【書籍紹介】常陸国風土記 全訳中|現代語訳・用語解説ともに充実しています!【秋本吉徳】

常陸国風土記ひたちのくにふどきを読んだことありますか?

風土記は奈良時代に編纂された土地の歴史や文化を記した書物です。朝廷から各地に派遣された国司が編纂しました。国司は現代の知事のような立場です。

当時は文字を書ける者は朝廷を中心にごく一部の知識人だけでした。そのため編纂者たちは各地の古老などに土地の伝承などを尋ねて周ったんです。

現存する風土記は5カ国分ありまして、そのうち茨城県について記されているのが常陸国風土記です。いまに通じる歴史や由緒があるので興味深いのですが。。実際に読んだことある方はほとんどいないはず。というか読もうと思っても勉強していなければ難しくて読めません。

そこでオススメしたいのが今回ご紹介する常陸国風土記 全訳中です!現代語訳だけじゃなく風土記の理解を深める解説がたくさん書かれています。

Amazonなどでも買えますので、「聞いたことあるけど内容はよくわからない」という方はぜひチェックしてみてください!

MEMO
現存する風土記は、常陸国風土記、播磨国風土記、肥前国風土記、豊後国風土記、出雲風土記です。出雲風土記はほぼ完全な形で伝わっています。

概要

タイトル常陸国風土記 全訳中
著者秋本吉徳
発行日2001年10月10日
発行所株式会社講談社
ページ数208ページ

常陸国風土記は和銅6年(713年)に元明天皇の詔によって編纂をはじめ養老5年(721年)に成立したといわれます。編纂のはじまりの時期はほぼ間違いないのですが、成立については諸説あるようですね。古事記が和銅5年(712年)、日本書紀が養老4年(720年)ですから、日本最古級の書物です。

成立した当時の原本は現存せず、いまに伝わっているのは写本です。その写本、もっとも古いもので延宝5年(1677年)に書かれたものだそう。

また、写本は原本にあった内容が省略されていることがわかっています。一体何が書かれていたのか気になりますよね。でも、個人的には省略するくらいなのであまり大事じゃなかったのかなと思います。(学者はすごく気になるようです)

タイトルの「常陸国」の範囲ですが、いまの茨城県から県西地域(常総から西)を除くと大体同じになると思います。

常陸国風土記 全訳注 P192

当時は常陸国を11つの「群」に分けていました。新治、筑波、信太、茨城、行方、香島、那賀、久慈、多珂、河内、白壁です。漢字は違いますが、いまも地名として残っているのがほとんどですね。

本書はまず常陸国風土記の原文を記載し、その後に現代語訳、用語の解説、著者の考察と続きます。原文、現代訳にはふり仮名がしっかりふられているので非常に読みやすかったです。

著者の広い見識をもとにした用語解説は大変参考になりました。極端に古い書物なので「これが正解だ」と言えるようなことはほとんどありません。それだけに想像力を膨らませて読める面白さがあると思います。

常陸国風土記の現代語訳は他にも読んだことありますが、本書が一番役に立ちました。原文を現代語訳しただけの本は単語の意味や背景がわからないので理解しにくいんですよね。本書はいくつか説を併記しながら考察されており、かなり奥深く読み取ることができると思います。

wata

訳者によると常陸国風土記は他の地域の風土記よりも美文なのだとか。。わたしにはよくわかりませんが、なんとなく誇らしいですね!
MEMO
本書は1979年に学術文庫から発売された『風土記(一)−常陸国風土記』の新装版です。

ヤマトタケルの存在

常陸国風土記の大きな特徴としてヤマトタケル(倭武)の記述があります。同時期に編纂された古事記と日本書紀(合わせて『記紀』という)にも登場する景行天皇の息子(皇子)です。

記紀のヤマトタケルといえばやたら強いせいで天皇から恐れられていました。そして遠ざけられるように朝廷に抵抗する勢力を討伐する任務を与えられ各地に派遣されます。

ヤマトタケルは東征をしているので、常陸国風土記はそのことについて書かれていると思うのですが。。興味深いことに「倭武の天皇」と表記されています。記紀を読んでもヤマトタケルは天皇に即位してませんよね。ここからどんなことが考えられるでしょうか。

1つは常陸国の伝承がそのまま書かれたということです。朝廷が公式に認めている内容と異なりますが、常陸国ではそう伝わっているので書くしかなかったのでしょう。国史を差し置いて地方のお年寄りの言っていることが採用されたということですね。

その場合、風土記に編纂に対して非常に誠実な姿勢で臨んでいたと受け取れます。やろうと思えば「国史と違うので不採用」とできたはずですから。

もう1つは天皇に並ぶほど特別視していることです。ヤマトタケルが行った場所、したことは地名や伝承になって語り継がれています。由緒にふさわしい権威ある存在と考えていたのでしょう。

本物の天皇を書いていないのは、記紀にないので整合性がとれなかったからでしょうか。この時代、地方に天皇や宮中のことがどれくらい伝わっていたか疑問ですが、筑波郡の項に新嘗祭について記述されているのでまったく知らないことはなかったようです。なお、景行天皇はヤマトタケル亡き後、皇子を想って信太郡を訪れています。

常陸国風土記には黒坂命や建借間命など朝廷から派遣された武勇に優れた者が佐伯や国巣を退治するお話がいくつも収録されています。朝廷と常陸国の関係を示しているのでしょうが、もっとも象徴的なのがヤマトタケルなのかもしれないですね。

なぜヤマトタケルが天皇なのか。大きな謎ですね。ぜひ考えてみてください!

MEMO
ヤマトタケルは古事記だと「倭健命」、日本書紀だと「日本武尊」として表記されることが多い。

行方郡は特別

常陸国風土記には省略された部分があると前述しました。「省略されたところに大事なことが!」と考えることもできますが、わざわざ書き残した方を大切とするのが自然です

各群はそれぞれ多かれ少なかれ省略されているのですが。。まったくされていない群がひとつだけあります。それが行方なめかたです。

行方郡は土地の由緒につながる神やヤマトタケルなど土地を平定した英雄について書かれています。これらは重要なことなので決して省略してはいけなかったのでしょう。ちなみに当ブログで過去にご紹介した夜刀神も行方郡に記載されています。

神、英雄、東征は常陸国を考察するためのキーワードだと思います。そして当時まだ朝廷に抵抗していた蝦夷らとの関係も意識していたのではと考えられますね。

行方郡の特徴を捉えながら、他の群の内容を考えると編纂者の意図をなんとなく想像できるようになります。正解なき問いになると思いますが、頭の体操としても楽しめますよ!

MEMO
河内郡と白壁群は項目まるごと省略されています。

まとめ

この記事のまとめ

  • 常陸国風土記は1300年以上前に編纂された地誌
  • ヤマトタケルを特別視して行方郡は省略されていない
  • 現代語訳で覚えておくと観光や寺社参拝をより奥深く楽しめる
この本の評価
読みやすさ
(3.0)
面白さ
(4.0)
デザインの美しさ
(3.0)
コストパフォーマンス
(5.0)
オリジナリティ
(3.0)
総合評価
(5.0)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA