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- 耳千代姫の伝説
- 神社の場所
- 御朱印
小美玉市には日本でただひとつの神社があります。耳守神社です。社名どおり、「耳の病にご利益がある」と云われています。
大通りから外れているので、知っている方しか足を運ばないでしょう。でも、他にはないご祭神・耳千代姫を祀った神社です。耳に不安のある方はお参りされてみてはいかがでしょうか。
今回は耳守神社と神社の縁起(民話)をご紹介します。とってもありがたいお話なので、興味がわいたらぜひ足を運んでみてください♪
民話『耳千代姫』
耳守神社は小美玉市の栗又四ケに鎮座しています。建てられたのは、いまから1,000年以上前。面白いのは建てられたきっかけが民話となっていることです。
神社のご祭神は日本で唯一。すべては民話”耳千代姫”にありますので早速ご紹介します。
むかしむかし、いまの栗又四ケは平国香(甥は平将門)の孫である飯塚兼忠によって治められていました。
兼忠には妻と可愛らしい娘がいました。娘は千代姫といい両親からとても大切に育てられていました。
しかし、千代姫は兼忠から話しかけられても返事をしないときがあります。千代姫は耳がきこえなかったのです。兼忠は千代姫が育つにつれ、娘の将来が心配になりました。また、千代姫も自分が他の人と違うことに気付きはじめました。そこで、兼忠夫婦は娘のためと覚悟を決めて、熊野の神様に断食をしながら願掛けをしました。
それから数日すると千代姫が驚いた表情で夫婦のもとにやってきて、なにかを伝えようとしました。言葉にできませんでしたが、千代姫の耳はきこえるようになったのです。
千代姫の耳はだれよりも優れていました。そんな千代姫のことを里の人々は親しみを込めて「館の耳千代様」と呼んでいました。
千代姫が33歳を迎えると、ささいな病が次第に悪化して不治の病となってしまいました。死期を悟った千代姫は「自分が死んだらこの地に神社を建ててください。わたしはそこで里の人々を耳の病から守りたいのです」そう両親に伝えると、そのまま息を引き取りました。
その後、千代姫の遺言どおりに神社が建てられ『耳守神社』と名付けられました。神社の神事は代々飯塚家が引き継いでいきました。
耳守神社のご祭神は耳千代姫こと千代姫命。このお話は境内の石碑にも書いてあります。漢字とカタカナで書かれていて一見難しそうですが、落ち着いて読めば大丈夫。ぜひ読んでみてくださいね。
ただ、残念ながら1590年に飯塚氏が佐竹氏に滅ぼされてしまったので、代々の歴史は途絶えてしまいました。でも、飯塚氏に変わって地元の方々が神社と神事を引き継いでいました。そのおかげで、1983年に神社を再建することができたんです!
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耳守神社とは
鳥居の前には堂々と日本一社と書いてありますね。神社が改築された1982年の時点では、耳守神社の他に「耳の病にご利益」のある神社はなかったそうです。
シンプルで落ち着いた社殿です。手前の狛犬は「くわっ」と目を見開いたユニークな顔をしています。ちょっと歌舞伎を連想させますね。現在は21軒の氏子の方々が守っています。
扁額には赤城宗徳の名があります。茨城県の元衆議院議員です。かつての岸内閣で官房長官や防衛庁長官を歴任しました。立派な方ですね!どんな関係なのか気になるところ。
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竹筒の絵馬
耳守神社の絵馬は竹を短く切って、願い事を書いたものです。絵馬の両端に紐を通して、それを社殿にかけます。変わってますよね。観光協会によれば「耳がよく通るように」という意味。「耳」は端のことだと思います。
写真でご紹介できればよかったのですが、皆さんの願い事がありましたので撮れませんでした。観光協会のサイトからご覧ください。
絵馬は神社に用意されておりませんので、それぞれお持ち込みください。
御朱印について
神社は無人ですが、御朱印をいただけます。同市内に鎮座する素鵞神社に行きましょう。
公式サイトによれば「ご縁」があって授与しているそうです。
アクセス
もっともわかりやすいのは、石岡から小美玉に伸びる355号を通るルートです。石岡警察署からだと車で10分ほどです。
神社に駐車場はありませんが、鳥居の正面に空き地がありますので、数台なら駐車できます。
名称 | 耳守神社 |
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住所 | 茨城県小美玉市栗又四ヶ2051 |
駐車場 | なし |
まとめ
この記事のまとめ
- 耳守神社は耳が不自由だった千代姫を祀っている
- 神社は石岡警察署から10分ほど
- 同市内の素鵞神社で御朱印をいたただける
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。