【常陸国】宮内町の吉田神社|水戸市【第三宮】

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ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

水戸市の吉田神社がさまざまな工夫で参拝者を迎えています。近年ではさまざまなデザインの御朱印が話題ですね。

春になればなんと言っても拝殿前の一本桜。戦後に植えられましたので、極端に古く歴史があるというわけではありませんが、たいへん立派で美しい枝ぶりとなっております。

この記事では一本桜(しだれ桜)と神社の由緒などをご紹介します。かつて常陸国の「三の宮」とされた格式高い神社ですので、ぜひ参拝の参考にしていただけたらと思います。

この記事でわかること

  • お寺の由緒とご利益
  • 枝垂れ桜とライトアップ
  • 御朱印のいただき方
吉田神社
吉田神社

由緒

顕宗天皇から仁賢天皇の代/485〜498年
創建

日本武尊が東征の帰路に創建

天安元年/857年
神階:従五位上勲八等→従四位下
貞観5年/863年
神階:従四位下勲八等→従四位上
貞観14年/872年
祈願社となる

新羅の襲来に備えて祈願社となり、祭料の寄進あり

元慶2年/878年
神階:従四位上→正四位下、名神大社に列格

天慶3年/940年
神階:正四位下→正四位上

別勅願により封戸を追加。将門の乱でも祈願社となる

寛治元年/1087年
神祭および雑舎修理料の寄進あり

*貞観14年の例に習い

建久4年/1193年
造営・遷宮

後鳥羽上皇が国史に勅し改造・同年12月に遷宮

弘長元年/1261年
神階:従一位→正一位

亀山天皇により従一位から正一位へ

*『茨城県神社誌』では弘長2年/1262年

文永2年/1265年
奉務

12月、大舎人忠恒、社領の田地賦課等を掌る田所職となり、後裔は祠職の長となって代々奉務する。

永禄8年/1565年
吉田家配下となる

8月、田所清恒が上洛、神道長吉田家を訪問してその配下に入る

慶安元年/1648年
朱印を賜る

将軍家光より「吉田宮印」の朱印を賜る

明治6年/1872年
県社列格

明治40年/1907年
供進指定
天正4年/1576年
扁額を賜る

3月、誠仁親王(陽光院太上天皇)より大宮司田所清恒が「第三宮」の御染筆を賜り扁額とする

昭和20年/1945年
社殿焼失

米軍の空襲により社殿焼失

昭和23年/1948年
社殿再建

昭和39年/1964年
社殿増改築

昭和47年/1972年
社務所、参集殿竣工

昭和48年/1973年
本殿、拝殿、屋根の銅板葺替

ご祭神は日本武尊やまとたけるのみこと。この漢字は古事記ではなく日本書紀の表記ですね。2つの神話では描かれ方が大きく違いますから、どんな意味があるのか気になるところ。正史が優先ということでしょうか。

茨城県とヤマトタケルの関係といえば、なんといっても『常陸国風土記』でしょう。奈良時代に編纂された文献で主に国内の伝承や名産品などが記されて朝廷に献上されました。その中にヤマトタケルに関する記述がいくつもあるのです。特に行方の地域に集中しているのが特徴です。

ところが、不思議と行方にはヤマトタケルをご祭神とする神社は少なく、水戸を中心とした県央地域に多く見られます。その理由は定かでありませんが、個人的にはヤマトタケル同様に鹿行地域で活躍した建借間たけかしま命が当地に渡ったことと関係しているように思います。二者の事績は妙に重なるところがあって、建借馬命の子孫がなんらかの理由でヤマトタケルを崇敬しているような。。これは本当にただのわたしの勘なのですけれど。

由緒を見るとその記録の多さに驚きます。神階の変遷や歴史上の人物たちが多々登場し、改めて社格の高さに気付かされます。多くの文化財があったと考えられますが、現存していないのは空襲の影響でしょうか。とはいえ秋季例大祭は市の無形文化財に指定されています。人がいれば神社の歴史も伝統も完全には失われないということでしょう。

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ちなみに鹿島神宮(一の宮)のタケミカヅチ、静神社(二の宮)のタケハヅチはいずれも武神。三の宮のヤマトタケルも戦う神ですね。常陸国の神はなぜか戦闘能力高めです。
文化財一覧

