【観音霊場】飛田周山ゆかりの長福寺|北茨城市【地蔵霊場】

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

岡倉天心は北茨城市の景観とおいしい魚が気に入って移り住んだといわれますが、そのきっかけとなった人物がいるんですよね。

北茨城市出身で偶然(?)にも天心のもとで芸術を学んでいた人物、飛田周山とびた しゅうざんです。磯原駅隣の公園にも名前が残っていました。

この記事では北茨城市の長福寺(真言宗豊山派)とゆかりの飛田周山をご紹介します。長福寺は常陸三十三観音霊場(代番)に数えられ、市内では比較的参拝しやすい寺院です。ぜひ足を運んでみてください♪

この記事でわかること

  • お寺の由緒と飛田周山の関係
  • 「常陸三十三観音霊場」について
  • 「地蔵尊霊場」について
  • 御朱印のいただき方
長福寺
長福寺

由緒

以下の由緒は主に『茨城県の地名』を参考にしています。

文安元年/1444年
創建

釈迦天神を本尊として浄円によって創建。

天文年間/1532〜1555年
衰退

環境に恵まれ大寺院に発展するが、天文年間に衰退。

天文16年/1547年
中興

海隆和尚によって中興、竜子城主・大塚掃部助の菩提寺となった。

元文年間/1736−1741年
火災に遭う

宝暦年間/1751-1764年
堂宇再建
昭和9年/1934年
門柱建立

昭和53年/1978年
鐘楼堂建立および梵鐘鋳造
平成13年/2001年
仏足石造営

寛延2年/1749年
本堂改築

*『ふる里茨城路 百八地蔵尊霊場めぐり』による

ご本尊は木造の延命地蔵尊です。『茨城の寺』によるとご本尊は秘仏で33年に一度の御開帳。ふだんは「お前立ち」と呼ばれる代わりの仏像にお参りします。(おそらくわたしも拝見したことがある)

伝承によれば平安末期の定朝の作です。それを寛延3年(1750年)に16世玄如が塗替えをしたといいます。実物を見たところ200年以上前の塗りとは思えなかったので、近年しっかりと補修をしたようです。

真言宗豊山派のお寺ですから、大日如来以外をご本尊とするのは比較的珍しいといえます。なにか特別な理由があってのことだと思いますので、できればそれが伝わっているとよかったですね。

また、常陸三十三観音霊場としてのご本尊である千手観音像があります。観音さまは本堂ではなく、少し離れた観音堂に安置されており、常時その御姿を拝観できるようになっています。

江戸時代の火災で記録が焼失したせいか、中世についてはよく分かっていません。しかし寛文3年(1663年)の水戸藩の『開基帳』によれば、門徒9ヶ寺、除地13石を有したとあるので有力寺院であったことはたしかです。

文化財一覧

昭和33年(1958年) 木造増長天立像(県指定)
昭和37年(1962年) 木造持国天立像(県指定)

アクセス

長福寺は北茨城市の磯原にある真言宗豊山派の寺院です。北茨城ICから車で約5分、JR磯原駅からでも10分かかりません。寺院の南側に広大な駐車場がありました。

名称大塚山 清浄院 長福寺(真言宗豊山派)
住所茨城県北茨城市磯原町大塚135
駐車場あり
Webサイト常陸三十三観音霊場

冠木門

冠木門
冠木門

駐車場に車を停めて、まず目にするのはこちらの冠木門かぶきもん。珍しい門ですよね。つい最近まで鳥居?って思ってました。冠木は「笠木」ともいい、横に渡した木を指すそう。名前の通りもとは木製だったのでしょう。

また、城や武家屋敷にも使われるそうです。稲敷市の高田神社には似た形の鳥居がありまして、宮司に尋ねたらかつて周辺に武家屋敷が多かったことに関係するとか。こちらの冠木門は武将の菩提寺だったせいかもしれませんね。

