花園神社と山王大権現の伝説|北茨城市

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ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

11月は紅葉シーズン!茨城の県北にいらしたら花園はなぞの神社へ参拝されてはいかがでしょう。花園渓谷とセットでお楽しみください♪

神社の周囲は広大な自然。荘厳な境内は北茨城市の歴史そのもので、土地の神を感じることができました。お祀りしている山王大権現はとても不思議な伝説を持っています。知ってからだとより楽しめますよ。

今回、ご紹介する写真は昨年12月のものなので紅葉は終わっています。紅葉の見頃は11月中旬から下旬にかけて。足を運ぶならその時期が特にオススメです♪

この記事でわかること

  • お寺の由緒とご利益
  • 参拝におすすめの季節
  • 御朱印のいただき方(3種類)
花園神社
花園神社

由緒

以下の由緒は主に公式サイトを参考にしています。

延暦14年/795年
創建

4月18日、征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州下向の折に霊夢によって創建したと伝えられる。
*慈覚大師の創建とも伝えられる。

大同2年/807年
勅額下賜および満願寺を創建

4月花園山と号づけ、平城天皇より勅額が掲げられ満願寺を創建。

貞観2年/860年
再興

慈覚大師(円仁)、当山で修行し満願寺を再興。以来天台宗満願寺の社僧により奉仕され、武州東叡山の末寺となった。

永承6年/1051年
奉納

源頼義・義家(八幡太郎)親子、安部貞任・宗任を追討のため奥州に下向の際、参拝し誓願書を納める。

慶長7年/1602年
朱印地を賜る

徳川幕府より、朱印地50石を賜る

承応2年/1653年
分霊

奥州棚倉城主内藤摂津守が当社の御分霊を城外に祀り花園大権現を建立信仰した。

明治元年/1868年
神仏分離

政府の神仏分離令により満願寺を廃止。境内の本地堂、釈迦堂、護摩堂、愛染堂、大黒堂、鐘堂、庫裏を除却。

明治6年/1873年
村社列格

*『茨城県神社誌』による

明治9年/1876年
神庫焼失

社記等の一切を失う

明治40年/1907年
供進指定

*『茨城県神社誌』による

昭和27年/1952年
宗教法人設立

*『茨城県神社誌』による

天正9年/1581年
3月、社殿炎上

*『茨城県神社誌』による

天正11年/1583年
社殿再建

*『茨城県神社誌』による

文禄2年/1593年
愛染堂寄進

領主車兵部大輔義方、愛染堂を寄進。

寛文13年/1673年
石像仁王像(吽)寄進
延宝4年/1676年
愛染堂再建

*『茨城県神社誌』による
*享保21年、宝暦10年、寛文8年にも再建または葺き替えあり

元禄3年/1690年
本尊焼失

慈覚大師作の木造焼失。
*『茨城県神社誌』による

宝暦12年/1762年
石像仁王像(阿)寄進および社殿造営

*仁王像は境内立て札、社殿造営は『茨城県神社誌』による

寛政4年/1792年
楼門建立

*『茨城県神社誌』による

天保3年/1832年
本殿再建

*境内立て札および『茨城県神社誌』による

嘉永4年/1852年
拝殿再建

*境内立て札および『茨城県神社誌』による

明治12年/1879年
本殿屋根葺き替え

*『茨城県神社誌』による

平成19年/2007年
拝殿修繕および社務所・参集殿の新築

*境内石碑より

ご祭神は次のとおりです。

  • 大山咋おおやまくい大神(山王大権現さんのうだいごんげん
  • 大山祇おおやまづみ大神
  • 大物主おおものぬし大神

花園神社の尊称は山王大権現でした。これは天台宗大本営の延暦寺の鎮守社である日吉大社と同じ。そのことからも当社がいかに天台宗と密接な関係であるか伝わります。

慈覚大師(円仁)は遣唐使として密教を学び、天台宗の密教(台密)の成立に貢献した偉人です。満願寺の中興と結び付けられていることは、満願寺が極めて密教色の強い寺院であったことを意味するのでしょう。

当社は神仏習合が色濃いといわれますが、それは修験道が非常に盛んだったという意味です。花園山は常陸五山ひたちごさんのひとつに数えられ、五山の最北端にして最難関として山伏たちが厳しい修行をしたのです。

当社の周辺には名所とされるいくつもの滝があり、修行の跡地と思わせる地名も残っています。一般的な神社と明らかに違う点がありますから、それらを見つけながら参拝するのも楽しみ方のひとつかと思います。

文化財一覧

昭和11年(1936年) 花園山シャクナゲ群落(県指定)
昭和35年(1960年) 三本杉、高野槙(県指定天然記念物)

11月に開催される神社のライトアップイベントは、市内の磯原駅から無料バスが出ます。詳しくは北茨城市観光協会にて(電話番号:0293-43-1111(内線)363)

アクセス

花園神社は北茨城市の山中。神社に続く道路は少々細くて急なカーブが続きます。もちろん人里離れた場所。北茨城ICからだと車で25分ほどです。

市営駐車場の看板
市営駐車場の看板

神社最寄りの駐車場は、市営駐車場の先です。看板の先を直進すると右手に神社が見えますので、さらに進んでください。すると右手に見えてきます。ライトアップを見に行く方はぜひそちらに。夜、市営駐車場から神社へ続く道は暗すぎて怖い。。

北茨城市は県の最北。遠い印象かもしれませんが、町の中心に高速道路のICと国道6号があるのでアクセスがいいですよ!

名称花園神社
住所茨城県北茨城市華川町花園567
駐車場無料駐車場60台あり
【車】常磐自動車道 北茨城ICより車で約25分
【電車】JR常磐線「磯原駅」よりタクシー約30分
Webサイト公式サイト
SNS公式Twitter

境内入口

神社の前の花園川
神社の前の花園川

花園神社の手前には花園川。神社からもう少し登ったところが清流の水源のようです。さらさらと心地よい水の音を聞きながら橋を渡って境内へ。

参道の神橋
参道の神橋

まさに荘厳。巨大な木々に囲まれているので、常にやや暗め。近くに川もあるので緑色の苔もびっしり。悠久の時を感じさせます。

楼門

楼門
楼門

花園神社といえばこの楼門!大きいことと可愛らしい顔つきの仁王像が特徴です♪

楼門は二階建ての門です。一階部に仁王像があれば基本的には仁王門というのですが、神社にあるので仏式の呼び方は避けているのかもしれませんね。ちなみに仁王像でなく神像があれば随神門と呼びます。

いまの楼門は寛政4年(1792年)に建て替えたもの。明治初期までは平城へいぜい天皇の勅額が掲げられていました。延暦21年(802年)からとのことなので1,000年以上!?見たかったですね…

ゆるキャラみたいなビジュアルの仁王像。さすがに木造と同じようにはいかないようです。それにしてもこれを造るのは大変だったでしょうね。二体の像の完成に90年近く開きがあるのも理解できる気がします。

楼門の扁額
楼門の扁額

勅額には山王大権現。山王は大山咋大神の別名です。日吉神社や日枝神社のご祭神として知られており、山王のお使いはとされます。理由を日枝神社から引用します。

日枝神社の社殿には、ほかの神社と大きく違う特徴があります。それは、境内に狛犬ではなく「猿」が置かれているところです。 猿は、もともと神様と人間のあいだをとりもつ存在として、昔から敬われる存在でした。大山咋神が山の神ということもあり、同じく山の守り神とも呼ばれる猿が使いとして重宝されていたようです。「さる」という音から勝る(まさる)」「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、勝運の神や魔除けの神として置かれています。音読みの「えん」という音から、猿が「縁(えん)」を運んできてくれると考え、商売繁盛や縁結びの祈願を受けに来る方も多くいます。

日枝神社と猿の関係/日枝神社

他にも「神」の字には十二支の「さる」が含まれるから、「猿」も神に通じる大切な動物といった考え方があります。

『大権現』は神や仏を区別しない信仰の対象として使われた神仏習合時代の呼び方です。また、権現には仏の仮の姿という意味があって、もとの姿を本地(あるいは本地仏)と呼びます。

拝殿

拝殿
拝殿

楼門をくぐって階段をのぼって見える拝殿がこちら。嘉永4年(1851年)に再建、神楽殿と並んで真っ赤です。入母屋造に唐破風がついて豪勢。驚くほど状態が良く、彫刻などもしっかりと残っています。

唐破風に鳳凰、その下に孔雀、水引虹梁には龍の彫刻が置かれています。色味が残っているのが素晴らしいですね。海老虹梁の龍や手挟の牡丹も半端じゃありません。

屋根の猿
屋根の猿

わかりにくいのですが、社殿の屋根に猿の面(金色!)があります。正面の他に左右(東西)にもあって、「魔が去る」(魔除け)の意味があると思われます。

本殿

本殿
本殿

拝殿の裏に階段があって本殿に進むとご祭神を祀る本殿です。拝殿よりも少し古く天保3年(1832年)に再建されました。屋根の正面にはやはり猿の面が置かれています。

本殿の海老虹梁(龍)
本殿の海老虹梁(龍)

本殿の彫物も拝殿に負けず劣らず。手挟はありませんが、海老虹梁が向拝柱を突き抜けるような面白い工夫がされています。降り懸魚としてあるのは牡丹と思われます。牡丹はこの他にもあちこちに散らされています。

水引虹梁の三猿
水引虹梁の三猿

本殿の水引虹梁には日光東照宮で知られる三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)。そちらよりも動きがあるように彫られています。真ん中はたぶん耳を抑えているのでしょうが、片手だったら聞こえるんじゃないかな…

本殿の縁側には二体の猿。貴族のように烏帽子を被り、明らかに動物とは違って見えます。当社は猿を神の使いとしていますから、こうした一面もあると捉えていたのでしょうか。

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県内に日枝神社(旧山王権現)は数多くあるものの、ここまで猿を重宝している神社は他にないと思います。申年に生まれた方は気分良くなれたりして。ぜひ足を運んでみてください!

東照宮(境内社)

以前に参拝したときには気が付かなかったこちらの社殿は東照宮とうしょうぐうです。社号からご祭神は徳川家康だと分かります。日光のような細かな彫刻はないものの鮮やかな朱の社殿と黒い扁額がかっこいい。

お参りしていて気がついたのですが、社殿の内部には黒い御幣が奉じられていました。ふつうは白なのでわざわざ黒にした理由が気になりますよね。

持論となりますが、御幣が黒なのは五行説の水気を意味するのではないでしょうか。水気の働きは死者の供養になるとされています。(理屈は省略)

それが墓石に水をかけたり北方に埋葬することに通じています。日光東照宮が江戸の北方に建てられたのも無関係とは思えません。おそらく家康が信頼していた天台僧・天海の山王神道に由来するのでしょう。

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東照宮は本殿の向かって右側です。足元が悪いので注意してご参拝ください

こぶ杉

こぶ杉
こぶ杉

楼門のそばにある「こぶ杉」。なぜこぶ杉なのか一目瞭然ですね。立て札で次のように説明されていました。

大物主大神の御神徳により『もの』を産む信仰のある古杉。
子を授かった母の腹部の様に育ち撫でて子宝・安産・夫婦円満・開運・心願成就のご利益があると親しまれています。

見逃しやすい場所にあるので、気になる方はぜひ楼門付近で案内の立て札を探してみてください!

御朱印

花園神社と東照宮の御朱印
花園神社と東照宮の御朱印

花園神社の御朱印は本社、東照宮(境内社)、奥の院の3種類です。奥の院は徒歩で片道1時間ほどの離れた場所にありますので、しっかり準備してからお参りするようにしてください。

通常御朱印は季節ごとに若干のアレンジがされます。季節限定お守りを頒布することもあるので社務所は忘れずにチェックです!

wata

2021年5月から県北のドラゴンボールこと『神玉』の頒布がはじまりました!

花園神社と猿

本殿の猿の木造
本殿の猿の木造

花園神社は山王大権現を祀っていますので、猿との関係が非常に深いです。神社の由緒には次のようにあります。

前九年の役(1051年)源頼義・義家(八幡太郎)が宣旨を受けて安部貞任・宗任を追討のため奥州の下向の際、参拝し誓願書を納めた。後三年の役(1083年)清原武衡・家衡を討伐に赴く折、お使い神の猿が憧幡一旒を義家に授け、これを山王幡と名付け勝利を得て上洛の時にこの山王幡と源氏の白旗と二旒神社に納め山中の社殿を始め末社に至るまでを建立せられた。

花園神社の由緒

憧幡どうばんは仏具。一旒はそれがひとつという意味。山王さまが猿を通じて義家に勝利をもたらせた、ということです。

また、中村ときさんの鹿島灘風土記にはこんなことも。

治承の頃(1180年〜)源頼朝に追われて、西金砂山から逃げてきた佐竹秀義が、この渓谷に身をひそめて、猿に食料をもらいながら、再挙を計ったといった伝説を盛り込んだ秘境である。

花園渓谷と花園神社|鹿島灘風土記

かつて名だたる武将が戦勝を祈願し、猿に命を助けてもらった伝説があります。猿は境内のあちこちにおりますので、チェックしてみましょう♪

そういえば、花園神社の近くの浄蓮寺にも猿の伝説が…興味深いことです。

花園のささら

花園神社の例祭といえば、花園ささらは欠かせません。毎年5月5日の例大祭に奉納される芸能で次のように説明されています。

華川町にある花園神社の例祭で、笛・太鼓とともに演じられる獅子舞です。 8歳から13歳位までの男児が演じる、角2本の親獅子・寄獅子、角1本の牝獅子からなり、優雅にして野趣に富み古い型を良く伝えています。

その縁起は古く、前九年(1051年)・後三年(1083年)の役のおり、源頼義・義家父子が戦勝祈願のため奉納したのが始まりとされている。現在使われている獅子頭は、江戸時代末期の作と伝えられています。

5月5日 花園神社の例大祭に五穀豊穣・子孫繁栄を祈願し奉納されます。氏子にて毎年3人の回り世話人を置き、世話人が責任をもって演技の指導・練習をなし、5月5日当日行われる神輿渡御の折、供奉演舞する獅子舞です。

北茨城市(公式)

これを舞う者にはいくつもの条件があること、それに黒を貴重とした獅子頭をかぶり雨乞いに通じるというのもじつに興味深いです。

例大祭はゴールデンウィークの期間中ですから、比較的参拝しやすいと思います。時間等の詳細は市のサイトで公開されていますよ。

ちなみに花園ささらは2022年に話題になった『県北高校フシギ部の事件ノート』の第2話で取り上げられています。あわせてお楽しみください!

フォトギャラリー

まとめ

・古くは満願寺が別当を担う神仏習合の神社。山王大権現と呼ばれた

・猿を神使としており、八幡太郎や佐竹秀義を助けたという伝説がある

・御朱印は花園神社、東照宮(境内社)、奥の院の3種類。授与所でいただける

参考文献

茨城県神社誌|茨城県神社庁
鹿島灘風土記|著:中村ときを