wata
今回ご紹介する鹿嶋神社は常陸国でもっとも西に位置するかもしれません。
それにどんな意味があるのかわたしもよくわかりませんが、下総国になると一気に香取神社が増えますので常陸国の鹿嶋信仰の最前線ともいえる神社です。というわけで八千代町の野爪鹿嶋神社をご紹介します!
この記事でわかること
- 由緒・ご祭神について
- 三日月神社と祓戸乃大神について
- 御朱印のいただき方
由緒
藤原鎌足の苗裔・藤原音麻呂が常陸国の一宮である鹿島神宮の分霊を迎えて創建。子孫代々が祀る
※当社の由緒を聴聞したのは伊奈備前守
将軍徳川家光より朱印地15石を賜る
第11代結城城主・結城氏朝が小川城主・小川弾正又三郎を作事奉行として社殿再建
天明3年に上棟、寛政元年に竣工。
※現在の社殿
拝殿の増築、屋根銅板葺きへ改める
ご祭神は武甕槌命、そして経津主命、天児屋根命、比咩大神を配祀しています。
春日大社とまったく同じ祭神ですね。とすると比咩大神は天児屋根命の后神とされる天美津玉照比売命でしょうか。ちなみに春日大社は鹿島神宮から分霊されましたので同じ主祭神です。
かつては7700坪の境内を有した常陸国の真壁郡十六郷の総鎮守。町内には他に鹿嶋神社はありませんので武士の信仰の中心地だったのでしょう。戦乱に巻き込まれたのもそのせいでしょうか。将門の乱で戦地となったのは野爪ではなく、野本(筑西市中上野)が通説ですけどね。
ところで、当社の創建は大同元年と極端に古いのですが、じつはそれよりも古いのではないか、という説があります。それについて『茨城県の地名』から以下に引用します。
「続日本紀」神護景雲二年(七六八)八月一九日条に「下総国言、天平宝字二年、本道間民苦使正六位下藤原朝臣浄弁等具注応掘防毛野川之状申官、聴許已訖、其後已経七年、得常陸国移曰、今被官符、方欲掘川、尋其水道、当決神社、加以百姓宅所損不少、是以其状申官」とあり、天平宝字二年(七五八)に許可された鬼怒川の河道付替えが神社や民家にかかるというので、常陸国側から反対があり、七年も経過してしまったというが、この「神社」は当社と考えられる。改修工事によって掘削された河道は「下総国結城郡小塩郷小嶋村」から「常陸国新治郡川曲郷受津村」で、川曲郷は野爪付近と考えられ、これに最も隣接し、創建の古い神社はほかにない。
茨城県の地名 P659
あくまで可能性の話です。しかし信憑性はそこそこあり、これが事実ならば県内の神社としては最古級ではないでしょうか。鹿島神宮が創建された年代からも大きく下らないかもしれませんね。
wata
現在、八千代町のある地域は常陸国と下総国の境界でした(大半は下総国)。そのせいか町内には旧村社の香取神社が12社も鎮座しています。下総国の一宮・香取神宮の影響でしょう。
平成6年(1994年) 鹿嶋神社境内及び木立地一円」、本殿、木造随身像、朱印状及び朱印地絵図(すべて町指定)
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アクセス
最寄り駅は常総線の下妻駅。下りてから車で10分ほど(4.3km)。車の場合は常磐道の谷和原ICを下りて約45分。遠いな…
わかりやすい経路としては国道125号と県道136号の交差点を北へ約4分(2.5km)。右手に赤い大鳥居が見えてきますので、その近くに駐車可能です。
名称 | (野爪)鹿嶋神社 |
住所 | 茨城県八千代町野爪430 |
駐車場 | あり |
Webサイト | なし |
鳥居および社号標
のどかな通り沿いにドカンと巨大な大鳥居。このあとご紹介する狛犬もそうなのですが、同じ方が寄進されたようです。スゴイ。
この鳥居の左手が駐車場。社殿はここから数百メートルほど直進したところにあります。社殿周辺に駐車場はありませんので車で来た方はここに止めるしかないですよ。
立派な社号標は八千代町の元町議長の湯本直氏によって建立されました。湯本氏は奉賛会の会長でもあり、議員在職30年を記念してのことだそうです。
狛犬、とても立派です。個人的にこれより大きな狛犬は記憶にありません。もし県内にこれを超えるものがあったらぜひ教えていただきたいですね。
当社は歴史のある神社ですが、近年においても数多くの奉納の跡が見られます。一般にはあまり知られていないと思いますが、崇敬の思いが伝わるのは心地いいですね。
三の鳥居は両部式。神仏習合時代の名残ともいえる鳥居です。こちらも湯本氏による建立なので近年のことでしょう。
三日月神社
やや珍しい社号の三日月神社。ご祭神は月読命です。月読命は三貴神に数えられるので知名度は高いと思いますが、お祀りしている神社は珍しいのではないでしょうか。
しかも、よくある月読神社などの社号を用いずに「三日月」である理由は?推測ですが、元来は月待講の社だったのかもしれません。月待講は特定の月齢の出現を拝む信仰者の集いです。
月待講はたいてい勢至菩薩や観音菩薩を本尊としていますが、三日月型の二十三夜尊は本尊を勢至菩薩か月読命とします。
ちなみに○○夜は月の満ち欠けを示しており、三日月は三夜から二十六夜にかけて見られます。でも、三夜だとまだ明る過ぎるし二十六夜だと夜明け前になってしまいます。そっちはちょっと考えにくい?
