- 由緒と本尊
- 妙見菩薩の伝説
- 御朱印のいただき方
wata
平将門の伝説といえば妙見菩薩の化身が有名です。ときには影武者として将門公と同じ姿をしていたり、ときには童子の姿だったり。
将門公を救済する存在でしたが、「新皇」を名乗ったことから公のもとを離れてしまったといわれます。おや、それでは『将門記』の作者と同じではないですか。
この伝説は主に将門公の叔父にあたる平良文の子孫である千葉氏とその系譜を継ぐ相馬氏で語られています。妙見菩薩は後に良文の方に渡ったともいわれます。なんとも神秘的!
今回はそんな妙見菩薩の伝説と関係するつくばみらい市の禅福寺をご紹介します。県内ではかなり珍しい臨済宗(妙心寺派)の寺院です♪
民話『将門を救った童子』
早速、将門公と妙見菩薩の伝説をご紹介します。
攻める良兼は将門の父・良持の像を掲げていたので、将門軍は困惑しながら防戦一方。良兼軍は大軍を率いて雨のように矢を放ってきます。兵力で劣る将門軍は絶体絶命でした。
そんなとき「わたしたちが味方になりましょう」と謎の童子が現れました。そして、間髪入れずに良将軍に向かって矢を放ち始めたのです。兵たちはあっけにとられましたが、童子がひたすら矢を放ち続けていると「子どもに負けるな!」と士気を高め、一斉に攻撃を開始しました。
しかし、戦況は膠着状態が続き、だれもが逆転は難しいと考えはじめました。すると童子は矢を放つのを止めて将門の元へと走りました。将門は報告にあった童子が本当にいることに驚き「あなたはいかなる方でしょう」。
「わたしは妙見菩薩です。正しい心を持ったあなたを助けるためにやってきました」。童子は将門に逃げ道を教えると、「わたしたちは上総国の花園の寺にいる」と言い残し、その場からすっと消えてしまいました。仏のご加護があることを知った将門軍はさらに士気が向上し、良将軍から逃げ切ることができました。
その後、将門は花園に使いを出して妙見菩薩をお迎えしました。いまつくばみらい市の禅福寺にある十一面観音は、その菩薩の化身だと云われています。
妙見菩薩とは北極星を神格化した神。菩薩と呼ばれますが、仏を守護する天部に属します。
「妙見」は所作が変わっていることからそう呼ばれるようになったのだとか。名前は微妙ですが、北極星は天の中心にして不動の星。本地垂迹説では天之御中主神の本地とされるほど有力です。
wata
禅福寺とは

禅福寺
由緒
※当初は真福寺と称したといわれる
本尊は十一面観世音菩薩像です。上総国の花園の寺にあったもので将門公を救った妙見菩薩像の化身という伝承を持っています。(現在の像は当時のものとは異なるかと思います)
禅福寺の歴史はあまり明らかになっておらず、創建や由緒についても伝承の域を出ないのではと思います。ただし、旧相馬領にあり下総相馬氏の支配下にあったことはたしかです。
永禄2年(1559年)に筒戸氏によって築城されたといわれる筒戸城の一画に位置し、下妻多賀谷氏に攻められ落城するまで筒戸氏に属していました。筒戸氏は相馬氏の配下で筒戸城の史料には城主として「相馬」が並んでいます。相馬御厨が成立した12世紀から16世紀までは相馬氏ゆかりの寺院なのでしょう。
相馬領、将門伝説、臨済宗(妙心寺派)、これらは前回ご紹介した海禅寺と同じ。下総相馬氏は戦国時代末期に勢力が衰えましたが、変わって奥州相馬氏が海禅寺はじめこの辺りを訪れ再興を後押ししたのではないかなぁと思います。
平将門について学ぶならこちら
アクセス
常磐道谷和原ICを下りて約5分。県道294号から少し入ったところなので非常にアクセスがいいです。
最寄り駅はつくばエクスプレスの守谷駅。駅から2.6km(車だと5分ほど)なので徒歩だと片道30分ほどとなっています。
駐車は境内の南西側に大型の駐車場があります。南西側から境内に入り駐車できますが、広くありませんのであまりおすすめしません。
名称 | 普門山 禅福寺 |
---|---|
住所 | 茨城県つくばみらい市筒戸1094 |
駐車場 | あり |
山門と大師堂

山門と鐘楼堂
今回も駐車場から回り込ん本堂の正面から境内へ。このルートがもっとも多くの事柄に触れられるのでお気に入り。
左手に墓地を見ながら50mほど進むと山門です。石垣でしっかりと仕切られており、少しだけ城の様相を残していますね。

大師堂
山門から少し歩くと左手に(たしか)大師堂が見えました。お大師さまといえば空海。空海といえば真言宗の開祖。当寺は臨済宗ですが、将門公の時代に臨済宗はありません。開山当初は真言宗の真福寺と称したという説があります。
ちなみに『将門記』の写本が名古屋の真福寺の社宝として残されており旧国宝に指定されています。禅福寺と真福寺(名古屋)になにやら関係を見出す説もあるようですね。(参考)
平新王将門公之霊

「平親王将門公之霊」
本堂の手前に位置するこちらの石碑。比較的新しい印象で中央には「平新王将門公之霊」。将門公の供養塔なのでしょう。
「新王」が感慨深いですね。海禅寺にも同様の碑が建てられており、そちらは「親王」。『将門記』にある「新皇」の表記を避けたのは恐れ多いということでしょうか。
個人的な意見ですが、将門公は新皇を称していないと思います。それは将門記の作者が一連の責任を将門公に負わせるための創作したのでしょう。(ただし、作者は将門公に同情的)
京都で勤めた将門公は天皇が政治よりも祭祀を担う存在であると認識していたはずです。しかも先例に従ってのことですから、いきなり宣言してなれるはずもありません。
本堂

本堂
禅福寺の本堂です。近年に再建されたようで真新しい。寺紋の九曜紋が輝いて見えますね。九曜紋は相馬氏と将門公も家紋としていました。
当寺の歴史を調べるのは難しかったのですが、この場所でこの紋があることこそ何よりの証拠ではないでしょうか。細かい部分はともかく、ここでは将門公とその伝説を語り継いだ相馬氏に思いを馳せながらお参りするのがよいかと思います♪
御朱印

禅福寺の御朱印
禅福寺の御朱印です。本堂右手の庫裏でいただけます。
妙見菩薩の化身ともいわれるご本尊の十一面観音ですね!
まとめ
この記事のまとめ
- 禅福寺は平将門により創建。室町時代に臨済宗に改宗したといわれる
- ご本尊は十一面観音。将門公を救った妙見菩薩の化身とする伝承がある
- 御朱印は本堂右手の庫裏でいただける
参考文献
茨城県の地名/出版:平凡社
いばらきのむかし話/編:藤田稔
この記事で紹介した本はこちら