蚕養神社の謎に迫ります!
日立市の蚕養神社といえば、マニアにはおなじみの金色姫伝説があります。伝説については以前つくばと神栖を調べたときに詳しくご紹介しました。
日立はそれと別に興味深い内容が秘められているようです。どうやら土地の『大明神』と関係しているようなんですよね。
この記事では日立市の蚕養神社のご祭神について詳しくご紹介します。息栖神社や金色姫伝説にも触れますので、ぜひお楽しみください!
金色姫伝説の謎に迫る|蚕影神社・蚕霊神社(つくば市・神栖市)
蚕養神社とは

鳥居
蚕養神社は日立市の川尻町にある神社。海水浴場として知られる川尻海岸を見渡せる高台に鎮座しています。
ご祭神は椎産霊命、宇気母智命、事代主命の三神です。ただ、かつては蚕養大明神を祀っていました。後ほど詳しくご紹介します。
続いて由緒を境内の立て札から一部抜粋してご紹介します。
縁起
その昔稚産霊命が、人皇第七代孝霊天皇の御代五年辛巳春二月初午の日に、蠶養浜東沖磯の上に御神影を現わされて、まことに貴いありがたい御神のお告げがありました。そこで当時の里人達は社を神路の森の、上子山に建てて、日本最初蠶養の祖神として敬い奉ってきました。その浦を豊浦の水門といい、尊神の現れなされた所を蠶養浜といいます。
孝霊天皇の御代五年とは紀元前286年のことでしょうか。神話の世界ですね。

海の見える境内
蚕養神社のある場所は豊浦と呼ばれていました。その関係か金色姫伝説が残っています。境内の立て札から全文引用します。
金色姫物語 伝説
昔常陸国豊浦港(現在の川尻小貝浜)に繭の形をした丸木舟が流れついたのをこの地に住む神宮権太夫が見つけた。
さっそく丸木舟を割ってみると中から美しい姫があらわれたので、家につれてきてわけをきいた所、「私はインドの大王の一人娘で、金色姫と申しますが、母は早くなくなって今の継母様は私をにくんでひどくいじめました。
この様子を見かねた大王は桑の木で丸木舟を作り宝石のような赤貝で作った首かざりを私の首にかけて舟に乘せ、慈悲深い人に助けられることを願って海に流しました。」と泣きながら手を合わせました。
身ぶりでそれと知った権太夫は、それから毎日我が子のようにやさしくいたわり、そだてていき ましたが、五年たった今、姫は急に泣きながら、「私の命も今宵限りとなりました。私の身は前世の宿縁で蚕という虫に生れかわり、蚕葉という桑の葉に養われ て宝の繭をかけるまで四度の衣をぬぎすてますが、これは継母様にいじめられたなやみの衣です。
それから父母こいしと泣きながら糸を吐いて作り、その繭の中にこの身を入れて葬るのです。よい繭を作るには蚕育て頃と庭起きがその良し悪しの瀬戸際です。この蚕貝作りの首かざりと繭は助けていただいた命の恩の置土産です。」と養蚕の業を教えて念仏とともに昇天した。
これから日本に養蚕業が広まったという。
これは蚕姫金色の物語で仏説蚕養の御由来である。
昭和五十一年十月
寄贈者 五浦観光ホテル別館大観荘
代表取締役社長 村田素雄
つくば市の蚕影神社や神栖市の蚕霊神社とほぼ同じ。強いて違いをあげるなら『赤貝で作った首飾り』の存在でしょうか。
神社の縁起に小貝ヶ浜(蚕養浜)では蚕生貝がとれるとありました。カイコローグの写真で見るとたしかに赤色の貝。
ただ、初めから身につけていたということは、姫のいた土地と関係ありそうですよね。ぐぐると宮城県の名取市が味、水揚げ量ともに日本一といわれます。
宮城はむかし陸奥国とか奥州と呼ばれていました。茨城新聞発行の図書には「金色姫は奥州からやってきた」とあるので、ちょっと気になる関係です。
さらに縁起には日本武尊が奥州へ向かう途中に立ち寄ったとあります。うーん、こちらも気になる。
ここまでが基本情報。実際に境内に足を運べば立て札などですべて確認できます。続いて『常陸多賀史』と筑波書林の『日立の伝説/著:柴田勇一郎』を元に神社の由緒とご祭神を掘り下げます。
鳥居の左側に写っているのは神輿殿です。
詳しい由緒とご祭神

