堅倉の貴布禰神社と金比羅神社|小美玉市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 各社の由緒とご祭神について
  • 貴布禰神社と周辺神社のご祭神との関係
  • 御朱印のいただき方

この記事では小美玉市堅倉の貴布禰きふね神社をご紹介します。金刀比羅ことひら神社と一体となった社殿を持つ神社です♪

貴布禰神社とは

貴布禰神社(社号標)

貴布禰神社(社号標)

貴布禰神社の由緒をご紹介します。

不詳
創建
創建時は貴船神社と称し日本武尊をご祭神とした
大正2年/1913年
社号・ご祭神の変更
貴布禰神社と改称し、高龗神を祭神とする
明治6年/1873年
村社列格
平成7年/1995年
社殿再建・金刀比羅神社合祀
平成20年/2008年
社号標建立
平成23年/2011年
大鳥居建立

貴布禰神社のご祭神は高龗たかおかみ、金刀比羅神社のご祭神は大物主神崇徳天皇です。

高龗神は水神の神格を持ち雨乞いや雨止みを祈願する神です。ただ、当社では「健康」「長寿」が祈願されているのだとか。金刀比羅神社の方は「金運」のご利益があるそうです。

貴布禰神社は京都の本営と同じご祭神なのですが、かつては貴船神社と書き日本武尊をご祭神としておりました。日本武尊は常陸国風土記にも多々記述されていますので、どういった経緯で当社のご祭神になったのか気になるところです。ちなみに、同市内の貴船神社(部室)はいまも社号を変えず日本武尊をご祭神としています。

上記の由緒は茨城県神社誌と境内の記念碑をもとにしました。ただ、茨城県神社庁のサイトには違った事柄が記載されています。各社の創建の年代が書かれ金刀比羅神社のご祭神は金山彦神となっています。金刀比羅神社は同社境内に鎮座していたものを合祀したとのことなので合祀前に発行された神社誌を見てみると。。金刀比羅神社のご祭神は金山彦とありました。

つまり、こちらの金刀比羅神社の元来のご祭神は金山彦神でしょう。大物主や崇徳天皇は本営のご祭神ですが、本営と異なった信仰があったと思います。日本武尊の件とあわせて興味深いことですね。

アクセス

社殿の東側に駐車場があります。「堅倉北」の交差点を南西に進み、すぐに右折して境内に入ってください。

ふだんはさほど駐車しておりませんので問題なく停められるかと思います。

駐車場のそばには河津桜が植えてありまして、2月下旬頃には鮮やかなピンク色で参拝を迎えてくれます。

名称 貴布禰神社
住所 茨城県小美玉市堅倉992
駐車場 あり
Webサイト 茨城県神社庁
年間行事 8月第1日曜日 金刀比羅神社神輿祭
11月22日〜23日 貴布禰神社例大祭

大鳥居

大鳥居

大鳥居

平成11年に建立された大鳥居です。

当社は国道6号沿いに位置しており、目立つ社号標もあってご存じの方は多いかと思います。

ただ、鳥居は細い道路側にありますので見たことがある方は少ないでしょう。それに駐車場からわざわざ一旦境内をでないとくぐれません。

こうして少しだけ手間かけて参拝するのが個人的には楽しいのです。自分にゆとりを感じるといいますか。参拝といっても神社では自分と向き合うことの方が多いように感じています。

鳥居をくぐればすぐに拝殿です。参道の右手には由緒書があるので先にご覧になってから参拝するのもよいでしょう。

社殿

拝殿

拝殿

平成に再建されましたのでピカピカです。正面の赤と金に輝く龍の彫刻が印象的ですね。

扁額

扁額

拝殿の扁額には二社の扁額が見えます。金刀比羅神社は境内社から昇格のような形なのでこうして並ぶのはかなり珍しいケースかと思います。

江戸時代ならそれぞれ水神とされているので理解できますが、平成のことですからね。やはり金運を与える神は偉大ということでしょうか。

二社造りの本殿

二社造りの本殿

本殿は二社造りといって、それぞれのご祭神を収めています。相殿とはちょっと違う気がしますね。とても珍しいと思いますよ!

何度か参拝させていただいておりまして、宮司がいらっしゃる場合には昇殿させていただいたこともあります。太鼓で迎えてくださったときは身の引き締まる思いでした。

境内社

境内社

境内社

境内社は社殿の左手にまとめて鎮座しています。

この大きな建物の中に3つの社殿が入っていて以下が祀られています。

  1. 稲荷神社
  2. 厳島神社
  3. 八幡神社
  4. 鷲神社
  5. 愛宕神社
  6. 養蚕神社
  7. 天満宮

有名な神社ばかり。付近にあった小さな祠を明治初期に土地を代表する神社にまとめたのでしょう。

それではまとめられなかったのはどのような神社なのでしょうか。美野里町史(上)から地区の分布図を引用します。

わたしが注目したのは石船いわふね神社です。茨城県では城里町に式内社と比定される石船神社があるものの決してよく目にする神社ではありません。

石船神社のご祭神は鳥石楠船とりのいわくすふね、別名は天鳥船あめのとりふねです。名前の通り航海安全の守護神とされ、「国譲り神話」では武甕槌命(鹿島神宮ご祭神)が乗った船となっています。

旧美野里地区を見てみると貴布禰神社、金刀比羅神社、石船神社、貴船神社、諏訪神社、香取神社など、水と関係の深い神社が数多くあることがわかります。そこで思い出すのが貴布禰神社(貴船神社も)のご祭神を日本武尊としていることです。

記紀の日本武尊は東征の途中、走水海(浦賀水道、東京湾の入口)を渡ろうとして海峡の神に阻まれてしまいました。それを救ったのが后である弟橘媛命です。自らが巫女となり海の中に身を投げると海は静まり、尊は海を渡って任務を果たすことができたのです。

もしも天候や海上が安定していたのなら。もしも荒れる波もお構いなしの船があったのなら。日本武尊も弟橘媛命も揃って常陸国にやってきたことでしょう。そう考えると日本武尊の周囲に天鳥船や高龗神などが祀られているのは腑に落ちるところです。

美野里地区の神社は社号とご祭神がうまく合致しないように思うのですが、なにか深い理由がある気がします。金刀比羅神社のご祭神に金山彦神が多いことなど色々と調べがいがありそうなので引き続き探訪していきたいと思います♪

wata

常陸国風土記には朝廷から見て足柄山より東を「我姫あずまの国」と呼んだとあります。常陸国も我姫の国ですね。我姫は日本武尊の妻である弟橘媛命といわれていますよ。

御朱印

貴布禰神社の御朱印

貴布禰神社の御朱印

金刀比羅神社の御朱印

金刀比羅神社の御朱印

貴布禰神社と金刀比羅神社の御朱印はそれぞれいただけます。

宮司の本務は別にありますのでいただける機会は少ないかも。。滞在しておりましたらかなりの幸運なのでありがたくいただきましょう!

まとめ

この記事のまとめ

  • ご祭神は高龗神だが、かつては日本武尊だった
  • 二社造りという特別な本殿をしている
  • 御朱印は貴布禰神社と金刀比羅神社の2種類がある

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