栗山観音 佛性寺|八千代町

記事内に広告を含みます

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

八千代町の寺社を紹介して参りましたが、今回は町内で特に注目していただきたい佛性寺ぶっしょうじをご紹介します。栗山に位置することから栗山観音とも呼ばれます。

県指定の文化財が3点もあり、平将門の生涯を記した『将門記』にも登場するといわれる古刹です。あまり有名ではないかもしれませんが、美しい境内ですのでぜひ足を運んでみてください♪

この記事でわかること

  • 由緒とご本尊について
  • 3点の県指定文化財について
  • 御朱印のいただき方
佛性寺(観音堂)
佛性寺(観音堂)

由緒

天平11年/739年
創建

寺伝によると「下総国栗栖院常羽御厩に救世大悲の慈眼を開き創建給わり、奈良朝に係る。」とある
※もとは現在より南方の古堂と呼ばれる地にあったといわれる

承平7年/937年
火災に遭う

下総介平良兼らにより焼かれ梵鐘が奪われる(将門記)
※奪われた梵鐘は飯沼に沈み、長く祟ったという伝説がある

永禄9年/1566年
再建

多賀谷城主・重経により堂宇再建

享保20年/1735年
現在地に移る
平成11年/1999年
本尊の修復修理
延宝8年/1680年
観音堂建立

元禄13年/1700年
本堂建立
安永3年/1774年
仁王門建立

『八千代の文化財』から引用
『八千代の文化財』から引用

ご本尊は薬師如来像です。本堂ではなく観音堂に安置されていた像がご本尊(木心乾漆如来形坐像)なのですが、原型を留めていなかったので平成11年の修復が完了するまで薬師如来とはわかりませんでした。

修復ではコンピューターを使いバラバラになった破片から欠損部分の形を導き出して復元させました。また、ご本尊の関連史料に脇侍についてあったことから十二神将を従える薬師如来と推測できたそうです。

制作年代は技法や作風から9世紀前半とされます。関東・東北では最古級の木彫像のひとつ!いつか県北地域のように文化財公開イベントやってくれないかな〜と思っております。

ちなみに観音堂は三十三年ごとに開帳しますが、それを待たずして開いてしまうと失明するという怖い伝説があるのです。

wata

『将門記』にある栗栖院は佛性寺に比定されています。じつに千年を超える歴史があるんですね〜!
文化財一覧

昭和57年(1982年) 木心乾漆如来形坐像(県指定)
平成15年(2003年) 観音堂、仁王門(いずれも町指定)
平成29年(2017年) 観音堂、仁王門(県指定)

佛性寺の現在の院号は正智院ですが、古い本では栗栖院になっています。

アクセス

圏央道の坂東ICを下りて約15分。アクセスは悪くないのですが、周辺に細い道路があるので注意ですね。Googleマップではよくわからないので実際に走ってみてビックリすることもしばしば。

駐車場は観音堂の裏(北側)と本堂の前(東側)の2箇所です。東側の駐車場は本堂の前です。観音堂と仁王門はその西側に位置しています。

名称辨壽山べんじゅさん 正智院しょうちいん 佛性寺ぶっしょうじ
住所茨城県八千代町栗山476
駐車場あり
Webサイトなし

栗山観音参道

参道
参道

観音堂の参道はこんな感じです。奥に仁王門があるのがわかるでしょうか。区画整理の影響か周辺に駐車場はなく、仁王門をくぐってわざわざこの位置までやってくる必要があります。

しかし、その特典がひとつだけあります。右手を見てみると。。

弁天社
弁天社

弁天社です。佛性寺の山号は「弁壽山」なのでゆかりの神社なのでしょう。神仏習合の時代を終えた今、弁天社は弁才天ではなく市寸島比売命などを祀ることが多いのですが、ここでは弁天さまと呼びましょうか。

弁天池のざりがに
弁天池のざりがに

小さいながら弁天池に囲まれており風情はたっぷり。ザリガニたくさんいました。癒やされる〜♪

仁王門

仁王門
仁王門

参道に戻って100mほど進むと県指定文化財の仁王門です。春になると参道沿いに桜が咲くそうなのでまた訪れたいですね。ソメイヨシノよりもてんぐ巣病にかかりにくいジンダイアケボノが植えられています。

県教育委員会のサイトから解説を引用します。

仁王門は安永3年(1774)に山川大工によって建立された間口20尺(6m)余りの三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造である。昭和38年にもとの茅葺を桟瓦葺に葺き替えたが、それ以外は当初の状態がよく保存されている。楼門形式の仁王門は、県内では珍しい。

佛性寺観音堂・仁王門 附観音堂宮殿・棟札/茨城県教育委員会(公式)

仁王像も健在。格子があるので見にくいですが、スマホなら近づけて全身撮ることもできますよ。ちょっとユーモラスな顔してます。

土俵

土俵
土俵

仁王門の先には土俵のような跡が。。いや、本当に土俵でした。

観音堂を建立した多賀谷重経が病弱だったことから健康祈願のために住民たちが奉納相撲をしたのが起源とのこと。そんな歴史があったとは驚きです!