社殿
蚕養神社はたびたび火災に遭っており、加えて1945年(昭和20年)の日立空襲によって神社録などの資料が焼失しています。
そのため創立などの歴史はよくわかりません。多くの方が調べていますが、頼りは水戸藩神社録と開基帳、茨城県神社誌となっています。
創立について水戸藩神社録には1513年(永正10年)とあります。開基帳では不詳です。
また、茨城県神社誌に以下が記されています。こちらは近代のことなので確かだと思います。
- むかしは於岐津社といわれており、宇気母智命を祀っていた
- 1901年(明治34年) 蚕養神社に改称された
- 1919年(大正8年) 椎産霊命と事代主命を合祀した
県内の神社にお詳しい方なら『於岐津』に引っかかると思います。
息栖神社との関係
おきつといえば於岐都説神社。三代実録に社名がある現在の息栖神社のことです。東国三社としても知られていますね。
名前が微妙に違いますが、はじめの2文字(於岐)は他に類がないことから同一と考えられます。津は船着き場の意味なので海岸の神社として納得できます。同町内に津神社があることも関係しているかも。。
息栖神社も海に面していて近くに港がありました。路の神である岐神(久那戸神)をお祀りしているのは、安全な航海を願ってのことでしょう。

川尻海岸
さて、ここで疑問です。
於岐津社のご祭神ははじめから宇気母智命だったのでしょうか。どう考えても息栖神社と同じ岐神が自然なのですが。。
疑問を感じてネットで検索していたら、蚕養神社のご祭神は蚕養大明神だったという記述を見つけました。気になって管理人の陸前三郎さんに出典を尋ねたところ、常陸多賀史にあるとご回答をいただきました。
自分でも図書館で調べてみたらたしかに。。寛政10年(1803年)に水戸藩彰考館がいくつかある縁起文から選んだものでした。
現在、境内にある縁起文はこれをわかりやすく書き直したもの。明神の記載が消されているのはなぜ?そもそも蚕養大明神とは一体なんなのか。神話に出てきませんので土地に由来する蚕の神なのでしょう。
常陸多賀史によると当時の信徒は県内で862人、福島・長野・栃木の三県に1176人いました。
蚕養大明神と関係ありそうな神
蚕養大明神とはどんな神か。いくつかの神の要素が混じっているのではと想像できます。一柱ならその神の名前がでてくるはずですからね。
以下は大明神と関係がありそうな神々です。本当はもっと深掘りしたいのですが、とりあえずということでご参考に。。
椎産霊命と宇気母智命
現在のご祭神はもちろん蚕と関係しています。日本書紀の椎産霊は体から蚕を生んでいますし、宇気母智命も亡骸から蚕を誕生させています。
宇気母智命は体から食べ物を生み出すことができる女神なのですが。。神話だと口からさまざまな食物が出てくるのを見た月夜見尊に「汚い!」と斬られてしまいました。誤解ですし完全にやりすぎですよね。
それで月夜見尊は天照大神に嫌われ二神は会わなくなりました。朝と夜の誕生にもつながる神話です。
イザナミとククリヒメ
『日立の伝説』によると蚕養神社の境内には同川尻にあった白山神社が移されました。神社は日立電線豊浦工場の近くのがさやぶの中にあったものだとか。
写真は社殿の左側にあった祠です。他に見当たらなかったのでこれが白山神社でしょうか。
この白山神社にどのような神が祀られているのかまではわかりませんが、一般的には日本書紀にだけ記載のあるククリヒメをお祀りしています。
ククリヒメはイザナギとイザナミの間に生まれた女神です。登場機会は日本書記で1回だけなのですが、両親の夫婦喧嘩を一言で仲裁しています。
ククリヒメは仲直りや誤解を解く神ともいえそうです。先にご紹介した宇気母智命と合祀されているのが興味深いですよね。宇気母智命は誤解によって死んでしまいましたから。。
白山神社と蚕の関係はハッキリしないものの、養蚕の神として信仰されていたことは事実。福島県の白山神社の由緒から引用します。
由緒
かつて福島市は生糸の交易で東北を代表する裕福な都市として知られ、日本銀行の支店が東北で最初に開設された場所でもあり、当社は古くから養蚕の神として近郷近在から広く信仰を集めていました。これは、御祭神との関係や言われに根拠が乏しく、蚕や繭の白からの連想による信仰か、東北地方の民間信仰の一つ「おしらさま」と混同されたものとも考えられますが定かではありません。
