日本三大長谷寺 新長谷寺(八町観音)|八千代町

この記事でわかること
  • 由緒とご本尊
  • 江戸時代の八町観音
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

今回は八千代町の八町はっちょう観音こと新長谷寺しんはせでらをご紹介します。江戸時代中期に隆盛を極め21もの寺を支配下に置く大寺院でした。

四国の霊場のお砂を勧請した関東八十八箇所霊場の三十八番目です。お大師さまに想いを巡らせのんびりと参拝してみてはいかがでしょうか。

MEMO
東国花の寺にも数えられ、4月下旬から5月上旬にかけてボタンが見頃を迎えます。

八町観音(新長谷寺)とは

八町観音

八町観音

由緒

貞永元年/1232年
創建
結城朝光が鎌倉から持ち帰った十一面観世音菩薩像を安置するために建立
元亨年間/1321-1324年
堂宇焼失
戦乱のため本尊を残して堂宇焼失。その後再建
応永年間/1394-1428年
堂宇焼失
本尊を残して再び堂宇焼失
長禄年間/1457-1460年
堂宇再建
元照金剛が本堂、客殿、鐘楼などを再建
慶安元年/1648年
朱印地10石が与えられる
享保21年/1736年
観音堂建立
弘化4年/1847年
一乗院が兼務
住職の死去により、門末の一乗院の住職が兼務
平成53年/1978年
文化財指定
根本着色両界大曼荼羅、十一面観世音菩薩(本尊)、華形壇、板碑が町指定文化財になる
平成5年/1993年
文化財指定
十一面観世音菩薩(御前立仏)が町指定文化財になる
平成6年/1994年
文化財指定
観音堂が町指定文化財になる
平成10年/1998年
寺号標建立
平成12年/2000年
本堂再建
平成20年/2008年
文化財指定
十一面観世音菩薩(本尊)が県指定文化財になる

ご本尊は十一面観世音菩薩です。結城城の初代城主・結城朝光の守本尊といわれています。

境内の案内によるとこの本尊は仏師運慶作の長谷型観音。そして当寺は総本山である奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺に次いで「日本三大長谷寺」に数えられるのだとか。

本尊(『八千代の文化財』から引用)

本尊(『八千代の文化財』から引用)

ただ、町発行の「八千代の文化財」によると本尊は仏師院祥いんしょうによる貞和6年(1350年)の作と書かれています。これは仏像の保全修理で解体した際に内部に墨書銘があったことでわかりました。

とすると結城朝光の時代よりも100年以上は新しいということ。それでも充分な歴史を持っていて貴重ですよね。そのため調査後の平成20年に県指定の文化財へと格上げされています。

御前立(『八千代の文化財』から引用)

御前立(『八千代の文化財』から引用)

本尊は秘仏とされ、参拝者はもう一体の十一面観音像を御前立おまえだちとして拝観していたようです。ですが。。じつは御前立の方が古いかもしれません。鎌倉時代末期〜南北朝時代の作とされています。

wata

もし、御前仏の製作年代が明らかになり、本尊よりも古いのであれば本尊同様に県指定の文化財になりそうですね。何度も本堂が焼失したのに重要な仏像が二体とも残っているとは素晴らしいことです!
MEMO
由緒は境内の案内と『茨城の地名』を参考にしました。「大久保家文書」については除いてあります

アクセス

JR結城駅から車で約20分。圏央道の境古河ICを下りて約20分です。ちょっと辺鄙な場所かも。

駐車場は境内入口の左手にあります。

名称 太光山 結城院 新長谷寺
住所 茨城県八千代町八町149
駐車場 あり

境内入口

八町観音入口

八町観音入口

山門はありませんが、立派な社号標が建立されています。

愛称の「八町観音」はなんだか素敵な響き。八町は結城朝光が当寺に八町の土地を寄進したことに由来し、それから同地を八町村と名付けお寺の愛称にもなったといいます。諸説あるそうですけどね。八町=24,000坪ですから非常に広大な土地を所有していたのですね。

由緒に朱印地10石と書きましたが、寺伝では時期不明ながら最大で15石。でも、「各村旧高簿」などによれば幕末の頃には20石あったとか。わたしはそちらにも信憑性があると思います。

また、当寺は江戸時代中期の最盛期に21の寺を末寺や門徒として支配下にしていました。『八千代町史』には次のようにあります。

『八千代町史』から引用

『八千代町史』から引用

寛永10年(1633年)の頃は3か寺の末寺を持つだけだったのに寛政7年(1795)には21か寺へ。八千代では最大級です!

