【式内社】佐波波地祇神社と常陸大津の御船祭|北茨城市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 由緒と御祭神
  • 例大祭「常陸大津の御船祭」について
  • 御朱印のいただき方

2019年5月。5年に1度の常陸大津ひたちおおつ御船祭おふねまつりがついに開催!ずっと見たいと思っていました。その貴重さに加え、内容も凄まじいんです!

御船祭に船はつきもの。でも、船を海ではなく陸で走らせるんです。こんなに豪快なお祭りは県内でも稀。見れた方は本当にラッキーでした♪

御船祭は北茨城市の佐波波地祇さわわちぎ神社の御祭礼です。5月2日と3日の2日間ありまして、この記事では神社と2日の宵祭についてご紹介します。

MEMO

当記事は2023年3月に加筆しました。由緒、唐帰山、手水舎、本殿、井戸、神玉についてなど。

佐波波地祇神社とは

佐波波地祇神社

佐波波地祇神社

由緒

斉衡〜天安年間/854-858年
創建
不詳
貞観元年/859年
神階昇格
4月26日、正六位上に神階を進める ※『三代実録』
元禄年間/1688-1701年
改称
徳川光圀、参拝して神鏡一面を奉納。社号を大宮明神と大明神と改める
享保12年/1727年
社殿造営
4月18日
明治13年/1880年
郷社列格
明治40年/1907年
供進指定
昭和27年/1952年
宗教法人設立
昭和62年/1987年
手水舎建立
平成29年/2017年
文化財指定
常陸大津の御船祭が国の重要無形文化財に指定される
平成31年/2019年
唐帰山の井戸に屋根設立
令和元年/2019年
拝殿再建

ご祭神は以下です。

  1. 天日方奇日方命アメヒカタクシヒカタノミコト(主祭神)
  2. 大巳貴命オオナムチノミコト
  3. 積羽八重事代主命ツミハヤエコトシロヌシノミコト
  4. 大物主命オオモノヌシノミコト
  5. 媛蹈鞴五十鈴姫命ヒメタタライスズヒメノミコト
  6. 五十鈴依姫命イスズヨリヒメノミコト

興味深いのは、すべて大国主命と深い関係があることです。大己貴命と大物主命は大国主命と同一視されていますし、他は子どもや孫です。

神社の縁起には斉衝3年(856年)に大洗の磯前に大己貴命と少彦名命が降臨したことが書かれています。それをきっかけとして海岸沿いに信仰が広まったとか。また、『常陸多賀郡史』には、はじめは六所明神として佐波山(山口県)にあり、東堂平、現在地と移動したとあります。東堂平は長崎県の黒島でしょうか。遠すぎる。

当神社でもっとも有名なのは5年に1度の『常陸大津の御船祭』。なんと町中を神輿を載せた船が走ります!。ピンとこないと思いますので、後ほど詳しくご紹介しますね。

アクセス

名称佐波波地祇神社
住所茨城県北茨城市大津町字宮平1532
駐車場あり
Webサイト公式サイト

参道

佐波波地祇神社の参道

佐波波地祇神社の参道

船を曳くのは13〜17時です。わたしはそれに合わせて13時頃に到着しました。神社には広い駐車場があるのですが、御船祭の日は駐車場として案内されていませんでした。車は臨時駐車場の大津港へ。

あちこちになびく大漁旗を眺めながら5分ほど歩くと社号標が見えてきました。とてもカラフルな参道になっています!この石段の先が神社の鎮座する唐帰山です。山の名前は神社とあわせて表記されることがあり、まるでお寺の山号のよう。わたしの見た資料には見えませんでしたが、明治以前はお寺と一体だったのかもしれません。

古い伝説によると大和武尊が東征の際、逆風によって船を進めずにいたところ、佐波波の神を名乗る老人が船を守護し順風を吹かせたとか。江戸期の水戸藩も北陸探検の途中に遭難したところ当山の松影に導かれて接岸に成功したといわれております。

こうした話からも海上の守護神と信じられていたようです。また、唐帰山は唐蓋山から転じたといわれます。唐は唐土で中国のこと。日本から見て西に位置し、古い哲学(五行説)では西を殺気が生じる方位としていましたから、死地から帰還させる神徳があるとされていたのでしょうか。

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高台に鎮座していることもあり、震災のときの避難所にもなりました。伝説にとどまらず今なお地域の人々を守り続けている神社です。

手水舎

狛犬と鳥居と拝殿

狛犬と鳥居と拝殿

ぜぇぜぇしましたが、社殿のある境内に到着。横長のお顔がチャーミングな狛犬のお迎えしてくれました。

狛犬(阿形)

