【まとめ】吉田神社の兼務社|水戸市【全5社】

この記事では水戸市の宮内町に鎮座する吉田神社の兼務社をご紹介します。

いずれも参拝すれば吉田神社で御朱印をいただけます。ただ、社務所の都合でいただけない場合もあることはご了承ください。

常陸国の三の宮 吉田神社|水戸市

銭谷稲生神社|浜田

銭谷稲生神社

銭谷稲生神社

早速、浜田の銭谷稲生ぜにやいなおい神社からご紹介します。

由緒

不詳
創建
明和3年/1766年
遷宮
文化6年/1809年
鳥居建立
明治11年/1878年
大衆の参拝が認められる
昭和34年/1959年
修営
昭和42年/1967年
修営

ご祭神は保食うけもちです。稲荷神社ではおなじみですね。

社号に「銭」の文字があるのは、なんだか景気がいいですよね。この地で貨幣を鋳造していたことに由来します。

境内の「鋳銭場跡」の石柱に次のように記されていました。

寛永16年(1639)水戸藩は寛永通宝の鋳造を水戸の町人佐藤清兵衛、田中三衛門らに命じた。
下市八丁目裏の地はその鋳銭場のひとつである。
日本では平安中期以降、銭貨を鋳造せず中国からの渡来銭を用いていたが、寛永13年(1636)江戸幕府は寛永通宝を江戸、水戸など十ヶ所で鋳造、流通を命じ、永楽銭など渡来銭の使用を禁じた。

歴史の授業で日本には古くから和同開珎などの貨幣があったと教わったので、てっきり国内である程度鋳造していたと思ったのですが。。じつは江戸時代までほとんどしていないんですよね。

銭塚

銭塚

江戸時代のような米本位制、あるいは物々交換が主流なら貨幣なしでもイケるかもしれませんが、やっぱり貨幣のあった方が便利です。ただ、なんらかの理由で国内鋳造ができなかったので大陸から輸入して貨幣経済を成立させていました。徳川家康はどうして米本位制に切り替えたのでしょうね。

今も昔も貨幣を支配する者は権力を握ります。平安時代は天台宗が輸入に関わり仕入れた銅銭を操って大きな勢力となりました。鎌倉時代になると幕府を背景に臨済宗が輸入業に乗り出し勢力を伸ばしています。「鎌倉五山」はその勢いで誕生しました。臨済宗の開祖栄西は只者じゃないです。

銭谷稲生神社の社殿

銭谷稲生神社の社殿

貨幣鋳造は特権に関わる事業ですから、幕府は信頼できる水戸藩に任せたということでしょうか。

銭谷稲生はもともと個人宅に氏神として祀られていました。明治まで自祭だったとのことで鋳造業とどれくらい関係があったかは不明です。

狭い境内に鳥居や境内社などがギッシリと詰まっていますよ。お金に関わる信仰があったことは間違いないです!

わたしは筋肉?が隆々とした狛犬や「てん書体」の扁額が面白いな〜と思います♪

御朱印

銭谷稲生神社の御朱印

銭谷稲生神社の御朱印

アクセス

水戸駅(南口)から車で数分。市街ですが駐車場がないので意外と参拝が難しい。

比較的安全なのは『裡5丁目児童公園』の周辺ですが。。安全確認をしてご利用ください。

名称 銭谷稲生神社
住所 茨城県水戸市浜田1-6-33
駐車場 なし

八阪神社|本町

八阪神社

八阪神社

本町の八阪やさか神社をご紹介します。名前がポイント。

由緒

明治8年/1875年
創建
一ノ矢八坂神社(つくば市)を水戸市裏四丁目の個人宅に勧請して創建
明治10年/1877年
神社明細帳に編入
明治14年/1881年
現在地に遷座

ご祭神は建速須佐之男たけはやすさのおです。

古くは「天王様」と呼ばれていたので創建当初は牛頭天王をご祭神としていたのでしょう。

疫病退散の神として信仰されていて神社から授かったニンニクを吊るす風習があるのだとか。「須佐之男命が朝鮮半島からニンニクを持ち帰った」という一ノ矢八坂神社の伝承が由来かと思います。

ちなみに須佐之男命と朝鮮の関係は日本書紀に一説として記述されています。粗相をして高天原を追い出された須佐之男命は新羅しらぎ国に渡りました。すぐに日本に帰ってきちゃうんですけどね。

