花園神社と山王大権現の伝説|北茨城市

記事内に広告を含みます

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

11月は紅葉シーズン!茨城の県北にいらしたら花園神社で参拝されてはいかがでしょう。花園渓谷とセットでお楽しみください♪

神社の周囲は広大な自然。荘厳な境内は北茨城市の歴史そのもので、土地の神を感じることができました。お祀りしている山王大権現はとても不思議な伝説を持っています。知ってから足を運ぶとより楽しめますよ。

今回、ご紹介する写真は昨年12月のものなので紅葉は終わっています。紅葉の見頃は11月中旬から下旬にかけて。足を運ぶならその時期が特にオススメです♪

花園神社とは

社号標と鳥居

社号標と鳥居

花園神社は北茨城市の山中。神社に続く道路は少々細くて急なカーブが続きます。もちろん人里離れた場所。北茨城ICからだと車で25分ほどです。

神社のはじまりは延暦14年(795年)。坂上田村麻呂が奥州へ向かう途中に不思議な夢を見たことで創建したと云われています。坂上田村麻呂は初代征夷大将軍。「蝦夷を従わせる」の文字通り、東北地方で朝廷に従わない者たちのもとへ向かっていたのでしょう。古くは花園山 金剛生院 満願寺が別当でした。そのため、いまも境内には神仏習合の名残が多数残されています。

北茨城市観光協会には「慈覚大師の開基とも伝えられる」とありますが、神社が配布する由緒にはありません。

ご祭神は次の通り

花園神社のご祭神
  1. 大山咋おおやまくい大神(山王大権現)
  2. 大山祇おおやまづみ大神
  3. 大物主おおものぬし大神

山王大権現。。花園神社の不思議な伝説と関係ありますので、後ほどご紹介します。

市営駐車場の看板

市営駐車場の看板

神社最寄りの駐車場は、市営駐車場の先です。看板の先を直進すると右手に神社が見えますので、さらに進んでください。すると右手に見えてきます。ライトアップを見に行く方はぜひそちらに。夜、市営駐車場から神社へ続く道は暗すぎて怖い。。

wata

北茨城市は県の最北。遠い印象かもしれませんが、町の中心に高速道路のICと国道6号があるのでアクセスがいいですよ!
MEMO

11月に開催される神社のライトアップイベントは、市内の磯原駅から無料バスが出ます。詳しくは北茨城市観光協会にて(電話番号:0293-43-1111(内線)363)

アクセス

名称 花園神社
住所 茨城県北茨城市華川町花園567
駐車場 無料駐車場60台あり
交通機関 【車】常磐自動車道 北茨城ICより車で約25分
【電車】JR常磐線「磯原駅」よりタクシー約30分
電話番号 0293-43-9212(北茨城市観光協会)
Webサイト 北茨城市観光協会
公式Twitter

境内

神社の前の花園川

神社の前の花園川

花園神社の手前には花園川。神社からもう少し登ったところが清流の水源のようです。さらさらと心地よい水の音を聞きながら橋を渡って境内へ。

楼門と手水舎

楼門と手水舎

まさに荘厳。巨大な木々に囲まれているので、常にやや暗め。近くに川もあるので緑色の苔もびっしり。悠久の時を感じさせます。

楼門

楼門

楼門

花園神社といえばこの楼門!大きいことと可愛らしい顔つきの仁王像が特徴です♪

いまの楼門は寛政4年(1792年)に建て替えたもの。明治初期までは平城へいぜい天皇の勅額が掲げられていました。延暦21年(802年)からとのことなので1,000年以上!?見たかった。。

勅額には山王大権現。山王は大山咋大神の別名。日吉神社や日枝神社のご祭神として知られています。山王さまのお使いは。。理由を日枝神社から引用します。

日枝神社の社殿には、ほかの神社と大きく違う特徴があります。それは、境内に狛犬ではなく「猿」が置かれているところです。 猿は、もともと神様と人間のあいだをとりもつ存在として、昔から敬われる存在でした。大山咋神が山の神ということもあり、同じく山の守り神とも呼ばれる猿が使いとして重宝されていたようです。「さる」という音から勝る(まさる)」「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、勝運の神や魔除けの神として置かれています。音読みの「えん」という音から、猿が「縁(えん)」を運んできてくれると考え、商売繁盛や縁結びの祈願を受けに来る方も多くいます。
日枝神社と猿の関係/日枝神社

