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県内でもっとも多くの種類の御朱印を発布しているお寺をご存知でしょうか。笠間市の正福寺(佐白観音)です!毎月新たな御朱印が登場しますから、いまでは驚くような数になっています。
ぜひ自分にご縁のある一枚を選んでみてくださいね。坂東三十三観音霊場のひとつに数えられているので、観音さまの御朱印をいただくのもいいでしょう。
この記事では笠間市の正福寺(真言宗単立)をご紹介します。初代笠間城主とのゆかりの深い歴史あるお寺です。笠間稲荷のすぐ近くにありますので、あわせてご参拝してみましょう♪
由緒
以下の由緒は主に正福寺の公式サイトを参考とし、それ以外は出典を記載しました。
猟師の粒浦某が、佐白山を守る白い三匹の動物に導かれて霊木を感得。千手観音像を刻み、三白山三白寺三白院と称する。
三白山正福寺と改め真言宗寺院として孝徳天皇の勅願寺となる。
徳蔵寺(現:城里町)との寺領の争いをきっかけに宇都宮頼綱の命をうけた後の笠間氏が介入して正福寺の堂宇を破却。
*『坂東三十三所観音巡礼 法話と札所案内』(編:坂東札所霊場会)より
天下統一を果たした豊臣秀吉により当時の笠間城主だった綱家が除封。後ろ盾を失った正福寺は宝勝院を残して五坊を破棄。
宝勝院は山上へ移されて勝福寺と称して観音堂を建立。
*『坂東三十三所観音巡礼 法話と札所案内』(編:坂東札所霊場会)より
勝福寺を正福寺と改める
廃仏毀釈の法難により七堂伽藍が焼失
寺号を観世音寺と改める
*『坂東観音巡礼』(平幡良雄)より
寺号を佐白山観世音寺から正福寺に改める
勝福寺から正福寺に改めた後に伽藍の修理を開始(元禄元年:1688年)。同10年に落城。
*『坂東三十三所観音巡礼 法話と札所案内』(編:坂東札所霊場会)より
現在の本堂が再建される
笠間高広が三重塔の第一層を寄進。其後、息子の広直が二層を寄進。
*『坂東観音巡礼』(平幡良雄)より
ご本尊は十一面千住観世音菩薩です。以前の公式サイトには笠間時朝の命により運慶派によって彫られたとありました。ただし、時代を考えれば創建当初の像とは別ということなのでしょう。
ご本尊は坂東三十三観音霊場巡りに数えられています。十一面観音と千手観音は本来別ですが、当寺のように時々一体となっている場合がありますね。
由緒で面白いのは「三匹の動物」について。民話としても伝えられており、「三白山」から「佐白山」に変わったのは、初代笠間城主の時朝がご本尊のご利益によって佐け(助け)られたことに由来します。
ところで、佐白山に亡霊が出るというウワサをご存知でしょうか。それで佐白山が心霊スポットとしてメディアで紹介されることもあるのです。
そのウワサは笠間時朝(当時は宇都宮氏)が正福寺を滅ぼしたことがきっかけと云われています。それで悪夢を見続けた時朝は城内に正福寺を再興させたというのだとか。じつは歴史や民話としても伝えられていることです。
それからの正福寺は時朝の信仰もあって新たに六坊(宝勝、秀林、座禅、松本、閼伽井、桜本)を建立。「身代わり観音」とも尊称され、さらに信仰を集めるようになりました。
しかし、豊臣秀吉が天下を取ると城主の綱家が除封。六坊も宝勝院を除いて破棄されますが、残った宝勝院は勝福寺として観音堂を建てて信仰を維持。それが百年ほど建って正福寺となって復活することになるのです。
正福寺の御本尊は代々の笠間城主を保護したことから『身代わり観音』ともいわれていました。
旧公式サイトでは「宇都宮氏によって滅ぼされた」通説を否定しています。(現在は削除)
昭和32年(1957年) 木造千手観音菩薩坐像(県指定)
昭和60年(1985年) 本尊木造佐白観音坐像(市指定)
平成9年(1997年) 木造不動明王像、木造毘沙門天像(いずれも市指定)
アクセス
車で行く場合、入口の道路挟んだ反対側にある公営駐車場に駐車できます。お手洗いがあって笠間稲荷にも近いので便利!歩いて数分なので、ぜひ合わせてお参りしてみてくださいね。
名称 | 佐白山 正福寺 |
住所 | 茨城県笠間市笠間1056-1 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
境内入口(授与所)
数年ぶりに参拝したら境内の入口が違っていて驚きました。以前は本堂と一体となっていた授与所が入口に移動していたのです。こうした配置は他では見たことがありません。
建物の後部は待機できるようになっています。当寺は豊富な御朱印を頒布しており、直書きもされていますから少々長めの待ち時間となることもあるでしょう。ありがたいことです。
本堂はこの建物の左手の通路を進んでいきます。緩めの階段を登ってまもなく。徒歩で1〜2分といったところでしょう。
余談ですが、遠目だと授与所の「びんずる尊者」が人に見えます。ずっと見られている気がしてドキドキしてしまいました。割とリアルなので驚く方がいらっしゃるかもしれませんね。安心してください。木造です。
途中、大変立派な桜を目にしました。こちらはヤマザクラ。石碑には「母の桜」とありました。先代のご住職が命名されたのだとか。この先に進めばさらに立派な「父の桜」もそびえていますよ。
春の開花が楽しみですよね。茨城県の桜にお写真がありますのでぜひご覧ください。また、常磐百景(@joban_100) さんから上記の情報もご提供いただきました。感謝です!
