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令和5年、稲敷市のあずま生涯学習センターで市立歴史民俗資料館が主催するシンポジウム「稲敷市に花開いた近世仏教芸術の諸相」が開催されました。
日本建築史を専門とする濱島正士先生が市内の寺社建築について講演するとのことでしたので、わたしも期待に胸を膨らませて足を運び貴重なお話を聞かせていただきました。
内容は主に市内の大杉神社と逢善寺に関するもの。せっかくなので忘れないうちに復習を兼ねて参拝してきました。今回はそのときの写真をもとに、特に知名度が高い大杉神社の社殿をご紹介いたします。
大杉神社は8世紀に創建したとされる古社で現在は豪華絢爛な社殿とそれに負けず劣らず個性的なトイレがあることで知られています。これを読めばきっと参拝がよく奥深く楽しいものになると思いますよ!
大杉神社の概要につきましては本記事をご覧ください。
社殿の由緒
社殿に関する来歴をまとめました。
流行りの病で人々が苦しんでいたアンバの地に日光山の開基で旅の僧侶(勝道上人)が立ち寄り、あんば様の宿る巨杉に祈願。すると三輪山から神々がやってきて人々を救済。以来、あんば様と三神を祀るようになる。
正徳元年起工、同5年上棟、同6年遷座。
棟梁:四箇村水飼吉郎兵衛、脇棟梁:新治郡大塚村友辺儀左衛門。(大杉 殿今宮大明神目録)
建棟梁:桜井瀬左衛門、彫物師嶋村円鉄。(大来栖邑奉仕帳)
拝殿礎石に銘あり
*このとき複合社殿になったと思われる
再建のため寛政12年に起工した建物が完成間近にして焼失
文化3年に釿始、同6年に上棟、同7年に拝殿・幣殿起工。
大工棟梁:下野国都賀郡下皆川村多兵衛、彫物師:(同国)富田宿儀左衛門。
*「文政六朱年十一月吉日一件中拍帳」による。
茅葺→銅板葺に葺替。棟梁:枚嶋弥五兵衛。
こうして一覧するとなんども社殿が焼失しては再建していることが分かります。大切なはずの社殿なのに火災が絶えないのは、護摩など火を扱う機会が多かったせいかもしれません。
護摩といえば真言宗や天台宗といった密教の祭事ですが、神仏習合時代の大杉神社は隣接する安穏寺が別当を務め、同寺が天台宗であったことから祭祀で火を扱う機会は少なからずあったのでしょう。
また、天狗にまつわる伝説のある神社ですから修験道との関係も無視できません。当社を創建したという勝道上人は仏教ではなく修験道に属します。年代も日本で密教が布教される前になっていますよね。
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アクセス
名称 | 大杉神社 |
住所 | 茨城県稲敷市阿波958番地 |
駐車場 | 多数あり |
Webサイト | 公式 |
拝殿
社殿は複合社殿で三部構造となっています。参拝者から見て手前にあるのが拝殿、奥にあるのが本殿、それを繋ぐのを幣殿といい、複合社殿という形式です。
写真は社殿を正面から見たもので拝殿が写っています。大杉神社といえばまずこの光景が浮かぶのではないでしょうか。拝殿の屋根は入母屋造と呼ばれる形で、前後に延びる切妻屋根の両側にも屋根を取り付けたタイプです。切妻はVの字を反転させたような形(∧型)ですね。つまり入母屋造とは四方に屋根があるのです。
ただし、大杉神社の場合には入母屋唐破と唐破風の装飾が付いています。豪華!