昭和51年(1976年) ケヤキ(保存樹)
平成28年(2016年) 秋季祭礼(市指定無形民俗文化財)

アクセス

水戸駅から車で10分ほどの宮内町の高台にあります。

一の鳥居の周辺に車は停められません。向かって左手に高台に上がれるスロープを利用して駐車場に向かってください。

名称常陸国第三宮 吉田神社
住所茨城県水戸市宮内町3193-2
駐車場あり
Webサイト公式サイト
instagram

参道と朝日三角山遺跡

一の鳥居
一の鳥居

車で参拝する方はこの先の駐車場に停めるので、こちらの一の鳥居をくぐらずに参拝してしまうかもしれませんね。しかし参拝ガチ勢としてはそうはいかない。参道を逆走してでもこの光景を拝まずにはいられないのです。

御神燈に挟まれた参道
御神燈に挟まれた参道

お参りは一の鳥居をくぐり左右をご神燈で挟まれた参道を進みます。 軽い山登りですね。山といえば山号を有するお寺を思い出しますが、神社も山に鎮座することが少なくありません。明治期は開発の関係で山地に移された神社が多かったようですね。当社はそうした話はないので昔ながらかと思います。

日本武尊ゆかりの朝日三角山
日本武尊ゆかりの朝日三角山

比較的急な階段を登ると左手に朝日三角山遺跡。当社にとって重要な場所で神社で頒布している由緒書でも次のように触れられています。

古来常陸国内第三社とも呼称される。
尊が東征の帰途、常陸を過ぎて兵をこの朝日山に留めて憩わせた故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀した。
尊のご休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、神聖な処として伝え残されている。
当社古文書によれば、創建の年記は顕宗天皇(485年)と仁賢天皇(498年)の御代に遡る。

いばらきの装飾社殿

もとの名前は三角山で、尊が美しい朝日を見たことで朝日山と呼ばれるようになったそうです。どうして座った場所が神聖になってしまうのか。それは古い神道で「偶然には神が潜んでいる」と考えられていたからでしょうか。

願掛石
願掛石

お賽銭箱の隣には願掛石がありました。家に持ち帰り願掛けをして、願いが叶ったらこちらに返却(玉垣の中に修める)するそうです。御祭神であるヤマトタケルの御神徳を身近に感じながら日々努力するということですね。

ちなみにヤマトタケルは最近になって境内でイラスト化されていました。うーん、イケメン。これは新展開ですね。

随神門

随神門
随神門

正面に見えるのは随神門。足の部分には左大臣と右大臣が鎮座して悪いものが神社に入るのを防いでいます。随神門はお寺の仁王門とよく似た形をしている場合が多く、実際に仁王像が置かれていることもあります。

そうしたケースは神仏習合時代の名残です。ただし、当社の場合は光圀公の時代から神仏分離が意識されてきた土地なので、仁王像はなかったのではと思います。

ところで、社伝によると永禄8年(1565年)の時点で吉田家(京都)の配下になったとか。吉田家にはじまるいわゆる吉田神道は仏教や儒教思想と距離を置いています。

神仏分離をはかった水戸藩とは親和的なので藩内でも重要な立場にあったかもしれませんね。ただし、元吉田にある薬王院(天台宗:本尊薬師如来)が当社の神宮寺であり、神仏が完全に分離していたわけではありません。

京都の吉田神社と吉田家は当地の吉田とは別です。

社殿

枝垂れ桜と社殿
枝垂れ桜と社殿

随神門の先にはしだれ桜と社殿があります。見事に咲いていてまさに華やか!桜のお話はこのあとにして、まずはお参り。。

社殿
社殿

吉田神社の社殿は戦後に再建されたので比較的新しいです。というのも先の大戦の際、水戸の地は空襲によって焼け野原になってしまいました。吉田神社も例外ではなく、社殿と共に境内が焼かれてしまったのです。

歴史は一旦潰えてしまったといえるかもしれませんが、多くの信仰のある方々によって再建。形は変わっても大切なものは後世に伝えられています。

本殿
本殿

本殿は神宮と同じ唯一神明造り。近現代に建てられた神社には多い造りですね。恐れ多いせいか、わたしの記憶では古い時代の神社には見られません。これはこれで時代を感じさせてよいのではないでしょうか。

しだれ桜

枝垂れ桜(2024)