なぜ日本書紀に新羅が出てくるのか疑問ですが、新羅(もっと言うと白頭山)と伊弉冊を関係付ける口伝を残したのではないかと思います。

ところで、社号が「八坂」じゃないのって気になりませんか?扁額は「八坂神社」とありますので、正しくはそちらの文字かと思ったのですが。。

茨城県神社誌には「八阪」で登録されていますし、市内の酒門町にも「八阪神社」がありますので何らかの理由があるようです。

wata

神社の住所はかつて「青物町」でした。「青物」は果物のことで生鮮品を扱う市場があったのかな。味のある地名なので無くなってしまうのは少し惜しい気がします。

御朱印

八阪神社の御朱印

八阪神社の御朱印

アクセス

銭谷稲生神社のすぐ近くです。

駐車場がありませんので、もし御朱印巡りということなら同じ場所に駐車して周るとよいかと思います。

名称 八阪神社
住所 茨城県水戸市本町3-6-29
駐車場 なし

金刀比羅神社|白梅

金刀比羅神社の鳥居

金刀比羅神社の鳥居

こんなところに神社があったのか!という感じの金刀比羅ことひら神社をご紹介します。

由緒

明和3年?/1766年
創建
伝承によると水戸下市の大火の後、讃州丸亀金刀比羅神社を神霊を勧請
明治11年/1878年
神社明細帳に編入
明治42年/1909年
遷座
紺屋町1408に遷座
大正3年/1914年
白兎像奉納
大正5年/1916年
社号標建立
昭和11年/1936年
社殿再建

ご祭神は大物主おおものぬしです。大物主は金刀比羅神社のご祭神として一般的ですが、創建の時代を考えると金刀比羅権現を祀っていたかと思います。

金刀比羅神社の社殿

金刀比羅神社の社殿

現鎮座地は白梅となっていますが、少し古い資料によると「紺屋町」です。紺屋町は現在地のすぐ近くにありますので、もしかしたら遷座したのかも。

紺屋は染物屋さんという意味なので、商業の中でも衣類が集まる場所だったのでしょう。そこでなぜ金刀比羅?備前堀を水運としても利用していたのかな。

白兎像

白兎像

境内の白兎像は大国主命の使いですね。日本書紀だと大物主と大国主を同一視するので奉納されたのではと思います。

wata

伝承によると前身となった鎮守社があるようです。讃州から勧請とありますので別のご祭神および社号だったのでしょう。

御朱印

金刀比羅神社の御朱印

金刀比羅神社の御朱印

アクセス

銭谷稲生神社から車で5分ほど。歩いていける距離ですね。

駐車場は社務所の前に2台ほど用意されています。

名称 金刀比羅神社
住所 茨城県水戸市白梅4-7-16
駐車場 あり

金山稲荷神社|元吉田町

金山稲荷神社の境内

金山稲荷神社の境内

兼務社でもっともミステリアスな神社。それが金山稲荷かなやまいなり神社です。

由緒

平成11年/1999年
創建
本殿および社務所新築
平成23年/2011年
鳥居・社号標建立

ご祭神は金山彦かなやまひこ金山姫かなやまひめです。

稲荷神社のご祭神は色々ですが、このパターンは初めて。現金や金融というより金属加工や貴金属販売のご利益がありそうです。

金山稲荷神社の社殿

金山稲荷神社の社殿

非常に新しい神社のようです。氏子たちのこだわりがあるかと思いますので今度吉田神社に参拝したら尋ねてみます!

御朱印

金山稲荷神社の御朱印

金山稲荷神社の御朱印

アクセス

50号と180号の交差点(吉田小南)を北に曲がるとすぐ左手に見えます。

鳥居のすぐ隣に数台の駐車スペースが用意されています。

名称 金山稲荷神社
住所 茨城県水戸市元吉田町1429
駐車場 あり

水戸神社|笠原町

笠原水源

笠原水源

笠原の水戸みと神社は「水戸」の由来となった神社です。

由緒

不詳
創建
旧水戸城 浄光寺門内の高岬に創建
不詳
遷座
吉田神社神域へ遷座
明治2年/1869年
現在地(不動山)に遷座
昭和48年/1973年
社殿改築

ご祭神は速秋津彦はやあきつひこです。伊弉諾と伊弉冊の間に生まれた神ですね。速秋津彦姫とあわせて「水戸みなと神」と呼ばれます。

水神というと水波姫命や宗像三神、住吉三神などを連想するかもしれませんが、水戸神は主に河口(水の出入り口)を司っています。創建の地・高岬の水は日照りでも乾くことなく溢れ出たので神格を与えられたのでしょう。

現在神社の鎮座する場所には笠原水源があります。日本で18番目に古い水源だとか。江戸時代、笠原水源から城下町として発展した下市に配水するために水路が築かれたのですが、それを命じたのが水戸藩二代藩主の徳川光圀。現代で言うところの公共事業ですね。

損傷中の石段

損傷中の石段

いまも湧き水が出ていますので生活水として持ち帰る方もいらっしゃるようです。

なお、現在は社殿に続く石段が損傷していますので利用できません。境内の西や南から続く「けもの道」を進めば社殿にたどり着けるそうなのですが。。

無理せず石段の正面から参拝でも御朱印はいただけます。社務所でその旨お伝えください。

御朱印

水戸神社の御朱印

水戸神社の御朱印

アクセス

どこから入ればいいのか非常にわかりにくい神社です。

公園の駐車場を利用可

公園の駐車場を利用可

基本的には下の地図の駐車場に停めてから石段を登って社殿に向かいます。

名称 水戸神社
住所 茨城県水戸市笠原町994
駐車場 あり

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