狛犬(阿形)

どうでしょう。このプリティーなお顔。吠えているはずですが、手掘りならではの味わいでホッコリします。

奥の拝殿は県内では非常に珍しい造り。この向きの千木を見ると出雲大社の大社造を思い出します。もちろん当社のご祭神に関係してのことでしょう。

手水舎

手水舎

石段を登りきってすぐ左手に見えるのが手水舎です。福栄丸の大漁祈願の旗が提げられています。これは市内の神岡稲荷神社でも目にしました。

稲荷神社のお稲荷さまは農耕神であり商売繁盛の神様ですが、本営の伏見稲荷のように山の神の神格も備えています。山の神は古くから水のはたらきを弱める(海上守護)と考えられてきたので、船乗りに信仰されるのです。

実際に山に鎮座する当社も山の神として見られてきたとしていいでしょう。前述の船乗りたちの救済伝説についてもそうした神格に由来してのことかと思います。

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手水舎の裏には聖徳太子の石碑。太子は仏教を保護したので宗派を問わずに仏教徒から尊敬されています。そのため寺院で見かけることが多い石碑ですね。

社殿

新築された拝殿

新築された拝殿

初参拝でしたのでピッカピカの拝殿に驚きました。今年(2019年)の3月に完成したばかりです。境内にも大漁旗が吊るされていて、非常に活気を感じます!

それにこの日は令和元年5月2日。新天皇陛下の御即位のお祝いもありましたので、いつもよりもさらにおめでたい雰囲気だったと思います♪

ご祭神が六柱もおりますから、ご神徳は国家鎮護・国運開発・万物生命の守護・目的達成・海上守護・家内安全・交通安全・交通安全・民業(漁業農業商業工業等)とたくさん。

ただ、大津は港町ですから、海上守護の祈願が多いと思います。

奉納された『還暦祝』や『初老祝』

拝殿の側面はこのとおり。建物にかけられている板には『還暦祝』や『初老記念』の文字。長生きしたお祝いに皆さんが集まって神社に奉納しているんです。地元の方々の想いが込められていて素敵です♪

本殿

本殿

本殿は流造で内削ぎの千木。造りからするとオオクニヌシ(オオナムチ)との関係は連想しにくいですね。内削ぎの「内」は陰陽説でいうところの陰気を示しますので、女性的でありもっといえば山に通じているのではと思います。

山といえば日本神話的には大山祗命なので男性神の印象を持っている方が多いかもしれません。しかし、民俗学の分野では女性を嫌う女神とされることが多いので当社も同様なのかもしれませんね。

向かって左の脇障子(男性)

向かって左の脇障子(男性)

向かって右の脇障子(女性)

向かって右の脇障子(女性)

本殿の脇障子には男女の姿。全体に波が見え、女性は首の長い亀に乗っています。その安定した姿からはやはり海上守護につながる信仰があったのでしょう。

境内のようす

大漁旗と境内社

大漁旗と境内社

神社は海のそばの高台にありますので気持ちいい風が吹いていました。楽しげに踊るような旗。。お祭り感がすごい!

唐帰山の井戸

唐帰山の井戸

参道の右手に見えるのは唐帰山の井戸。境内の案内によれば享保年間(1716年〜)以前に彫られたもので300年以上ずっと湧き出ているそう。人々が生きるために必要な水ですから、まさに山の恵であり神の恵み。平成31年に屋根を設け、しっかりと護られています。

境内から見る海

境内から見る海

いざ船曳き会場へ。上りはしんどかったですが、その見返りに見事な眺めを楽しめました。

常陸大津の御船祭とは

町中の神船

町中の神船

佐波波地祇神社の常陸大津の御船祭。海の安全と大漁を願って古来から続けられてきました。

魅力はなんといっても県内でも有数の豪快さ。陸に船ですからね!どうしてそうなったか祭のチラシから引用します。

神社の記録から、江戸時代中期の享保11年(1726年)には、このお祭りが行われていたと推定されています。その頃は、海上を移動するお祭りだったようです。
その後に、港や海沿いの道路が整備されていくうちに、以前は海だったところが陸地になりました。しかし、その後も、お祭りの伝統をなるべく変えないように守ってきた結果、いまのような「漁船の陸上渡御」という特徴あるお祭りのかたちになったと考えられています。
歴史や由来

海を埋め立てた後も同じ場所で祭りをしているんですね。すごい経緯。

船(神船しんせんと呼ばれる)の大きさなども引用します。

お祭りで使われる船の大きさは、全長約14メートル、幅が約3メートル、重さは約7トン。船上には、神輿、神職、御船祭を唄う水主衆かこし、笛・太鼓の囃子方を合わせた50人ほどが乗り、この船を総勢500人の曳き手が綱で曳いて移動します。