また、月待講は女性だけあるいは男性だけが集まるといったことがあるそうです。二十三夜尊は男性だけの場合があるので興味深いですね。
手水舎
現在、水は張られていませんが手水舎です。ここにはユニークなものが2つ。ひとつは重軽石。2つの石の軽い方を持ち上げることができれば願いが叶うとか。「軽」とあるほうが大きいので悩みどころです。
もうひとつは「祓戸乃大神」の石碑です。祓戸乃大神とは、天つ罪、国つ罪を祓う神の総称です。伊邪那岐命が黄泉国から帰還した際の禊で生まれた神々を指すともいわれます。
ただ。。わたしは当社が藤原氏による創建であることから大祓詞に名のある神々を連想します。やはり罪を祓う神々で以下の四柱のことです。
- 瀬織津比売神
- 速開都比売神
- 気吹戸主神
- 速佐須良比売神
大祓詞は藤原氏の元の氏である中臣氏が祭祀で読み上げるもので中臣祭文ともいわれました。祭文は祭祀で神霊に捧げる言葉という意味で祝詞はこの中に含まれます。
ちなみに、大神は神よりも偉大とされる場合に用いられます。そして大神の上が大御神。八百万の神で大御神がつくのは天照大御神と迦毛大御神だけです。
社殿
入母屋造の拝殿です。特別なことはなにも無いように見えますが。。じつは南西を向いています。
神社が南や東向きなのは太陽(天照大御神)に背を向けないためといわれます。ただ、鹿嶋神社は本営の鹿島神宮が北向きなので同じように建てることが多いです。
鹿島神宮の北向きは北方(蝦夷)に睨みを効かせているためなどと言われるのですが、当社の場合は?とにかく南西になにかあるということでしょうか。
社殿の前は日が差しています。薄暗い参道から一転して明るくなり、神前の雰囲気が漂っていました。宮司さんは常駐しておりませんが、毎日出入りをしているようで基本的には社殿を開放しています
本殿は一般的な流造。男千木、鰹木5本。鹿嶋神社ではよく見るタイプ。ただ、そう簡単には見かけないサイズです。本当に村社?
少し前に脇障子が紛失していましたが、現在は写真のように補修がされていました。下のほうに僅かながら亀の甲羅らしきものが見えますね。とすると反対側は鶴でしょうか。
注目は屋根下の彫刻。おそらく天の邪鬼ですね。屋根を支えているように見えますが、手は膝の上。険しい顔をしているので嫌々ながら守護をしているといったところでしょうか。
夫婦杉
本社は参道と社殿の裏の二ヶ所に夫婦杉があります。
参道の方は樹齢700年以上といわれ縁結びのご利益があるとか。社殿裏は「子供」の夫婦杉とあるので、樹齢は比較的若いのでしょう。
鹿嶋神社(および鹿島神宮)は武神を祀りながら安産や子育て、縁結びの御利益があることで知られています。個人的には武甕槌命の本地仏が十一面観音であることに由来すると思うのですが。。古くからある信仰なのはたしかです。
雄々しい印象の神社かもしれませんが、縁結びの祈願は伝統です。遠慮なくどうぞ♪
御朱印
野爪鹿嶋神社の御朱印の案内です。令和6年現在は基本的に書き置きのみでしょうか。隣接する「なごみの杜」でいただけます。そちらが不在の場合は宮司宅になるようです。
立派な冠木門があるのですぐわかると思いますが、念の為表札を確認してからお伺いください。
・野爪鹿嶋神社は常陸国と下総国の境界に位置する八千代町に鎮座
・兵火で二度も社殿が焼失したことがある
・御朱印は宮司宅でいただける
茨城県神社誌|茨城県神社庁
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