屋根正面の先端で湾曲している部分が唐破風です。そこ(「大杉殿」の扁額上)についている装飾を兎毛通といい、ここでは菊があしらわれています。
それと忘れてはいけないのが神紋。「三五の桐」と「羽団扇」があちこちに散りばめられています。羽団扇は天狗が持つマジカルなアイテム。お隣の安穏寺と一緒に天狗の存在を盛大に匂わせているのがユニークなところですね。
社殿の特徴を語る上で欠かせないのが、向拝(正面の屋根の出っ張り)を支える柱が本舎よりも太いこと。これは逢善寺にも言えることで講演で強調されていました。極めて稀(講師によれば記憶にない)で社殿をより大きく見せるような工夫ではないかとお話しされていました。
その向拝の柱と本舎を段違いで結ぶのが丸彫りの龍です。これも珍しいとのことですが、海老虹梁の龍は何度か見たことがあるので丸彫りが珍しいのではと思います。
向拝とその柱の間に見えるのが手挟み。左右のどちらにも鷹(もしくは鷲)らしき鳥が見えます。その相方はウサギとサルですから十二支をモチーフにしているのかも。
向拝の木鼻にあるのは獅子と一角龍(もしくは麒麟)とのことでした。麒麟の判断は難しいですね。微妙な造形の龍にも見えますが、角があって胴が長く見えなければ麒麟といえる場合もあるそう。
拝殿の側面を見てわかるように本来は建物の隅で水平方向の柱(梁桁)が交差する部分に設置される木鼻(獅子など)がすべての柱にあります。かなり贅沢な造りなので当時(今もですが)は本当にリッチだったのでしょう。
本殿および幣殿
複合社殿の側面はこのようになっています。瑞垣があるのでよくわからないと思いますが、拝殿と本殿が繋がっているのは屋根を見ても明らかです。瑞垣にある様々な彫刻につきましては境内の立て札で説明されているのでそちらをご参照下さい。
本殿は流造です。当社のような複合社殿は平安時代の北野天満宮に始まるといわれ、同社の本殿は入母屋造です。複合社殿に流造が使われるようになったのは江戸時代からだそうで、それには経済的に安定した背景があるのだとか。
江戸時代になって複合社殿の本殿が流造とされたのは、このように屋根のないスペースにも彫刻が施せるようにともいわれます。入母屋屋根とどっちがコスト高なのかは分かりませんが。。
屋根の付け根の部分にあるのは懸魚とか妻飾りといいます。その裏側にあるのは鳳凰。その下が麒麟です。鳳凰、麒麟、亀、龍は「四瑞」として重宝されるそうですよ。鳳凰と龍は拝殿や本殿正面でよく目にするかと思います。
ところでこちらの懸魚にあるように、社殿には波の模様が少なくありません。それについて講演では社殿の焼失を恐れてのことではないかとありました。当社の歴史を知ると説得力を感じますね。
彫刻で珍しいのは鯱(鯱鉾とも)です。これは先程ご紹介した拝殿の向拝脇にあります。一角で龍っぽいので胴が見えないと一角龍や麒麟と誤解されるかもしれませんね。
流造の屋根脇にあるのは降り懸魚などといくつかの呼び名があるそう。先程の鯱もそのひとつですね。一般的にはシンプルな形状ですから、ここにも大杉神社らしさが見えますね。
講演で「海獣背乗武神」と呼ばれる彫刻が縁の腰組部に見られます。武神かどうかは不明だと思いますが、いずれも動物に乗る勇ましい男性の姿です。魚とか牛はわかるとして、蟹とか鬼のような姿もあるから不思議ですね。
一般の参拝客は防犯などの都合があって全体の半分程度の社殿しか見れません。しかしそれだけでも感心するような匠の技を楽しめますから、せっかく参拝したのであれば見逃さないようにしていただきたいところ。
彫刻の染色があまりにも見事なので、肉眼だと個人的にはFRPのように見えてしまうことがあったり。でも望遠レンズで見てみると木目がしっかりと分かって改めて匠の技だなと思いますね。
さて、だいぶマニアックな説明をした気がしますがいかがだったでしょうか。社殿の部位や彫り物の名称は他の神社でもある程度共通しておりますので、ぜひ参考にしながら各地の参拝をお楽しみいただけたらと思います。
・向拝の柱が本舎より太いのは珍しい
・木鼻がすべての柱に設置されている贅沢な造り
・「四瑞」などおめでたい彫刻が多数見られる
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。