【まとめ】源三位頼政の伝説【源頼政】

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wata

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この記事は当ブログの源頼政みなもとのよりまさに関する記事をまとめたものです。

源頼政(源三位頼政)とは

源頼政(1104-1180年)は平安時代の武人。名前の通り源氏ですが、平清盛の信頼も篤く平氏とも通じていました。平治の乱では平氏方に味方、後の政権でも中央におりました。

頼政公は武勇に優れ一流の歌人だったともいわれます。保元の乱と平治の乱では勝利に貢献したにも関わらず、ほとんど恩賞を受けられず不遇の身でした。その後も思うような位につけないまま内裏の守護を続けましたが、そうした不遇を和歌にしたところ平清盛の目に留まり昇進できたというのです。多くの和歌を残しており、歌とともにあった人生だったのでしょう。

晩年になると平氏の政治が公家寄りになったことを危惧し、以仁王と共に平氏打倒を計画。しかし、計画は漏洩してしまい自害に追い込まれることになります。

頼政公の『鵺退治』

illustlation by 熊井くまこ

illustlation by 熊井くまこ

武勇にも優れる頼政公はユニークなぬえ退治』の伝説があるんです。

これは平家物語にあるお話で応保年間(1161-1162年)、宮中で鳴く鵺を家来の猪早太と共に退治したというもの。人気があるお話なので神楽にもなっています。

鵺を一言で説明するなら怪物。特徴としては。。頭はサル、胴はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラ、声はトラツグミ似て不気味な鳴き声。いわゆるキメラ(キマイラ)です。

なんだか突飛なお話ですが、頼政公の曽祖父さんにあたる頼光よりみつは大江山の鬼退治していますからね。そのときの家来は渡辺綱、平貞通、平季光、そして坂田金時。金時は昔話『金太郎』の成長した姿ともいわれます。(漫画『銀魂』の主人公のモデルにも)先祖が鬼退治してますから鵺退治くらいしますよ。たぶん。

県内の潮来市には『鵺退治』をモチーフとした山車人形があったりします。8月の潮来祗園祭で見れますので興味のある方はぜひ♪

【漂流神輿】素鵞熊野神社の潮来祇園祭禮|潮来市【潮来祇園祭禮】

茨城にも来ていた?

確実ではないものの頼政公は茨城に来ていた可能性があります。

頼政公の父・仲政なかまさは下総守でした。下総は常陸国(いまの茨城)の南と南西部の辺り。どうやら父について兄の頼行よりゆきと共に下総国まで来ていたようなんです。

兄弟揃って「東国」の和歌を詠んでいるんですが、頼政公には信太の浮島(いまの稲敷市)の和歌もあるんです。

あきさゐる 海上潟を見渡せば 霞にうかぶ信太の浮島

下総から浮島は比較的近くです。浮島では歴史人物がいくつも歌を残していますから、昔はちょっとした観光地だったかもしれませんね。

それに常陸国風土記では景行天皇も行幸されているんです。いまは陸続きになって当時とは随分違っているのですが、惹きつけるなにかがあったのでしょう。

頼政公の墓

頼政公は自害の前、2人の家臣に次のような遺言を残しました。「お前たちはわたしの首をもって東国へ行け。そして途中で首が重くなったらその地に埋めてくれ。もし50日経ってもなにも起きなければどこでもいいから捨ててくれ」

2人が言いつけどおり東国に馬を走らせると、本当に首が重くなったように感じたのでその場に埋めることにしました。それが頼政公の墓であり、頼政神社のはじまりです。

県内には頼政神社が2社あり、いずれも同様の由緒を伝えています。ただし、由緒はすべて口伝で事実関係を示すものではありません。

MEMO

頼政公の首が埋められた伝説が各地に残るのは、さらし首となった当時から「本物ではない」という噂があったためと思われます。

古河市:頼政神社

頼政神社(古河市)

頼政神社(古河市)

古河の頼政神社は錦町に鎮座しています。『許我志』や『古河志』にも記述が見られ、非常に古い歴史を持っていることがわかっています。

当社は頼政公の墓として、はじめは古河城の南東の竜崎(立崎)にあったと言われています。

興味深いことに同地には下河辺氏の菩提寺である徳星寺があり、頼政公の家臣であった猪早太(下河辺氏)のひ孫・得星丸が開山したといいます。

徳星寺は頼政神社の別当ともいわれるので、頼政神社と下河辺氏の関係は密接です。神社の由緒とあわせて氏との関係を考えてみてはいかがでしょうか。

【まとめ】源三位頼政の伝説【源頼政】

龍ケ崎市:頼政神社

頼政神社(龍ケ崎市)

頼政神社(龍ケ崎市)

龍ケ崎市の頼政神社は市役所から徒歩5分。大変小さな祠ですが、近くに「頼政通り」があるなど地域の人々から慕われていることが伝わります。

神社の近くには渋栗卵塔しぶくりらんとうと呼ばれる墓地があります。「しぶくり」は下河辺氏が訛ったものといわれ、かつて頼政神社と墓地はもっと近くにあったという説があるんです。

卵塔は卵型のお墓をいいますが、現在そのような形の墓はなく民家の墓地となっています。

当社は古河と同じく下河辺氏との関係が深く、「龍ケ崎」の由来と関係あるのではと考えています。ぜひご覧ください!

【龍ケ崎の由来?】下河辺氏と頼政神社の伝説|龍ケ崎市

利根川図志の記述

江戸時代に赤松宗旦が著した『利根川図志』では頼政公の墓は結縁寺(千葉県印西市)にあるとしてます。宗旦はそのようすを画にして残しました。それが以下です。

木々が生い茂っている部分が墓で近くの建物は別当のようなものでしょうか。

『利根川図志』で紹介されている墓の由緒は茨城の頼政神社とほぼ同じです。ただし、『佐倉風土記』から引用する形でした。わたしは図志の口語訳を読みましたので、原文ママかどうかまではわかりません。

参考文献

古河市史/古河市史編さん委員会
口約 利根川図志 4巻/著:赤松宗旦 訳:阿部正路・浅野通有
龍ケ崎郷土史