わたしはてっきり鐘楼堂のあとかと思っていたんです。

平将門の時代、当寺は平良兼によって焼き払われ梵鐘を奪われてしまったとか。それから梵鐘はなにかの拍子に飯沼に沈んでしまい、恨み祟る存在になったといわれます。

しかし、その後供養されているといいますし、現在はなにか恐ろしいことが起こるといったことはないでしょう。ご安心ください。

観音堂

観音堂
観音堂

もうひとつの県指定文化財がこちらの観音堂。どうでしょう、なんとも堂々とした造りではありませんか。

大きければ良いというわけではありませんが、信仰にかける情熱がなければこうはならないと思います。ですから、昔の人々が大切にしていたものとして素直に受け止めたいですね。

『十一面観世音菩薩』の扁額
『十一面観世音菩薩』の扁額

扁額には「十一面観世音菩薩」とありますが、中に安置されているのは本尊の薬師如来像(県指定文化財)。観音さまはどこにいった!?

八千代町教育委員会のサイトに観音堂の詳しい説明がありました。

観音堂は、桁行3間、梁間3間、1重、入母屋造、向拝1間、銅板葺(もと茅葺)、高欄附回縁のある本格的な造りの三間堂である。天井は周囲を化粧屋根裏天井、中央部を格天井とする。観音堂の外観は全体的に和様に整えられ、内部は中世の禅宗様仏堂式の古式な架構が見られる。内陣と外陣は入側柱2本で仕切られ、内陣に須弥壇を設け宮殿を安置するが、こうした三間堂ではあまり例がない。

観音堂外部・内部とも赤色塗料が施されており、内外の小壁や内陣板壁に彩色絵が描かれている。内部小壁には馬が描かれているが、こうした観音堂小壁の絵に馬を題材とするのは珍しい。  

須弥壇・宮殿は、禅宗様の手法によるもので、宮殿は、桁行1間、梁間1間、正面を入母屋造として軒唐破風をつけ、組物は三手先詰組とする。須弥壇は黒漆、宮殿は金箔、極彩色が施される。

内部を見られないのは残念ですね。赤く彩られているのは魔除けでしょうか。仁王門と同様に清浄なる場所を守護する意味があるのでしょう。

ところで、『茨城の地名』には観音堂について少し気になる記述があります。なんでも佛性寺と観音堂はもともと別の寺院で、観音堂は元禄8年(1695年)に佛性寺八世の暁順により現在地に移築されたとか。冒頭の由緒にある「古堂」は観音堂のもとあった場所のようです。

だとすると、現在の佛性寺は観音堂の歴史を合体して語られているのではないでしょうか。実際に同じ境内にあり古くから観音堂は佛性寺の管理下なので合わせて語るのは自然ですけどね。

センダン?ムクロギ?

観音堂隣の巨木
観音堂隣の巨木

観音堂の向かって左に見える巨木。この木なんの木?

気になる木だったのでTwitterで質問してみました。さまざまなコメントがありましたが、Local Activateさんから大変参考になるコメントがありました。

特に実が特徴的なんですよね。他には『ムクロジ』というご意見もありました。たしかに実の形がすごく似ている!植物を見分けるのは難しいですね。

実

こちらは5月にお参りしたときに根元付近で目にしました。やっぱり栴檀だと思います。

余談ですが、江戸時代まで各地で疫病よけの神として信仰された牛頭天王は、チベットの牛頭山に由来するという説を耳にしたことがあります。牛頭山でとれる栴檀の力を持った神ということですね。

牛頭天王の本地仏は薬師如来ともいわれますし、栴檀は特にお薬師と関係が深いのかもしれませんね。

寺社の参拝ではたくさんの植物を目にするかと思います。気になったものはこうして調べてみるとより奥深い参拝ができるのでおすすめです!

境内隣の花華
境内隣の花華

こちらは地元の方々が育てる花々です。美しいですよね〜

本堂

本堂
本堂

観音堂の東に位置するのが本堂です。

通常、本堂の前には参道がありますのでこのような外観は珍しいのですが。。本尊は観音堂ですし、これはこれでアリなのでしょう。この機会に観音堂とあわせてお参りしましょう♪

御朱印

佛性寺(栗山観音)の御朱印
佛性寺(栗山観音)の御朱印

佛性寺の御朱印です。本堂右手の庫裏でいただけます。愛称の栗山観音と佛性寺の併記は個人的に興味深いものがあります。

令和6年現在、御朱印は2種類です。上記のほかに御本尊の薬師如来と観音堂の観音菩薩の名前が入ったものです。もしかしたら書き置きのみとしているかもしれません。

フォトギャラリー

まとめ

・奈良時代に創建されたといわれる古刹。本尊は薬師如来像

・本尊、仁王門、観音堂が県指定の文化財

・御朱印は2種類。本堂右手の庫裏でいただける

参考文献

茨城の地名|出版:平凡社
八千代の文化財|八千代町教育委員会

今回ご紹介した本はこちら