wata
- 「伊福部の雷神」伝説
- 日立市の史跡「かんぶり穴」について
- 穴と騎馬民族、穴と雷神の関係
雷神といえば単に雷を落とすだけでなく、農業神としての面も持っています。「田」んぼに「雨」で雷。雷が落ちるとおいしいお米ができるなんて説もありますよね。
雷神は比較的小さな祠で祀られることが多いのですが、その数は多く身近な神といっていいでしょう。そのためか民話にもちょくちょく顔を出しています。
しかし!日立市には珍しい雷神の民話があるんです。この記事では民話『伊福部岳の雷神』とそれに関係していると噂の十王前横穴墓群をご紹介します!
民話『伊福部の雷神』
『伊福部の雷神』は日立市に伝わる民話です。民話といっても『常陸国風土記』の逸文にありますので、かなり由緒正しきといった感じです。
ざっくりですが内容は次のようなものです。
しかし、妹は日頃から仕事が遅いため、その日も兄よりずっと時間がかかっていました。すると急に空模様が怪しくなり、雷神が降りてきて妹を蹴り殺してしまったのです。
兄は自分の言葉が災いとなってしまったと後悔しましたが、それより罪もない妹を殺した雷神が許せませんでした。なんとか復讐したかったのですが、雷神の居所は誰に聞いてもわかりません。
それから数日すると一匹の雌の雉が飛んできて兄の肩に止まりました。兄はこれはと思いその雉に麻糸をくくり付け「雉よ雷神の居場所まで案内してくれないか」と言いました。雉はすぐに飛び立ち、兄は紐を辿って雷神の住処まで行くことができたのです。
雷神は伊福部岳に穴を掘って眠っていました。兄は雷神に「お前だけは許せない」と刀を突きつけると、雷神は恐れをなして「申し訳ございませんでした。今後百年、決してあなたの子孫に雷を落とすようなことはしません」と誓ったので、その哀れな姿を見た兄は許してやることにしました。
兄は雷神の居場所を教えてくれた雉に感謝し、「今後、わたしたちはあなたへの恩を忘れません。もし忘れたら生涯ずっと病気にかかって不幸になることでしょう」と誓い、その後、兄のいた土地では雉を神として祀ることにしました。
雷神、やたら弱々しいんですよね。力の弱い妹には傍若無人ですが、兄とは戦ってすらいません。神としては非常に違和感があるお話です。
一方、兄を助けた雉は神格化されています。じつはこの伊福部岳の穴は日立市の川尻の史跡・十王前横穴墓群(通称:かんぶり穴)という説があるんです。なんでまた!?
というわけで、この奇妙な民話を深く関係しているであろう「かんぶり穴」に足を運んでみました。
かんぶり穴とは
今回舞台となる「かんぶり穴」があるのは日立市の川尻町です。
駐車場はありませんが、十王川のほとりに駐車スペースがいくつかありますので車で行けます。横穴まで徒歩5分にもならないでしょう。
まずは史跡の概要を立て札から抜粋します。(読まなくてもOK)
十王前横穴墓群(通称 かんぶり穴)は、十王川に面する丘陵の西斜面にあり、二十九基の横穴墓が確認されています。
横穴墓とは、古墳時代の墓制の一つで、丘陵の斜面に横穴を掘って墓とするものです。
この横穴墓群の特色は、玄室(墓の内部)の規模が大きく、奥壁が台形で、石を敷き詰めた一段高い床穴を設けた横穴墓が多数存在することですが、最大の特色は、玄室の壁面に、三角形や菱形、靫(矢を入れるもの)などの文様が刻まれ、それらが赤色や黒色などで装飾された三基の装飾横穴墓が存在することです。
装飾横穴墓や装飾古墳は、九州地方に数多く分布しており、この横穴墓群の装飾横穴墓も、九州地方との関連性が考えられます。
日立市教育委員会
かんぶり穴は古代人のお墓です。6世紀から7世紀の古墳時代後期に造られたと考えられています。
この時代のお墓といえば古墳、つまり円墳や前方後円墳のように土を盛ってその中に棺を納めることを想像するかと思います。
古墳は県内各地で見られますが、横穴はそれよりは少ないですよね。どういった人々が葬られていたのかは少々気になるところ。ただ。。わたしが気になっているのは横穴と民話の関係なんですよね。
かんぶり穴のある場所は私有地です。史跡の見学以外で立ち入れるのはNGです。
横穴の特徴
案内の石柱のそばに駐車してから橋を渡ってかんぶり穴へ。7月はずっと雨だったのでどうしようかと思いましたが、8月になって超快晴!ラッキーでした。
道なりに進むとふたたび案内がありました。ここまで徒歩で2〜3分ですね。竹林だったであろう場所が切り開かれており、奥に進むことができました。
奥には史跡を整備されているボランティアの方々がいらっしゃいました。9時過ぎにお邪魔したのですが、この日は暑くてもう上がるとのことで作業を止めて案内してくださることに。ありがたいです!
横穴は小さな山の傾斜に点在しています。近年、そこに続く通路を整備したとのことで階段と手すりがありました。これがないと転落・転倒の可能性が高いかなり危険なスポット。。
階段の先にあるのが案内付きの巨大な横穴です。おそらくほとんどの方が初めに見ることになります。
ボランティアさんは立て札にないことも色々教えてくれました。例えば、穴の中の端には溝が掘られていて滴ってきた雨を外で流しだす仕組みになっています。
また、穴の奥の方には石が平らに積まれており、その上に遺体を乗せていたとのことです。石がないと床にたまった水分に接触しますから遺体の傷みを気にしたのでしょうか。
特に興味深いのは中にあったという矢羽の置き方。矢は入れ具に入れて持ち歩くのですが、入れ具には靫と胡禄の2種類があります。靫は背負って使うもので矢羽は入れ具の底、つまり矢先が入れ具から突き出ています。
一方、胡禄は腰から下げて使うもので矢羽(矢先の反対)が入れ具から突き出ています。穴の中では胡禄のように矢が置かれていました。
胡禄は大陸にもある武具なので騎馬民族とともに日本に渡来したのでは、という考えもあるようです。埋葬されているのも渡来した騎馬民族?
穴の大きさは大小さまざまです。大きさは中に収まる人数に関係しますので大きいほど所帯を持っていたのかもしれません。
wata
ボランティアさんによると「かんぶり穴」の由来はハッキリしていないものの、雷神の別称である「雷震(かんぶる)」ではないかとおっしゃっていました。説はいくつかあるそうです。
装飾古墳
本史跡の特徴に装飾が見られるの横穴があります。ぜんぶで3基です。この3基のみ中に人が入れないように入り口を封じています。なにかの行事でもなければ入ることは不可能でしょう。
具体的にどういった装飾かは正確にわかっていませんが、赤いものもあるようで。。ひたちなか市の虎塚古墳と似ているんですよね。じつは壁にある三角形の模様も似ています。2つはなにか関係があるのでしょうか。興味深いことですよね〜
雷神と横穴の関係
ここまでずらずらと書いていてなんですが、雷神の住処である横穴と十王の横穴の直接的な関係はありません。
ただ、この地域には「川尻のお雉さま」という風土記の逸文とほぼ同じ内容の民話が伝わっており、その中で伊福部岳が現在横穴のある場所とされているようです。
さらに雉の恩に報いるため、雉をとったり、食べたりすることはタブーとなっています。そのため雉の聖地としてかなり繁殖したのだとか。。
雉は雉子明神として祀られ、後に白山権現になり現在では同町の館山神社の境内社としてあるというお話が。。
常陸国風土記逸文と関係するとされる「お雉さま」の説話が伝わる
白山神社。4枚目。
現在は日立市、館山神社に合祀。
御祭神︰伊邪那美命「多賀郡河尻村に雉子明神の社あり。社の北三町許に伊吹山と云あり。この村の人悉く雉子を畏れて、食ふ事などせず、風土記の故事によれる事なるを知るべし」 pic.twitter.com/xFwcJEr2FL
— はにわ(にょろ子🐍🎀) (@seimei421haniwa) August 25, 2019
水戸藩の開基帳によると白山権現は文明4年(1472年)に常陸三十三観音霊場の十六番・宝幢寺の境内に勧請されました。経緯はわかりませんが、寺が廃寺になったことで館山神社に移されたのでしょう。
ところで、館山神社は横穴と同じ川尻町にあるのですが、川尻町の白山神社については以前にも調べたことがあるんです。館山神社の道路を挟んで反対側にある蚕養神社のときです。
白山神社のご祭神は現在イザナミとなっていますが、白山神社の総本営・白山比咩神社では菊理媛神をご祭神としています。この女神の両親はイザナギとイザナミ。菊理媛神は日本書紀の1シーンにしか登場しないのですが、その1シーンで両親のケンカを仲裁しているんです。なにか言葉を発したようですが、書かれていないのでわかりません。
話を整理すると次のようなことです。
- 雉子明神、白山権現、白山神社のご祭神はいずれも「お雉さま」と呼ばれている
- 白山信仰のご祭神を菊理媛神とすると、お雉さま=菊理媛神
- 菊理媛神は日本書紀で言葉を発せずに両親の争いの仲裁をする。「川尻のお雉さま」もほぼ同じ役割
館山神社内の白山神社のご祭神はいつからイザナミなのでしょうか。蚕養神社のように水戸藩の寺社改革の影響を恐れて祭神を変更していないでしょうか。イザナミの前に菊理媛神だった可能性は?
そしてお雉さまが菊理媛神だとすると、対立する雷神と兄は両親、もしくは血縁だったりするのでしょうか。民話では雉の性別を雌としていますから色々と筋が通ります。
民話は一族間の争いをモチーフにしている?民話は事実ではありませんが、真実を伝えている可能性はありますね。
そしてわたしの予想ではお雉さまは養蚕と関係があるのではないかと。。川尻町の謎、いつか解いてみたいですね!
なぜ『雉』なのか
色々考察してみましたが、どうして雉が物語に登場するのかわたしにはよくわかりませんでした。
でも、次の説は説得力があって面白いです。
陰陽五行説によると、雉(十二支の酉)と刀とはともに金気で、雷は木気となっています。金克木(金気は木気に勝つ)という原理があって、雉と刀(ともに金気)は雷神(木気)に勝つのです。この説話はその原理を基に語られたのではないでしょうか。
いばらきのむかし話/編:藤田稔
『伊福部岳の雷神』は実際の出来事を陰陽五行説で置き換えた可能性があります。
五行説は大陸から日本に6世紀頃に渡ってきたとされる思想です。常陸国風土記よりもさらに前の時代なので逸文に登場してもおかしくありませんが。。それにしても古い。また、一体誰がそんな物語を創作したのでしょうか。謎は深まるばかりです。
アクセス
名称 | 十王前横穴(かんぶり穴) |
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住所 | 茨城県日立市川尻町3-52 |
駐車場 | なし ※川のほとりに駐車可 |
まとめ
この記事のまとめ
- 日立市の十王前横穴墓群は「かんぶり穴」と呼ばれている
- 穴には騎馬民族独特の痕跡がある
- 雷神の住処が「かんぶり穴」とする説は風土記とは異なる地元の民話から
文献
いばらきのむかし話/編:藤田稔
まぼろしの霊場を巡ってみませんか 通称水戸三十三観音ガイド 常陸三十三観音霊場札所/著:寺田弘道
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。