先日、平将門のピンチを妙見菩薩の化身が救ったお話を紹介しました。

武士のはじまりともされる平将門は、武士が好んだ妙見さまに護られていたというのです。そのお話に限らず、将門の神秘的な伝説はまだまだあります。
そこで、ちょっとしたエピソードについては、この記事にまとめていくことにします。内容を書き加えましたらご案内しますので、TwitterやRSSなどのフォローもお願い致します!
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坂東市
延命院(将門の胴塚)
平将門といえば『首塚』のお話。オカルト要素が非常に強いのですが、現実の事故にも関係しているせいか信じている方が多いようですね。
首塚は都内にありますが、坂東市の延命院には将門の胴塚があるんです。以下の記事では首塚と合わせて胴塚をご紹介しています。
七騎塚
茨城県内には将門の七騎塚が何箇所かあります。七騎塚は文字通り七人の騎兵を弔うもの。将門のもとにはたくさんの兵がいましたが、七人だけは特別だったんです。
騎兵の正体は妙見様!以前ご紹介した童子ではなく、将門の姿で戦場に現れていたのです。伝説では『七人の影武者』と呼ばれていて、将門の身を守るために活躍しました。
ただ、将門はおごりによって妙見様のご加護を失ったとも云われます。それで最後に敗れてしまうのですが。。それでも七騎兵は需要な存在。いまも各地で祀られています。
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守谷市
海禅寺(守谷市高野)
七騎塚は茨城県内に3箇所とされていますが、わたしが実際に見れたのは、守谷市の海禅寺だけです。本堂のすぐそばにありますよ。
石碑は8つ並んでいます。一番右側の背の高いものは平将門を弔ったものです。七騎兵は戦場で馬を並べて戦ったそうですが、供養塔も同じように並んでいますね。
これらは江戸時代以降のものであるとされています。将門が実在した平安時代から大きく時間が経っていることを覚えておきましょう。
海禅寺に七騎塚があるのは、将門の子孫だとされる相馬氏の菩提寺だからでしょう。お寺の宝物に将門の戒名が書かれた位牌もあります。
ところで、将門が敗れた理由は妙見菩薩のご加護がなくなったからと書きましたが、影武者の秘密を見抜いた人物がいたからとも。その人物の名は桔梗。正体を隠して将門に近づいた藤原秀郷の妹だと云われます。
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桔梗が影武者をどのように見抜いたかはよくわかりません。わたしが読んだ民話だと、桔梗は影武者の影が薄かったことに気付いたそうです。
桔梗については各地でさまざまな語られ方をしています。興味が湧いたら検索してみましょう!山ほど出てきますよ。
なお、このあとに桔梗塚についても紹介しています。
名称 | 大雄山 海禅寺 |
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住所 | 茨城県守谷市高野1337 |
駐車場 | 少しあり |
西林寺(守谷市本町)
七騎塚は海禅寺と同じ守谷市内にもう1つあります。西林寺です。ただ、わたしの手元にある『茨城の民話(茨城児童文学者協会)』で紹介されているものの、境内にそれらしい塚はありませんでした。
でも、まったくゆかりがないわけじゃありません。将門のことを詠んだ句があります。しかも詠んだのは俳人の小林一茶です。
「梅さくや平親王の御月夜」(我春集 文化8年)
なんとなくロマンティックな感じがしますね。守谷市シティプロモーションによれば、小林一茶は守谷に9回も訪れています。しかも滞在日数は104日!もちろん、守谷のことを詠んだ句もありますよ。
行くとしや空の名残を守谷まで
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名称 | 西林寺(天台宗) |
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住所 | 茨城県守谷市本町726 |
駐車場 | あり |
取手市
桔梗塚(取手市米ノ井)
将門の敗北の原因となった女性。。。桔梗。本当は諸説あるんですけどね。
先ほど、桔梗は兄の指示で将門に近づいて、弱点を見つけたことを書きましたが、少し違うお話をご紹介します。常陽リビングから引用します。
毎朝日の出を拝み、将門の武運を祈っていたという桔梗御前だったが、敵の藤原秀郷にだまされて将門を裏切ってしまう。結局は戦功に傷が付くのを恐れた秀郷に口封じのために命を奪われ、ここに眠っている。
そして上の写真が伝説の桔梗塚です。
場所は稲戸井駅のそば。米ノ井のファミリーマート前の通り(294号)をゆめみ野駅方面に進みます。草木に囲まれていてちょっとわかりにくいですが、紹介の立て札を目印に見つけてみましょう。
桔梗塚の周辺は、桔梗の悲劇的な最期によって桔梗の花が咲かない地域と云われますが・・・そんなことはないですよ♪
名称 | 桔梗塚 |
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住所 | 茨城県取手市米ノ井 国道 294 号線 |
駐車場 | なし |
書籍
坂東の風雲児 平将門
坂東市の郷土資料館ミューズで購入できる『坂東の風雲児 平将門』を紹介しています。
非常にわかりやすく短時間で将門公について学べます。初学者や子どもにオススメです!