飛田周山の顕彰碑
飛田周山の顕彰碑

奥にちらっと見えるのは明治時代の芸術家・飛田周山の顕彰碑です。この地出身の周山は小学生の頃は長福寺を仮校舎(明徳小学校)として勉強していたのだとか。

美術家としてもさることながら、岡倉天心を五浦に招いたことも功績かと思います。天心ははじめ美術院の移転先を福島の海岸と考えていましたが、西洋風であったことが気に入らず周山の案内で五浦までやってきたのです。

周山なしではいまの北茨城市はなかったと思います。なお、当時周山は26歳でした。大先生の案内はかなり緊張したと思います。

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周山は戦中に実家(大塚)に疎開していましたが、病を患い亡くなりました。長福寺にはお墓があるのかもしれませんね。

本堂

本堂
本堂

建物の戸はふだん閉まっているので外からお参りしたのですが、御朱印をいただこうと庫裏に行くと「中でお参りされますか」と案内してくださいました。ありがたいことです。

本堂の中央にはご本尊の延命地蔵尊が安置されておりました。金色のお姿で神々しい限り。改めましてのお参り。

その左右奥の方に県指定の文化財である木造の増長天立像および持国天立像がありました。平安時代末期の作といわれる非常に古い仏像でちょっと懐かしの玩具感が。

いや、失礼。木造の優しい雰囲気とちょっと荒っぽい造りがなんとも言えない愛らしさなのです。二体の仏像は長福寺の西2キロほどにあった西明寺のものでしたが、廃寺となって移されたそうです。

本堂は元文年間(1736-1741年)に火災によって消失したものを延享3年(1746年)に再建したものといわれます。

観音堂

観音堂
観音堂

本堂の右手、庫裏の玄関の奥の方に少し変わった観音堂があって本堂の持国天と増長天と同じく西明寺から移された千手観音が安置されています。

この辺りは観音信仰は漁師の間で盛んだったようで、漁の前にお参りする習慣があったとか。その関係か古い観音像は海の方を向いているそうです。こちらの観音さまも以前は東向きでした。

観音堂内部
観音堂内部

観音堂はもとは別の像のためだったかもしれません。千手観音のサイズと合っておらず、観音さまが厨子からはみ出ています。頭の部分が見えませんよね。護摩壇があるので不動堂かな?

千手観音(常陸三十三観音)
千手観音(常陸三十三観音)

千手観音は全体的に角ばっていて独特な表情です。前述の西明寺の仏像と似ていますね。ということは、こちらも平安時代の作の可能性が高いということでしょうか。

ちなみに非常に古い仏像であることは間違いなく、文化財指定の可能性もあったそうですが、像の一部が焼けてしまっているため指定から漏れてしまっているそうです。

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千手観音は法相宗の僧侶・徳一によって彫られたという伝承もあるのです!

御朱印

長福寺の御朱印
長福寺の御朱印

長福寺の御朱印です。ご本尊と観音様(常陸三十三観音)の2種類があります。本堂右手の庫裏からお声掛けください。

延命地蔵尊には「百八地蔵尊霊場めぐり」とありますので、霊場のご本尊ということになります。ただ、霊場のガイドブックにあるのは屋外にある石像の方なので、両方お参りしてからいただくのがよいでしょう。

待ち時間に本堂へご案内いただき感謝です。後述する霊場ガイドも御朱印とあわせていただきました。

常陸三十三観音霊場ガイド

常陸三十三観音霊場ガイド
常陸三十三観音霊場ガイド

庫裏で御朱印をいただく際に目にしたのがこちら。平成26年に発行された常陸三十三観音霊場(通称水戸三十三観音霊場)のガイドマップです。

Webサイトでも同様の内容がありますが、一冊にまとまっている方がよいという方にはオススメです!価格は600円でした。

フォトギャラリー

まとめ

・飛田周山は大塚出身。亡くなったのも同地だった

・常陸三十三観音霊場は水戸藩を中心とした霊場。お参りすれば御朱印をいただける

・御朱印は本尊と観音像の2種類

参考文献

茨城の寺(四)|今瀬文也
ふる里茨城路 百八地蔵尊霊場めぐり|編:佛教文化通信編集部