春の吉田神社といえば社殿前のしだれ桜に注目。いわゆる一本桜です。

この桜は戦後に植えられたので樹齢はおよそ70年ほど。大きいですよね。高さは10mくらいあるでしょうか。平和の象徴であり、当時の方々が将来になにかを残したいと願ったのかなと想像できます。

今年は例年よりも早めの開花で3月26〜27日辺りがピークだったそう。わたしは30日に撮影したので、葉緑が多くなっています。ちょうど剪定が終わったあとでしたので、枝ぶりがスッキリ。また来年、美しい姿を拝見したいですね。

吉田神社はしだれ桜の後に一の鳥居の周りのソメイヨシノが開花。さらに少しすると駐車場のヤマザクラも咲くので、1ヶ月近く桜を楽しめます!

縁結びの笹

縁結びの笹
縁結びの笹

社殿の左後方に水戸黄門(光圀公)ゆかりの縁結びの笹があります。この笹は光圀が自ら植えた笹で、利き手と反対の手で笹を結ぶと願いが叶うといわれています。

縁結びとのことですが、人と人だけでないようです。また、「笹を結ぶ」とのことですが、実際にはおみくじが結ばれていたような。

少々見つけにくい場所なので、社務所で聞いてみてもいいと思います。社務所の窓口からだと少し見える場所なんですけどね。

ライトアップ

夜の吉田神社
夜の吉田神社

しだれ桜のライトアップは見頃の少し前からスタート。2019年は3月17日〜31日。時間は18時〜22時です。実際には時間きっかりではないので、日没の頃と覚えておきましょう。

夜の神社。人手が少ないので少々怖いのですが、この独特の雰囲気がなんともいえません。ぼんやりと輝き参拝者を導く御神燈。異世界への扉が開けそう。。

夜の朝日山
夜の朝日山

朝日三角山遺跡は写真よりもずっと暗いです。実際には石柱はほとんど見えないかと思います。随神門をくぐって社殿の前に。。

ライトアップされたしだれ桜と社殿

非常に静かな境内。この時間は少し雨が降っていましたので春とは思えない寒々しさでした。それでも桜はあるがままの姿で咲き続けるだけ。生きることの美しさを感じます。

ライトアップは神社のご厚意によって近年はじまりました。他の桜よりも早めですので、お近くにいらしたらぜひご覧ください!

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期間の終わりの頃はすでに散っている可能性がありますのでお気をつけください

御朱印

吉田神社の御朱印
吉田神社の御朱印

吉田神社でいただける御朱印は豊富です。本務社の吉田神社のほかに以下をいただけます。さらにここに書かれていない境内社の御朱印があります。久しぶりに参拝する方は社務所を要チェックです。

  • 吉田天満宮(境内社)
  • 銭谷稲生神社|兼務社|水戸市浜田1-6-33
  • 金山稲荷神社|兼務社|水戸市元吉田町1429
  • 金比羅神社|兼務社|水戸市白梅4-7-16
  • 水戸神社|兼務社|水戸市笠原町994
  • 八阪神社|兼務社|水戸市本町3-6-29

社殿の向かって左手にある社務所でお声掛けください。豊富な限定御朱印、そして美しい御朱印帳が人気です。『飛び出す桜』御朱印帳は話題になりましたね。ぜひ、チェックしてみてください!

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社務所で兼務社の所在地マップが配布されていますので、いただいておきましょう〜♪

令和6年現在、御朱印は原則的に書き置きです。

限定御朱印

吉田神社は例大祭限定などの特別な日に限定の御朱印を頒布することがあります。

基本的には社殿のそばにある社務所で拝受できますが、例大祭の場合は仮殿まで行く必要があります。仮殿の場所は年番によって異なりますので、公式サイトや社務所の掲示などで事前に確認しておくとよいでしょう。

仮殿
仮殿

仮殿ではお守りや御札の頒布もありました。人は常駐していると思いますので祭礼のある時間帯であれば御朱印も拝受可。ただ、ふだん行かないはずの場所にありますし、周辺は車両通行止めなのでちょっと苦労するかと思います。

フォトギャラリー

まとめ

・吉田神社は常陸国の三の宮

・しだれ桜は3月中旬頃に開花。見頃は下旬〜4月上旬。夜はライトアップあり

・御朱印は社殿左手の社務所でいただける。兼務社も同じ