手水舎
ふつうの手水舎と見せかけて一味違う。奥には岩窟があって信徒から寄進された龍頭観音が見守っているのです。
わたしは絵でしか見たことがない観音さまです。三十三の姿のひとつなのだとか。観音さまには特に決まった性別がなかったかと思いますが、なんとなく女性的な雰囲気がします。
本堂と「三白」の由来
令和6年の本堂です。原則的に本堂の立ち入りは禁止。授与所も移動しているので事前申込の拝観以外で足を踏み入れることはないかと思います。
右側に見えるのは「アマビエちゃん」。正福寺の公式マスコットです。コロナ禍で参拝もままならず、各寺院は苦労したことに違いありません。そこでマスコット誕生とはたくましすぎる。見習いたい。
扁額の山号はいつ見ても素晴らしい。個人的にはこちらも充分に文化財といえます。
御本尊の十一面千手観音は公開されていませんが、そのお姿は授与所の待機スペースで拝観できます。向かって右手に毘沙門天、左に不動明王が鎮座しております。ご本尊が県指定、左右が市指定の文化財となっています。
左右の脇侍が入れ替わると天台様式というやつですね。名前の通り天台宗の寺院で本尊を荘厳する様式とされているのですが、茨城県内では不思議と観音霊場で目にするスタイルです。
ちなみにこちらのお写真はポストカードとしても頒布されております。わたしは全種類ゲットしました!
7月には見事なカサブランカが咲いていました。少し前にはツツジが素晴らしかったです♪
正福寺はこの本堂ができるまで廃寺となっていました。ご本尊と仁王像が近くの寺院(玄勝院)に預けられていたので、歴史はつないでいたんですけどね。
古い本を読むと正福寺の宗派が真言宗ではなく曹洞宗と書かれているのはこの関係でしょう。
御朱印
正福寺の御朱印は非常に種類が豊富です。わたしが知る限り、どの寺社よりも多いです。
通常のほか、月ごとの金泥・銀泥があり、さらに誕生日や七夕といった特殊な御朱印も用意されています。そのとき足を運べなくても版が残っているならさかのぼっていただけます。インターネット上からも受付OK。
御朱印は本堂の右手にある授与所に張り出されています。ネット上でも確認できますので予め希望を整理しておくといいでしょう。
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「三白山」の由来
当寺が位置する佐白山の「佐白」は前述した通り、元は「三白」でした。三つの白とは山にいた動物とのことでしたが、それは以下のような民話で伝えられています。
14 佐自の名のおこり
笠間市の昔ばなし|編:笠間市文化財愛護協会
むかしむかし、孝徳天皇の御代に、笠間盆地の中央にそびえたつ山に、お寺を建てた。
その頃この山には、白い雉と白い狐と白い鹿が住んでいた。この三匹は神様のお使いで、この山を守っていた、といわれていた。
それでこの山はいつとはなしに、三匹の自いけものや鳥がいたことから、「三白山」と名づけられ、建てられたお寺も、「三白山正福寺」と呼ばれるようになったという。
それから後の世になって、誰いうとなく「三自山」が「佐白山」といわれるようになった。 (『笠間城記』『衆成笠間誌』から)
というわけで、動物は雉、狐、鹿です。どうしてこの三匹なのでしょう。そしてなぜみんな色が白いのか。不思議ですねえ。なにか理由があってのことかと思いますが、わたしにはさっぱりわかりません!
・笠間市の正福寺(佐白観音)は坂東観音霊場の二十三番目の札所。代々笠間城主に信仰されてきた
・苦難に見舞われた歴史があるが、現在では本堂を再建し多くの参拝者がいる
・豊富な種類の御朱印も評判。笠間の中心地にあって気軽に参拝できる
坂東三十三所観音巡礼 法話と札所案内:編:坂東札所霊場会
坂東観音巡礼|平幡良雄
茨城の寺(二)|今瀬文也
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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