福島県白山神社/白山比咩神社
文書に残るような明確な理由ではなく、口伝や慣習によって信仰されていたのでしょう。
それでは白山神社が蚕養神社の境内にきた理由とは。おそらく近年(昭和48年以降)のことだと思いますが。。
蚕養神社の近くにある館山神社にも境内社として白山神社があります。そちらのご祭神はイザナミです。
ククリヒメじゃないのでスッキリしないかもしれませんが、この地域の民話から察するとイザナミとククリヒメはセットだと思います。
白山信仰はイザナミからはじまりました。それにいつしかククリヒメが加わっています。この経緯は非常に深いので調べている途中です。
オシラサマ
茨城県民としては「いたこ」といえば潮来市。でも、ふつうは霊を体に宿せる「イタコ」をイメージするかと思います。
イタコは東北で知られる神様 オシラサマとの仲介役。オシラサマの力を借りて人々の相談に乗ります。
それではオシラサマと蚕の関係は?東北STANDARDから引用します。
オシラサマには諸説あるんですけど、蚕の神様、馬の神様、あるいは目の神様などと言われています。オシラサマは桑の木で作られるものですから、養蚕の神様、と言われているようです。蚕が糸を産み出すように、「何かを産み出す」神様とされていますので、祀っている家によって役割が変化する神様です。
オシラサマという神様。/東北STANDARD
馬の神様はいわゆる『馬娘婚姻譚』に関係しています。イタコの口承で蚕の誕生につながる物語なんです。
ざっくり説明すると馬と人間の娘の叶わぬ恋のお話。馬は娘の家族に皮を剥がされて殺されます。その皮が娘を包み天に昇っていき、1週間後に下りてくると中には蚕が詰まっていました。
このお話は中国の捜神記が元になっているそう。詳細は専修大学の論文(馬娘婚姻譚の日中比較)からどうぞ。
まとめ
長々と書いてしまいましたが、要点をまとめます。
- 日立市の蚕養神社は日本最初の養蚕を伝えている
- かつてのご祭神は蚕養大明神だが水戸藩の時代に替わった
- 蚕養大明神は複数の神を含んだ土地独特の神
白山神とオシラサマはキーワードです。
日立の伝説を読むと白山神の使い(白狐)やワカ(呪術者)が登場しますから、蚕養大明神には神秘的な何かを感じてしまいます!
余談:金色姫伝説
息栖神社はいまの場所に鎮座する前に同市内の日川にありました。日川はかつて豊浦と呼ばれていて蚕霊神社のある場所です。
日立と神栖の金色姫伝説の共通点は『豊浦』だけでしたが、息栖神社も加わりました。さらに港があったことも共通でしょう。(この場合の港は漁ではなく貿易をする)
そうすると金色姫はたまたま流れ着いたのではなく、明確な目的を持って豊浦の港にやってきたのではないでしょうか。
市内の艫神社の由緒にはご祭神が一艘の舟に乗って川尻町の小貝ヶ浜に漂着したとあります。まんまですよね。
伝説の元になった養蚕秘録を著した上垣守国。奥州の修行時代に養蚕発祥の物語を知りましたから、同時に奥州と常陸国の貿易も知っていたはず。
それに販路開拓のため『インド』をキーワードにして物語を創作。。妄想が止まりません!
御朱印

蚕養神社の御朱印
蚕養神社の御朱印です。初穂料は300円。
神社は無人ですので、神峰神社でいただくことができます。
以前は社務所の前に張り出されていましたが、いまはないかも。でも、お声掛けすれば大丈夫です!
ただし、現在は書き置きのみになっていると思います。
アクセス
名称 | 蚕養神社 |
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住所 | 茨城県日立市川尻町2377 |
駐車場 | あり |
日立の伝説/著:柴田勇一郎
常陸多賀史
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
この記事は筆者の主観が多分に含まれております。
筆者の誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
御朱印巡りをされる方へ