大銀杏

大銀杏

大銀杏

境内に入ってすぐ左手に見える銀杏。参拝時は巨木だな〜と眺めるばかりでしたが、帰ってきて調べてみると不思議な伝説がありました。

「お乳の木の御利益」 

 むかし八町の村におゆきというひとりの若い母親がおりました。そのおゆきには生まれたばかりのそれはかわいい赤子がおりました。ところが赤子が生まれても、おゆきの乳房からはお乳がほとんど出てきません。お乳を与えることが出来ず日に日に弱ってくる我がいとし子の様子にたまりかねたおゆきは八町の観音様にお願いをしました。

 そうするとある晩おゆきの夢に観音さまが現れ「銀杏の木の木根をけずり、それを米に混ぜて食べなさい。そうすればお乳が出るようになるであろう。」と告げました。

 おゆきは急いで八町の観音様の境内にある銀杏の木根をけずり言われたとおりに食べたところ、不思議なことにそれまでほとんど乳のでなかった乳房は温かく張り、あとからあとから母乳が出てきました。

 こうして赤子はすくすくと育ち、じょうぶな子どもに育つことができたと云います。それからはこの有り難い木根をいただいて帰る参拝者が絶えなくなったと云います。今でも大銀杏の下に立つと、乳房のようにふさふさと下がった木根を見ることができます。
古今東西 御朱印と散策

木根(気根)は古木に見られる特徴で枝や幹から下がった根のこと。女性の乳房のように見えることから乳と呼ぶこともあります。

古木はこのような伝説を持っていることが多いですよね。もともと観音霊場として人々の悩みや願いが集まる場所だったので、そのひとつがさまざまな変化をしながら語り継がれたのでしょうね

観音堂

観音堂

観音堂

本尊の観音像が安置される観音堂です。享保21年(1736年)に建てられました。寄棟造の銅板葺き、桁行3間(5.4m)、梁間3間、高欄附回縁のある欅造(一部もみ・ひのき・杉)です。

それがなんのこっちゃ、という方が多いと思いますが、とりあえずこの形が寄棟造りで観音堂の造りに多いと覚えておくといいと思います。

わたしは寄棟造好きですよ。神社ではほとんど見られない寺院特有の建築だと思いますし、立派なものが多いですからね!

鰐口

鰐口

また、観音堂には棟札が残されており、建造過程や仕様が詳しく書かれています。こうした記録があると文化財としての価値がグイッと上がるんです!ご本尊も来歴が明らかになったことで県指定の文化財になりましたからね。

本堂

本堂

本堂

観音堂が立派なので一瞬忘れてしまいがちですが、本堂は観音堂の右奥に位置しています。

平成12年に建てられたので新しく見えますね。こちらには宗派の本尊である大日如来が安置されているのでしょうか。

とりあえず「南無大師遍照金剛」。自然豊かな境内を散策させてもらって立派な観音堂にお参り。ありがたいお参りとなりました♪

御朱印

八町観音の御朱印

八町観音の御朱印

新長谷寺の御朱印です。観音霊場に数えられていますのでご本尊の十一面観音がありますね。

観音堂の右手にある授与所でいただけます。ふだんは不在なのでインターホンでお声掛けする形になると思います。

まとめ

この記事のまとめ

  • 初代結城城主の結城朝光によって創建。本尊の十一面観音は室町時代の作
  • 江戸時代は21か寺を支配下に置く大寺院だった
  • 御朱印は本堂右手の授与所でお声掛けしていただける

参考文献

茨城の地名/発行:平凡社
八千代町史/八千代町史編さん委員会

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA