【常陸三十三観音霊場】飛田周山ゆかりの長福寺|北茨城市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 寺と飛田周山の関係
  • 常陸三十三観音霊場について
  • 御朱印のいただき方

岡倉天心は北茨城市の景観とおいしい魚が気に入って移り住んだといわれますが、そのきっかけとなった人物がいるんですよね。

北茨城市出身で偶然(?)にも天心のもとで芸術を学んでいた人物。。地元の方はご存知でしょう。飛田周山とびた しゅうざんです。磯原駅隣の公園にも名前が残っていました。

この記事では北茨城市の長福寺とゆかりの飛田周山をご紹介します。長福寺は常陸三十三観音霊場(代番)に数えられ、市内では比較的参拝しやすい寺院です。ぜひ足を運んでみてください♪

長福寺とは

長福寺

長福寺

長福寺は北茨城市の磯原にある真言宗豊山派の寺院です。北茨城ICから車で約5分、JR磯原駅からでも10分かかりません。寺院の南側に広大な駐車場がありました。

長福寺は文安元年(1444年)に浄円によって創建されました。当初はこの付近をおさめていた竜子城主・大塚掃部助の菩提寺としての役割を果たしてきたそうです。

環境に恵まれていたこともあって大寺院として発展しましたが、天文年間(1532〜1555年)には衰退してしまい、天文16年(1547年)に海隆和尚によって中興されました。

戦国時代の真っ最中ですから、領主の動きなどと連動していたかもしれませんね。一時は13石もの寺領地を持っていたとか。領主や有力者の菩提寺だったことが影響しているのでしょう。

ご本尊は木造の延命地蔵尊です。『茨城の寺』によるとご本尊は秘仏で33年に一度の御開帳。ふだんは「お前立ち」と呼ばれる代わりの仏像にお参りします。

長福寺の仏像の写真は撮影していないのですが、常陸三十三観音霊場のサイトにすべての写真がありますので以下からご覧ください。


参考
大塚長福寺常陸三十三観音霊場

アクセス

名称 大塚山 清浄院 長福寺(真言宗豊山派)
住所 茨城県北茨城市磯原町大塚135
駐車場 あり

冠木門

冠木門

冠木門

本堂は少し登ったところにありまして、その前に冠木門かぶきもんがあります。珍しい門ですよね。つい最近まで鳥居?って思ってました。

冠木門の冠木は「笠木」ともいい、横に渡した木のことを言うそうです。名前の通りもとは木製が主流だったのでしょう。

お城や武家屋敷にも使われるそうです。稲敷市の高田神社には似た形の鳥居がありまして、宮司に尋ねたらかつて周辺に武家屋敷が多かったことに関係しているとか。こちらの冠木門は武将の菩提寺だったことに関係しているのかもしれませんね。

奥にちらっと見えるのは明治時代の芸術家・飛田周山の顕彰碑です。周山はこの地が出身で小学生の頃は長福寺を仮校舎として勉強していたのだとか。

美術家もさることながら、個人的には岡倉天心を五浦に招いたことが最大の功績かと思います。天心ははじめ福島の海岸を美術院の移転先と考えていましたが、西洋風であったことが気に入らず周山の案内を頼み南下し五浦までやってきたのです。

周山なしではいまの北茨城市はなかったと思います。なお、当時周山は26歳でした。大先生の案内はかなり緊張したと思います。。

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周山は戦中に実家(大塚)に疎開していましたが、病を患い亡くなりました。長福寺にはお墓があるのかもしれませんね。


参考
飛田周山東京文化財研究所

本堂

本堂

本堂

建物の戸はふだん閉まっているので外からお参りしたのですが、御朱印をいただこうと庫裏に行くと「中でお参りされますか」と案内してくださいました。ありがたいことです。

本堂の中央にはご本尊の延命地蔵尊が安置されておりました。金色のお姿で神々しい限り。改めましてのお参り。

その左右奥の方に県指定の文化財である木造の増長天立像および持国天立像がありました。平安時代末期の作といわれる非常に古い仏像でちょっと懐かしの玩具感が。。

いや、失礼。木造の優しい雰囲気とちょっと荒っぽい造りがなんとも言えない愛らしさなのです。

二体の仏像は長福寺の西2キロほどにあった西明寺のものでしたが、廃寺となって移されたそうです。

MEMO

本堂は元文年間(1736-1741年)に火災によって消失したものを延享3年(1746年)に再建したものといわれます。

観音堂

観音堂

観音堂

本堂の右手、庫裏の玄関の奥の方に少し変わった観音堂があって本堂の持国天と増長天と同じく西明寺から移された千手観音が安置されています。

堂に収まっていない千手観音

堂に収まっていない千手観音

観音堂はもともと別の像があったのかもしれません。千手観音のサイズと合っておらず、観音さまの頭の部分が天井の方にあって少し離れた距離だと見れませんでした。

大変独特な表情をしていて、全体的に角ばっています。前述の西明寺の仏像と特徴が似ておりますので、たしかに同じ寺から移されたのでしょう。

長福寺が常陸三十三観音霊場の代番に数えられているのは霊場だった西明寺から観音像を受け継いでいるためですね。

御朱印

長福寺の御朱印

長福寺の御朱印

長福寺の御朱印です。ご本尊と観音様の2種類があります。本堂右手の庫裏からお声掛けください。

待ち時間に本堂へご案内いただき感謝です。後述する霊場ガイドも御朱印とあわせていただきました。

常陸三十三観音霊場ガイド

常陸三十三観音霊場ガイド

常陸三十三観音霊場ガイド

庫裏で御朱印をいただく際に目にしたのがこちら。平成26年に発行された常陸三十三観音霊場(通称水戸三十三観音霊場)のガイドマップです。

Webサイトでも同様の内容がありますが、一冊にまとまっている方がよいという方にはオススメです!価格は600円でした。

まとめ

この記事のまとめ

  • 飛田周山は大塚出身。亡くなったのも同地だった
  • 常陸三十三観音霊場は水戸藩を中心とした霊場。お参りすれば御朱印をいただける
  • 御朱印は本尊と観音像の2種類

参考文献

茨城の寺(四)/今瀬文也