こんなに大きな船が移動する動画を撮ってみました。

はじめに船を左右にゆすって地面との接地面積を小さくします。大きくゆすったら掛け声にあわせて一気に引っ張ります。すると船と地面との摩擦が小さくなりトンもの船を人力で動かせます。。

ソロバン

ソロバン

間近で見ても信じがたい光景です。これには船の足元に敷かれるソロバンが大きな役割を果たしています。実際の船曳きに使われる道具で、この上に船があるのでさらに摩擦が小さくなるのでしょう。

曳き手

曳き手

祭は漁業者ふなかたの知恵や技術によって支えられています。船や衣装にも『編む』や『結ぶ』といった技術が使われていて、そうした細かな部分は常陸大津の御船祭保存会が伝えています。

宵祭

宵祭の町

宵祭の町

御船祭は2日間の開催。1日目は宵祭、2日目は本祭りです。船の移動ルートについては2019年の交通案内をご覧ください。

御船祭のマップ

御船祭のマップ

1日目は御船を東町から西町の御船置場まで移動(渡御)。2日目は佐波波地祇神社の神輿を西町の御船置場まで移動させて御船に乗せます。その後、御船を元の位置までふたたび運びます。

歩くと数分ですが、1日がかりになります。すべて人力ですから曳き手は大変ですね。。ちなみに宵祭は子どもたちも曳くんです。

煙立つ神船

煙立つ神船

盛大に曳いたあとは船とソロバンの摩擦で煙が立っていました。会場に焦げた匂いが広がり、「おお〜っ!」という歓声。毎回ご覧の方もやっぱり感動すると仰っていました!

笛や太鼓の音は移動中も聞こえてきますから、すごい集中力。

御船祭は2017年(平成29年)に国の重要無形文化財に指定されました。古いだけでなく、その土地の人々の知恵や技術が含まれている貴重な文化財だということですね!

漁業歴史資料館よう・そろー

漁業歴史資料館よう・そろー

かつて御船祭に使われる船は実際に漁で使用されたものでしたが、現在の船は祭り用に造られました。普段は大津港の漁業歴史資料館よう・そろーに展示されています。

船の縁起物の絵は地元のアーティストが書いています。祭り後の展示で見ることができますので、ぜひよう・そろーでご覧ください!

宵祭の神輿

拝殿の神輿

拝殿の神輿

御船祭の本祭の前日が宵祭。船に乗せる神輿は宵祭の間、ずっと社殿に安置されています。夜中は『両姓りょうせい』と呼ばれる二軒の家が警護をするのだとか。

両姓は海水で神輿を清める『潮垢離しおごりの儀』も行います。御船祭にとって非常に重要な存在なんですね。

興味深いことに両姓のご先祖は大津ではありません。一軒は紀州(和歌山県辺り)から、もう一軒は伊予あるいは出雲(島根県辺り)といわれています。

紀州は御船歌の存在が確認された希少な地域。大津の御船歌との関係が気になるところです。そしてもう一軒の『出雲』なんですが。。

佐波波地祇神社のご祭神はすべて大国主命自身かその子どもです。出雲国の一の宮『出雲大社』のご祭神は大国主命。関係性が強いように思いますが、単なる偶然でしょうか。

御朱印

佐波波地祇神社の御朱印

佐波波地祇神社の御朱印

佐波波地祇神社の御朱印です。拝殿を造園されたとのことで500円納めさせていただきました。社務所は社殿の左手にあります

御船祭の印は祭の日でなくても押されます。境内から見える海と同じブルーが爽やかです!そして御朱印に令和の文字が。。新時代も楽しく健やかにお参りしていきたいと思います♪

また、社務所では県北地域の神社で頒布される神玉もあります。叶えたい願い事がある方はぜひご覧ください♪

MEMO

2023年2月現在では、御朱印は書き置きのみです。

【2021年追加】大願成就!県北で神玉巡拝スタート|頒布地・期間・初穂料

まとめ

常陸大津の御船祭は北茨城市の佐波波地祇神社の御祭礼。5年に1度、ゴールデンウィークの辺りに開催されます。

お祭りでは全長約14メートル、重さ7トンの船が陸上を移動します。漁業者の知恵や技術がたくさん詰まっており、とても個性的です。

大変混雑しますが、宵祭であれば比較的近くで見ることができます。近づきすぎと怪我する危険性がありますので、くれぐれも注意してご覧ください。

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