山と猿は深い関係なのですね。そして、花園神社にも。。

MEMO

『大権現』は神や仏を区別しない信仰の対象として使われました。いわゆる神仏習合時代の呼び方です。

社殿

楼門をくぐって階段をのぼると拝殿。こちらは嘉永4年(1851年)に再建。神楽殿と並んで真っ赤。

拝殿

拝殿

神楽殿

神楽殿

わかりにくいのですが、社殿の屋根に猿の面(金色!)があります。正面の他に左右(東西)にもあって、「魔が去る」(魔除け)の意味があると思われます。

拝殿の裏に階段があって本殿に進みます。

本殿

本殿

ご祭神を祀る本殿です。天保3年(1832年)に再建されました。

屋根の正面にはやはり猿の面。拝殿と違って左右は猿ではなく鬼の面があります。そして注目は屋根の下にある彫刻。

本殿の猿の彫刻

本殿の猿の彫刻

見ざる、言わざる、聞かざるですね!徳川家康を御祭神とする日光東照宮にあるものと同じ意味でしょう♪

花園神社と徳川幕府には次のような関係があります。

また徳川幕府に信仰され慶長七年(1602年)家康の社頭領五十石の御朱印を寄進されたのを始めとし代々将軍が代わる毎に同御朱印章書が寄せられた。
花園神社の由緒

山奥の神社にこんなにスゴイ歴史があるとは。。前述した坂上田村麻呂や源頼義、義家(八幡太郎)も戦勝祈願で足を運んでいるんですよね。調べるほどに興味深いお話が出てきます。。

花園神社と猿

本殿の猿の木造

本殿の猿の木造

花園神社は山王大権現を祀っていますので、猿との関係が非常に深いです。神社の由緒には次のようにあります。

前九年の役(1051年)源頼義・義家(八幡太郎)が宣旨を受けて安部貞任・宗任を追討のため奥州の下向の際、参拝し誓願書を納めた。後三年の役(1083年)清原武衡・家衡を討伐に赴く折、お使い神の猿が憧幡一旒を義家に授け、これを山王幡と名付け勝利を得て上洛の時にこの山王幡と源氏の白旗と二旒神社に納め山中の社殿を始め末社に至るまでを建立せられた。
花園神社の由緒

憧幡どうばんは仏具。一旒はそれがひとつという意味。山王さまが猿を通じて義家に勝利をもたらせた、ということです。

また、中村ときさんの鹿島灘風土記にはこんなことも。。

治承の頃(1180年〜)源頼朝に追われて、西金砂山から逃げてきた佐竹秀義が、この渓谷に身をひそめて、猿に食料をもらいながら、再挙を計ったといった伝説を盛り込んだ秘境である。
花園渓谷と花園神社/鹿島灘風土記

かつて名だたる武将が戦勝を祈願し、猿に命を助けてもらった伝説があります。猿は境内のあちこちにおりますので、チェックしてみましょう♪

そういえば、花園神社の近くの浄蓮寺にも猿の伝説が。。興味深いことです。

御神木の三本杉

御神木の三本杉

御神木の三本杉

少し脇道にそれると御神木の三本杉があります。写真に写りきっていませんが、高さ48m、太さ8.5m、そして樹齢は700年!県指定の文化財にもなっている銘木です。

子宝・安産の御神木

子宝・安産の御神木

三本杉の真ん中。まるでお母さんのお腹に赤ちゃんがいるようですね。子宝・安産の御神木と呼ばれています。夫婦円満のご利益もあるとか。これは神秘的。。

御朱印

限定御朱印

限定御朱印

花園神社の御朱印。初穂料は300円です。

参拝がライトアップ期間中でしたので、右端にもみじが。。とっても可愛らしい♪同じ時期に限定お守りもありますよ〜!

wata

5月1日から県北のドラゴンボールこと『神玉』の頒布がはじまりました。初穂料は500円です!

【2021年追加】大願成就!県北で神玉巡拝スタート|頒布地・期間・初穂料

まとめ

北茨城市の花園神社は山王大権現をお祀りしています。

社殿や由緒にたびたび猿が登場し、神社の歴史と深い関係を持っています。

戦勝祈願に足を運ばれた神社なので、勝負事に挑む前にお参りしてみてはいかがでしょう♪

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
鹿島灘風土記/著:中村ときを