬼になる、という物語です。似ている点がいくつもあるので、関係が気になりますね!過去に記事にしましたのでどうぞ。

アクセス

名称 真言宗 大谷派 正覚寺しょうがくじ
住所 茨城県那珂市菅谷2199-1
駐車場 あり
TEL 029-295-9600
Webサイト なし(那珂市観光協会内に記述あり

まとめ

那珂市の正覚寺は浄土真宗のお寺。開祖親鸞の孫・如信と深い絆があります。如信の遺骨があるのは正覚寺だけ。数ある浄土真宗のお寺で特別なことです。

また、丑の刻詣りで呪われたものを当時の御本尊が救った伝説があります。伝説はさまざまな謎を秘めて、他の伝説とも関係しているかもしれません。


参考図書
那珂の伝説 下/著:大録義行